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幻想見聞録  作者: 藤宮周水
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第一章④

「あ、あのう……」

「ん? なんだ?」

 やはり、先に買われていった奴隷たちのことを見てきたのだろう。きっと、これから今まで以上にひどい目に合わされるに違いないと黙認しているようだった。

「あ、あんまり、ひどいことは、しないでほ、しいで……す」

「はは、俺はそんなひどいことをする人間に見えるのか」

 クラインは冗談半分でこう言ったのだが、この奴隷にはどうも、徴発されていらっと来たかのように受け取られてしまったらしい。もっと、おどおどした話し方になってしまった。

「いえ、あの……す、すみません……! ぶ、ぶたない……で、ください……」

「ん……そんな風に引かれてしまっては、話しかけづらいな」

「ご、ごめんなさい……」

「…………」

「…………」

「ああ、もう、とにかく、お前を叩いたりはしないから一回、おとなしくついてきてくれないか? 頼む」

 沈黙は相手に破らせるのがうまくいく商談の秘訣だと言うのに、この時ばかりは自ら沈黙を破ってしまった。

 クラインはもじもじと謝ってばかりで一向に話の進む気配がないことを察し、半ば強引に奴隷の手をつなぎ、すぐそばの衣服屋へと走った。まず、今この奴隷が着ているような服ではとてもではないが、周囲の人間にいい目で見られるようなことはないからだ。奴隷を持っているという事はその人間がそれなりの財産を持っていることを象徴するが、その一方で冷酷な人間だとも思われる。

 衣服屋に着くまでのわずかな間に、街の人々からの刺すような視線は今となっても忘れられそうにない。

「あ、お客様。いかがなさいました? 新しい服ですか? それとも、ズボンが擦り切れましたか? もう少し服を大切に、そして服は、毎日の手入れが重要ですよ……」

「ああ、始めてきた店でこんなに説教されるとは思わなかった。と、そんなことよりこの娘の服なんだが、何か良いのはないだろうか? なるべく、良いものを」

「はぁ、そうですか。採寸から完成まで一か月程度かかりますが、いかがいたします?」

「済まないが、そんな余裕はない。できれば中古か、既に作ってあるのを頼む」

「そうですか、お急ぎですね。今、奥から持ってきますので、少々お待ちください」

衣服屋の店員は突然のクラインの来店に驚きながらも、にこにこと商売用の笑顔を崩さず、店の奥へとかけていった。

 その間も、ずっと黙りっぱなしで下を向いていた奴隷は、ふとクラインに向かってさも疑問ありげに話した。

「あ、あの、主人様は、なんで、私なんかに服を買って、くれるのですか……?」

「……主人様、だなんてそう固くならなくていい」

 クラインは、怯えている奴隷にニッコリと微笑んで見せた。商売用のものではなく、自分の心から出た素の感情そのままの笑顔を。

「……簡単なことだ。何せお前、寒そうだろ。ほとんど裸で。服もそんなお粗末な布切れで。だから、服を買ってやるんだ」

「え……それだけの理由で……?」

「ああ、そうだ。これからお前には長いこと助けられることになるかもしれないし、それに風邪をひかれちゃ、困る」

「…………」

 今まで家畜以下の扱いしか受けてこなかった奴隷にとって、人間にやさしくされるようなことはまず無かったため、奴隷は、今自分の目の前で起こっていることが理解できないようだ。

 毎日、非常にひどい扱いを受けていつしか自分が、本当に人間なのかも怪しく思えてきた奴隷は、クラインが自分のために衣服を買ってくれることが奇妙でたまらなかった。何故、こんな家畜以下の生き物に、ここまでするのだろう、と。

「不思議か」

「え……あ、はい……」

「簡単なことだ。お前は「人間」だろう」

「?」

「手足があって、自分で物事を考えて、今、大地を踏みしめて生きている」

「え、でも……」

 クラインは、優しい語り口で奴隷に接した。その言葉につられ、徐々に心を開いてくれているのが見て取れた。

 まだ修道院に通っていた頃の記憶の一部を引っ張り出し、昔、偉そうに腹と顎を突き出して説教していた司祭の言葉を奴隷に投げかけた。その説教は要約すれば、人間は神の名のもとに皆平等であり、地位に関係なく、皆平等に「人間」だ、といった内容だ。自分で考える限り、いかにも胡散臭い説教だったが、こういう場面で使うのならその胡散臭さも少しは紛れるようだ。

「自分は奴隷だって?」

「……はい」

「そうか、確かに「今までは」そうだったかもしれないな。だが。……もう、お前は奴隷なんかじゃない。れっきとした「人間」だ」

「……私が……人間……」

 奴隷は、なんとも不思議な感覚に襲われた。自分は「非人間」なのか、それとも「人間」なのか。それだけが、どうしても奴隷を悩ませた。

「人間だから今、ここにいる。もう、悩まなくていいだろ。悩んだところで、結果が出るわけじゃあないだろう?」

「…………はい!」

 奴隷は、この時初めて自分を「人間」と認めてくれたクラインがまるで自分を「人間」へと変えてくれた神にも等しい存在に思えてしまった。クラインは奴隷がそんなふうに自分を崇高な存在へと祀り上げているとも知らず、話を続けた。

