3話 始まりはいつも事務所から
とある街にひっそりと建つ探偵事務所。元々人通りが少ない事に加えて、両隣を背の高いビルに挟まれているため近くに住んでいてもその存在を知る者は多くない。
その事務所の名は――――
「はい、こちら天柳探偵事務所…………ああ、はいお久しぶりです乃里子さん。この前の廃工場の件はご迷惑をかけてしまい…………いえ、今回は所長のせいでは無く私の…………はい、ありがとうございます。では所長に代わりますね」
長い黒髪を後ろで結わえ、少女とも女性とも呼べそうな大人びた雰囲気を醸し出すのはこの事務所の秘書、兎楽璃亜。
その彼女から差し出された受話器を寝ぼけ眼で受けとったのが誰あろう天柳探偵事務所の所長、天柳相一である。
「あー電話代わりました、おはようございます乃里子さん」
『おはようじゃないだろう、今何時だと思ってるんだ』
「この気だるさは早朝のそれにそっくりだから8時ぐらいで」
『昼の12時だ馬鹿野郎。あと午前8時は早朝とは言わんし、気だるく感じるのは夏バテだ。暑いからといって冷房を効かせ過ぎずしっかり食事を摂ることである程度予防が可能なんだ、一つの組織の責任者として自己管理には気を使え』
「…………後でしっかり言って聞かせておきます」
『兎楽…………いつの間に」
「乃里子さんのお説教が終わったら呼んでくれと言って…………」
『すまないが、もう一度あいつに代わってくれ。…………それと、余り男を甘やかすのは為にならんぞ。あいつの性格なら多少尻に敷くぐらいが丁度いいと思うが…………まあ何だかんだお前らはお似合いの仲だと』
「ぶふっ――――!?」
「?」
警察のお偉いさんと通話しているはずのクール系秘書が突然吹き出し、数分前と同じ様に机に突っ伏していた相一が視線だけで疑問を投げかける。
「な、何でもないです何でも!! ホラ所長! 乃里子さんが待ってます!」
相一の手に受話器を押し付けるとパタパタとキッチンに駆け込んでいく。その横顔は心なしか朱色が差していたように見えた。
「何言ったんですか?」
『お前みたいな上司を持つと大変だろうと言っただけだよ』
「俺ってそんなに頼りなく見えますか」
『私は知らんがお前のとこの秘書や事務員、居候はその辺よくわかってるんじゃないか』
「あーもういいですよ何でも。それで? そっちから電話してくる時は説教か仕事の二択だと思ってるんですけどこの前の廃工場とその周囲をぶっ壊した件はもう済んだし多分仕事の方だと思うんすけど。というか仕事がいいです、仕事下さい仕事」
そもそも先日の夏祭りに屋台を出したのも事務所の知名度をアップさせて仕事を増やそうとしたのが発端である。その計画がなんやかんや(主に銀月のせい)で失敗した今、探偵事務所としては以前と変わらず開店休業状態絶賛続行中というわけだ。
『断波海水浴場を知っているか?』
「実際行ったことは無いですけどね。この辺りから電車で二時間ぐらいの所で、毎年すごい人が集まるらしいって程度には」
『充分だ。最近その断波海水浴場で水難事故が多発しているようでな』
海水浴シーズン真っ盛りのこの時期である、多少の事故はどこの海水浴場でも同じようにあるだろう。
「それがただの水難事故じゃないと?」
ただの事故であるならわざわざこちらに連絡してくる必要も無い。警察から直接、おたくの海水浴場で事故が多いみたいなので注意を促して下さいね、とでも言っておけば済む話だ。
『それが事故に遭った…………簡単に言えば溺れた者たちに妙な共通点があってな』
「共通点?」
『ああ。何でも全員が若い男性、それも容姿が優れた者ばかりがそういった事故に遭っているらしいんだ』
「えっと、つまり…………その断波海水浴場では最近イケメンばかりが溺れる事故が多発している、と」
『まあ、そういう事だな』
「…………別にいいんじゃね」
『良い訳あるか馬鹿野郎』
中の中、平均的な一般男性といった天柳相一がボソリと漏らした一言はしっかり拾われていた。
「いやだってあれっすよ世のイケメンの総数が減ればそれだけ」
『おいおい勝手に殺すな。幸い被害者の中で亡くなった人は一人もいない』
「ちっ」
『オイ。…………まったく、身内以外にはとことん冷たいやつだなお前は。ま、今はそれはいい。被害者達には若い容姿の優れた男性という以外にももうひとつ共通する点があるんだよ』
「イケメンで金持ちだなんて言ったら電話切りますからね」
『かの有名な天柳家の一人息子が何言ってる』
この国で――――いや、この世界で天柳という名前が表すのは世界有数の大富豪である。どれぐらいの金持ちかというと…………相一の少年時代、バーベキューがしたいと言い出した息子のために南の島を一つ買い取ってみたり、魚釣りがしてみたいと言えば海川湖種類も問わず魚を集め琵琶湖の5分の1程の釣り堀を作ってみたりとその伝説は数え上げれば切りが無い。
相一が家を出て探偵事務所を開いたのも、そんな破天荒な親の元から離れたかったという事が理由の一つだったのかもしれない。
「今は殆ど連絡すらとって無いですよ。…………で、そのもう一つの共通点というのは?」
あまり触れられたくない話題なのか電話越しの安曇野に先を促す。
『これについては別に不自然では無いというか、共通点と言ってもいいものか分からんが…………。あーいや、そうだな…………そっちに関しては実際現地に行ってから確かめてくれるか』
「なんですかそれ、言葉を濁すなんて乃里子さんらしくない。というかここまでの話聞く限りじゃただ運の悪かったイケメンが溺れるっていう偶然が重なっただけの事故に聞こえるんですが」
『もう地元の観光協会には話を通してあるからな、話の続きはそこで聞くといい。…………ちなみに、これは警察からの正式な依頼という事になるので報酬は弾むぞ』
「分かりました。任せて下さい」
『最初からそう言えばよかったものを』




