第二章②
「解んねぇかなあ。要は、最近頻繁に近海に出没している海賊がいるだろ。名前は……なんてったかな……まあいいや。とにかく、そいつがどうやら、我がポルトギア王国の港を襲って来ているときたらしい。近頃はようやく収まって来たが、それでもまだまだだ」
「大航海時代ですからね。海賊も日に日に力をつけてきますよ。海軍の主力の大半は新大陸と東方に出払っていますからね。大方、そこを狙われたのでしょう?」
「そうだな。まさに、お前の言うとおりだ」
衛兵は大きくうなずいてクラインの考えに同意した。
なんだ、国家間の戦争じゃないのか。クラインは内心がっかりした。国同士の戦争であれば両国のどちらかに加担する、なんて愚かな行為をしなければ、双方に武器や食料を輸出して大儲けができるのだが。
しかし、内心はもう衛兵の話には興味を無くしていても、それを顔には出さなかった。勲章と騎士の紋章が胸に無ければ山賊同然の衛兵の気を損ね、理不尽な理由で荷物を没収されては、ただ海賊に襲われた時の被害の比はないからだ。
「そうでしたか。国と国との戦争であれば我々商人は両国への武器や食料の提供で儲けさせて頂けましたのに」
「なに、そんなに儲けたいんなら海賊相手に酒でも食料でも弾薬でも売って商売すりゃあいいじゃねぇか」
「私も商人です。神に背き人を殺める、そんなことをする人間相手にとてもではありませんが、恐ろしくて商売はできませんよ。臆病な私にとっては」
神の教えに背く行為ならいくらでもしてきたので前半は嘘になるが、臆病なので後半は本当になる。
「ははっ。お前も臆病な商人と言いながら恐ろしい奴だ。お前みたいな口の上手い一流の商人がある意味、最後の審判よりも恐ろしいな。……どれ、積み荷の積み出しも終わったし、もう帰っていいぞ」
うまい具合に相手から話を切り上げてくれて良かった。大抵の場合だと、こういう要所ではあるが、税関や市内の見回り役の守備兵は常に暇を持て余しており、長話になることがしばしばあるからだ。時間を金に換えられる商人にとって、無駄な時間の消費は金を捨てているに等しい。
クラインは、皮袋からかなり人の手を渡ったかと思われる、黒ずんだリモーネ銀貨という一般的な価値の貨幣を五枚ほど、衛兵に差し出した。無論、これからもよろしくお願いします、と言った意味を込めた賄賂なのだが、実際は違う。
見た目の良い、まだ製造されてから間もない綺麗な貨幣は重要な取引に使うためにとっておく。やはり、同じ価値を持つ貨幣でも綺麗な貨幣の方が取引に有利に働くからだ。だから、綺麗な銀貨はこんなところでは使いたくないとクラインは思っていた。要するに、使えない貨幣の処分だ。
「どうぞお納めください」
「うむ……、は? なんだ。もうちょっと綺麗な奴は無いのか?」
「あることには有りますがね……」
「じゃあ、おとなしくその綺麗な銀貨を出せよ」
衛兵はさも、クラインが差し出した銀貨が古くて嫌だという様に顔を歪めて言葉遣いを荒くした。しかし、逆に銀の含有率の高いリモーネ銀貨がここまで黒ずむこと自体が珍しく、銀の含有率がほかの貨幣と比べてもかなり高いリモーネ銀貨は新しく発行されたそばから人に使われる。
今でこそ銀の含有率が高いリモーネ銀貨だが、昔はすぐに黒ずみ、中には銅貨と見間違うくらい状態がひどいものもあったらしい。それでもなお人々に利用され続けていたのは、海運立国のポルトギア王国がリモーネ銀貨の価値を保証していたからであり、その後、新大陸の富を使って価値の高い銀貨へと変貌した。
クラインは商売用の笑顔で、丁寧に衛兵の言葉を蹴ることにした。その言葉は、王国騎士の精神を問うものだった。
「欲は張らないのが、主君に捧げた剣は売らず、人生は清貧に生きるのが王国騎士の心得でしょう?」
「…………チッ、しゃあねえなあ。わかったよ。さあ行け。ケチなお前さんにも、尊い創造神のご加護がありますように」
「どうも。あなたにも神のご加護がありますように」
クラインの反論が心に刺さったのか、衛兵はすごすごとお決まりの別れの挨拶をクラインに投げつけ、クラインも表だけの笑顔で丁寧に返した。
「それでは、お元気で」
遠ざかるクラインの背中を見つめながら、衛兵はまた不満げにため息をついた。王国兵士は大抵、「騎士」という名称にただならぬ信頼を持っている。末端の守備兵から都市の守備隊長はおろか、別に騎士の爵位を受けたわけでもない新米の兵士まで。これは、「常に騎士としての清く正しい心構えでいよ」という、ポルトギア王国が軍隊の規律を守るために作った決まり事を守っているかららしい。だから、よっぽどクラインの反論が応えたのであろう。
それを知っていたとは卑怯な奴だ、そう衛兵は港に浮かぶ大きな船を睨みつけて思った。だが、クラインにしてみても、いままで都市の守備兵ごときに理不尽な税金をとりたてられたことも少なくはない。ここの衛兵に罪は無いが、反抗できるときにしておかないと、気が済まないのが人間の性なのだろう。
そして、クラインの姿が税関から建物の向こうに入って完全に見えなくなった頃には、空は高く澄んだ、紅い夕焼けに染まっていた。