「そうだ。人間なら、名前がいるな……第一、呼び合うのにいちいち「お前」じゃ、こっちが偉そうだ。元々の名前、あるか?」

「……あ、有りません……でした……」

奴隷は必死に何かを思い出そうとしていたが、すぐにあきらめ、首を振った。ならば、とクラインは脳裏に浮かんだ名前を提案した。

「そうか……じゃあ、「ライサ」ってのはどうだ? いつか子供ができたらつけようかな、って思っていたが、実の話、できそうにもないしな……どうだろう?」

「……あ、ありがとうございます」

「そうか、気に入ってくれて何よりだ。これからよろしく頼む、ライサ」

 そして、クラインはライサが自分の送った名前を気に入ってくれたので、ニッコリとライサに微笑みかけた。それに対しライサも、満面の笑みでニッコリと微笑み返してくれたのである。

「あの、すみません。こういったものしか今当店には品が無く……」

 そういって奥から女性用のローブを引っ張り出してきた店員は、謝りながらクラインにそれを手渡した。

もとは貴族のような位の高い人間が着用していたのだろう。ローブを手に取ってみると、多少色あせてはいるものの白くきめ細かい肌触りの良い上質な絹糸で織られているようだった。これは相当値が張るだろうな、とクラインは思いつつ店員にローブの値段を尋ねた。

「……なかなか良い品ですね。となると、やはり高くつくのでは?」

「ええ、通常の相場であれば相当なものになります。……ですが、何分中古品なものでしてね。リモーネ銀貨五枚でどうでしょう?」

 中古品とはいえ、これほどまでに値引きしてくれる店員はこの店員を除いてほかに見たことが無い。いったいどうしたものだろうか。

「随分とお安くしてくれますね。何か裏があるんですか?」

「おやおや、せっかく格安の値段で提供させていただいていますのに」

「ただほど怖いものは無い、と先人たちの言葉がありますしね。当然、疑い深くもなりますよ」

「……分かりました。単に、タダで譲り受けただけですよ。そのまま置いておいても、中古の服なんて買ってくれるあてもないもので。恥ずかしい話ですが「中古か、既に作ってあるものを頼む」と言われましたもので……」

 ああ、そうか。クラインは自分の言ったことに納得した。この時代、服は発注されてから職人が作るという形式が普通で、中古の服、既に作ってある服はまず、存在しなかった。だから、この店に中古の服が置いてあったということ自体がきわめて珍しいことだったのだ。

「あ、そうでしたね、済みません。では、銀貨五枚の支払いでお願いします」

「はい……ありがとうございます。確かに、銀貨五枚ありますね。ありがとうございました」

 その後、クラインは衣服屋の試着室を借りて、ライサにローブを着させた。

「あの、ど……どうでしょうか……」

「!」

 ライサが、ローブを着終えて、ひょっこりと顔を覗かせた。

 何故だろう。クラインがライサに買って着せたローブには、何の魔力も込められていなかったはずだ。けれども魔力が込められていなければ、ここまでライサが魅力的に、そして色っぽく見えることはないだろう。何の衣服もまとっていなかった時には哀れだ、と言う感情ばかり抱いていたものだし、少しもこんな気持ちにはならなかったのに、白いローブを一枚着ただけで、ここまで魅力的になるとは。クラインはそれを表情に出さずに心の中で抑え込むのに必死だった。

「? ……あの、どこか、おかしかったでしょうか?」

「い、いいや。どこもおかしくはない。……ああ、似合っている」

「ありがとうございます」

「じゃあ、ここで時間をつぶすのももったいない。次の町へ急ぐぞ」

 クラインが衣服屋を出て、馬車が泊めてある街宿場へ歩き始めると、その後ろをライサはとてとてと可愛く付いて来ていた。その様子を見ていると、とても和む。

 そして街宿場に着き、クラインは後ろから後を付いて来ていたライサに向かって、こう言った。

 ライサは、これから商人であるクラインに付いてくるわけだ。だとすれば、その心得も無ければ、とてもついては来られない。そのことを、ライサに伝える。

「よし、ライサ。商人に付いて行くということは、同時に商人としての心得や経済学を身につけなきゃならない。……大変かもしれないが、付いて来れるか?」

「はいっ!」

 満面の笑みでクラインの問いに答えるライサ。まだ若干幼くも、その返事にはライサ自身の確固たる意志が見えた。

その日から、クラインとライサの二人旅は始まったのである。ライサはそれ以来、様々な商人としての知識を次々に吸収していき、クラインが自分を追い越すのではないかと本心から危惧する程になった。尤も、クラインとしては追い越してくれた方が、「自慢の弟子です」と商売仲間に自慢ができるので、それはそれでよいのだが。

後に船を購入して、陸が舞台の行商から海を舞台にした船旅となるが、その時にクラインはライサの才能を見込んで、副艦長という地位を与えるまでになった。

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