第三章⑳
あの約束……内容を覗けばすぐに脅しと解るものだが、簡潔に言ってしまえば「ネウの最後の旅に同行する。ネウの邪魔になるようだったら即刻殺される。ただし無駄なことをしなければ、その間の命は保障される」……といった内容のものだ。
クラインは、再び数々の書類を書き進めながら、我ながらよくこんな一方的な契約を結んだものだ、と呆れたような、それでいて少し愉しそうな、真意が読み取れないため息をついた。
今更この契約を破棄しようとすれば、その時点で俺はネウに殺されてしまうだろう。だとすれば、この契約を完遂するか、時期を見計らって、両者の納得が得られれば、すぐにでも打ち切りにするのが得策と言える。だが、少なくとも今はその時ではない。
ふと、ネウが窓の外を指さして叫んだ。
「! ねぇクライン、あれは何かしら?」
「ん…………何だ、もう着いたのか」
「予定より一日ほど早いですね」
ネウがパンの食べかすのついた指先で指したのは、水平線の先にうっすらと見える島だった。
クラインの記憶によれば、島の大部分を占める街は堅固な灰色の城壁に囲まれ、まさに難攻不落を思わせるような要塞都市が顕現している、南方大陸における交易の要所。それがガーボヴェルディだ。
「あれはガーボヴェルディだという都市だ。俺も何回か行ったことがあるが」
「どんな街なの?」
どんな街、と聞かれて、クラインはとっさに記憶の倉庫からガーボヴェルディに関する情報を引っ張り出した。
「ああ、……なんというか、全体的に堅苦しいイメージがしたな」
「ふぅん。あの、蛮族みたいな軍隊が堅苦しそう、ねぇ」
ネウはあとわずかになったパンを口に放り投げて一気に完食し、目を若干細めて遠くを見つめながら、不思議そうに言葉を吐いた。
どれだけ目が良いのか。未だ建物の形でさえまだはっきりとは分からないし、ライサですら目を細めて建物を確認しようとしているのに、ネウはもうすでに人影を確認することができるらしい。さっき、事細かに街の様子を説明できたのも、一度寄港したことがあるからに他ならない。
そうか、ネウが不思議がるのも無理はない。見えてはいないが、「以前は」ポルトギア王国一精鋭で規律のある軍隊と言われていたのだ。
確か、海賊に都市を陥落させられた後は海賊が統治権を握っていて、海賊があの島を防衛していると、ブレヌフから聞いた。聞いたのはその事実だけだが、無論、その後は海賊がこの都市の軍事権も掌握していることは見なくてもわかる。ブレヌフに金を支払って手に入れる情報に嘘は無いが、こればかりはなかなか受け入れがたかった。
それにしても、どうして王国軍一の精鋭を誇る守備隊が、異教徒ならまだしも、海賊相手に島を明け渡してしまうような結果になったのだろうか。まあ、今のネウにとってはそんなことはどうでも良いのだろうが。
ネウは眼が良いためにこの遠い距離からでもガーボヴェルディ城門の様子がはっきりと見えるらしいが、クラインはそうではない。どちらかと言えば眼は悪い方なので、実際に見える島は、ぼんやりとした、淡い緑の苔が水平線の先にちょこんと乗っている程度にしか見えない。
ガーボヴェルディだ、と即答したのは、このあたりの海域にはガーボヴェルディのある島以外の島が存在しないからだ。クラインがネウの問いに答えられるのはもっと船がガーボヴェルディに近づいた時だった。
「……ああ、昔はそうだったんだが、海賊に落とされていてな。今じゃ荒くれ者の海賊が統治しているらしい」
「へぇ、そうなの」
クラインが急いでさっきの発言に付け足すと、ネウは矛盾が解決したようで、ニッコリと笑みをこぼした。
「ガーボヴェルディの肉料理は本当においしいですよ?」
「本当?」
「ええ」
ライサはネウに向かってガーボヴェルディの肉料理について、持ち前の上手な語り口で、時折、手の動作なんかを付け加えながら話した。南方大陸ならではの味付けの仕方、食べ物などの話だ。それを聞いているときのネウはとても幸せそうで、かすかに見えた牙が生えている口元からは、涎があふれ出てきそうだった。
こんなにまで幸せそうな顔ができるのか。当の人間であるクラインよりも、ネウの方が断然人間らしい。それを思うと、クラインはほんのわずかに、ネウが羨ましくなった。
明けましておめでとうございます!
今年からも、宜しくお願いします。




