愛の天秤
『帝国こそが悪である。〝アイゼンの虐殺〟を忘れてはならない。労働者の賃上げ要求に対し彼らがとった行動は何か! 皆も記憶に新しいだろう。帝国はアイゼンの労働者を皆殺しにし、女子供を奴隷として売り払ったのだ。虐げられし全労働者、全農民諸君。帝国は諸君から生産物を搾取し、刃向うものを皆殺しにする悪魔である。今こそ我らと共に立ち上がり、この悪魔を討ち果たし、自らの正当なる生産物を取り戻そうではないか』
「リッテル少佐」
兵舎のドア越しに呼ばれる声に気づき、ラジオのスイッチを切った。
「何用か?」
リッテルは扉を開き、伝令の兵に問う。
「ノエル殿下より、全将校は至急、司令部に集まるように、とのことです」
「了解した。連絡ご苦労」
「はっ」
リッテルの敬礼に対し、答礼を返す伝令兵はすぐさま次の目的地へ走り去った。
まだ夜も深く、風は冷たい。
伝令兵の遠くなる足音を背景に、リッテルは紅い制帽を被った。
「リッテル……」
軍令部で出迎えたシャルラの表情は暗い。
「総員、敬礼」
一瞬の沈黙。その場にいた全員がテントの奥から現れた三人に敬礼する。
魔物討伐に派遣された帝国最精鋭三個軍を率いるエリック第一皇子、ディータ第二皇子、ノエル第三皇子の三人がテント奥から現れる。
「状況は」
「はっ。都市同盟で反乱発生。都市同盟領を通る全補給線が寸断されております。ウェストジーナの軍港からの補給線は生きてますがいつまでもつか……」
「シャルラ・マイ・セレヴェス」
「はっ」
エリック皇子が睨む。
「この反乱分子は教国を名乗り、首都をセレヴェスと定めたそうだ。セレヴェスはお前の故郷。教国に寝返る気があるのではないか?」
「いえ、そのようなことは」
「エリック殿下、いささか話が急すぎるかと」
「リッテル!」
ノエル皇子が穏やかな表情で言う。
「疑惑が晴れれば釈放する。案ずるな」
「連れて行け」
「リッテル少佐。ご武運を」
シャルラはリッテルに敬礼、続いて壇上の三皇子に敬礼すると、両脇に立たれた衛兵と共に司令部を去る。
「さて、今後の作戦だが」
「敵襲っ」
突如サイレンが鳴り響く
リッテルは振り向くが、次の瞬間、閃光と轟音が背後より襲い、その身は宙へ舞っていた。
「所属と名前を」
「アリア・フォル・レイン。帝国フォル市領主の娘。リッテル・マイ・レイン少佐の妹です」
「アリア・フォル・レイン……」
名簿を付ける衛兵は机の下を探る。
「シャルラ・マイ・セレヴェス少佐より、お手紙を預かってます」
「シャルラ少佐?」
アイゼンを脱出したアリア、ローズ、フォルカーの三人はウェストジーナ市の旧市街を取り巻く城門をくぐる。
市内は汚れた帝国将兵で溢れ、道端に俯いてしゃがみ込み、生気は無い。
彼らの大半はムーンリット湖畔に布陣していた帝国最精鋭三皇子軍に参加していた兵士たちだ。
「封書には何と?」
アリアは港へ向かう石畳を歩きつつ、封書の中身をフォルカーに見せる。
「遠征軍司令のシャルラ少佐が私と話をしたいと。リッテル兄のことだとか」
「失礼します」
衛兵に誘われた先は、戦艦奥の一室だった。
重い鉄の扉を開くと、一人の士官が書類の山に埋もれていた。
「アリア・フォル・レイン殿。お初にお目にかかります」
そう語るシャルラ少佐は机から立つ。
「兄は、戦場で散ったのですね」
その言葉にシャルラは「作戦立案中の司令部を、爆破され」と俯く。
「リッテル殿は士官学校以来の私の友人でした。私にとっては唯一私の背中を預けられる方でした」
「シャルラ少佐。私はアイゼンの騎兵士官学校に入学予定でした。私も少佐と共に。兄の仇を」
シャルラは首を横に振る。
「我が軍はこれから海路で帝国本土に帰投し、軍の再編を図ります。冷静に。帝国は二百年ぶりの戦争を経験しています。お連れの方々ともご相談のうえ、決められた方がよろしいでしょう」
360度何もない水平線に太陽が沈む。
白煙を吐く鋼鉄の船はその身を赤く染めながら、一心に帝国本土を目指す。
アリアは甲板に立ち、艦橋に背を掛けて、どこまでも広がる水平線を眺める。
「アリア殿。コーヒは如何です?」
フォルカーが湯気の流れるブリキのカップを両手に持って現れる。
「ありがとう。ローズは?」
「シャルラ少佐の元です」
アリアはカップに口をつけて、その鋭い苦みと渋みにせき込む。
「何これ。飲み物じゃないわ」
「軍用コーヒーはこんなものですよ」
フォルカーは平然と喉を鳴らす。
アリアは両手でカップを包み込むように握り、宙を見上げる。
艦橋に立てられた帝国旗がはためく様子を眺め、じっと目を細める。
「軍人になるのはお嫌ですか?」
「いいえ!」
アリアはカップを一息に飲み干す。
「占領下のアイゼン。断頭台の市長とその家族。私と年変わらぬ女を強姦する兵士。捕虜をなぐり殺す民衆。私は国を守りたいわけでもない。人を殺したいわけでもない。愛国心もない。死ぬのは怖い。女の兵士が捕虜となればどうなるかも知っている。でも、私は、父や母、兄上や妹が、あんなふうに殺される姿を見たくない。フォルの街があんなふうに焼かれる姿を見たくない」
「でもアリア殿」
フォルカーは小さな声で言った。
「降伏すれば、フォル市が焼かれることはありません」
フォルカーが手を振る。その先、ローズがアリアに手を振っていた。
アリアは再び艦橋にはためく帝国旗を眺める。帝国に対する愛国心、フォル市と家族に対する郷土愛。どちらが、自身の内で強いだろうか。アリアは旗に問い、貴族の〝伝統〟に問い、そして、自身の〝愛〟に問うた。
一先ず、ここで物語を区切ろうと思います。私の中では登場人物の振る舞いを示したコンセプト作品、ということになりそうです。
本作の続編に関して構想はあるので、今度は短編で、物語を持って、本作の続きを投稿しようと思います。ご拝読、ありがとうございました。




