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幻想見聞録  作者: 藤宮周水
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第三章⑲

「でも、やっぱり」


 ネウは、食べていた黒パンにかぶりつく動作を不意に止めた。


「お願いよぉ」


「お前、なあ……」


 ネウは急に玉座の如く居座り続けたソファから立ち上がり、クラインにねだり始めた。諦めたのではなかったのか。


 ネウは嫌なことに、どんな態度を取れば相手に自分の思うような行動をとらせることができるかをはっきりと理解している。それがクラインにとっては甚だ厄介であった。


 ネウは冗談なのか本気なのか、いや、冗談に見せかけた本気か、自身の可愛さを最大限に生かした猫なで声でねだってくる。


「お願いよ」


「……ああ、分かった。ちゃんと、小麦のパンを食べさせるから、もうこれ以上駄々をこねないでくれ」


 ネウの可愛さに負けたわけでは無いが、クラインはネウの押しに負け、ついに小麦のパンを港に着いたら食べさせることを認めた。これでクラインの財布は空っぽだ。ライサの財布と比べると、圧倒的に中身の銀貨の量が違う。何故だ。


「うん。それでいいわあ。正しい選択ね。でもね、石綿なんて私に食べさせようなんて考えるものじゃないわよ?」


 ネウは、鋭く口の両端に生えた牙をちらつかせながら、にやりと笑った。瞬時に、クラインの背筋を不確かで実態を持たない冷たく嫌なものが走り抜ける。


 忘れていた。俺が座っている硬い木の椅子とは違い、外客用のソファにまるで王侯貴族の様に再び座っている娘は外見こそまだ年端もいかない子供だが中身は千年も生き続ける吸血鬼なのだということを。


 今でも忘れようにも忘れられない、あの黒曜石のように黒く光るコウモリの羽は、都合のいいことに出し入れ可能らしい。もしあの羽が収納できないものだったとなれば、ネウはずっと船の中だっただろう。


 その鮮血のような真紅の瞳の奥には、クラインの心が硝子のように見透かされているとしか思えない。


 だが、吸血鬼と言えば。クラインはふと、吸血鬼が相手なら抱いて当然の疑問をぶつけた。


「なあ、俺は吸血鬼は太陽の光に触れると灰になる、なんてことを昔聞いたがそれは本当なのか?」


「確かに、伝承ではそう言い伝えられていますね」


 クラインは、ごく普通に窓際で日光に当たってのんびりとくつろいでいるネウに対し、先程頭の中に浮かんだ疑問を提示した。ネウは吸血鬼であるはずなのに、普通に朝日に当たり、日光を浴びている。伝承では、吸血鬼は日光に当たると、たちまち灰になると言われているのだが。


 するとネウは呆れたような顔つきになり、少々の怒りが感じ取れる呆れたため息交じりの表情でその問いに答えた。


「ああ、そのことねぇ。太陽の光程度で死ぬなんて、未熟もいい所よ。私は太陽の光を浴びても死にもしなければ、弱ることもないわよ。他の雑多な吸血鬼と一緒にしないでくれるかしら?」


「どうして他の吸血鬼とお前は違うんだ?」


「私は、強いから」


 ネウは、さも自分が言ったことをクラインに認めさせようとするかのように、太陽の光を受け止めるように手を広げた。が、何を思ったのか気持ちよさそうに背伸びをした瞬間、すぐに体をちじこませてソファの、窓から日光が当たらない影の部分に身をひそめた。


 クラインは思わず吹き出し、事務机の上の紙の上を走らせていたペンを置いた。


「どうした? 太陽の光は大丈夫なんじゃなかったか?」


「だ、大丈夫よぉ! けどね、日光は日焼けするから大っっ嫌いなの!」


 太陽の光に向かってネウはべえ、と赤い舌を出した。とっさにライサは、カーテンをさっと閉め、熱帯の強い日の光を布越しの弱いものへと変えた。嫌いな理由が、日焼けとは、本当に吸血鬼には恐れ入る。されど、ネウにはもう少し日に焼けてもらった方が、健康そうな感じがして、印象も良くなりそうなものだが。


 ネウはむっすりと顔をしかめて、口をへの字に曲げた。千二百年も生きている、とは言ったものの、その反応はまるで子供の様にしか見えない。


 それでもあの夜の出来事はクラインの頭に鮮明に残っている。この娘が吸血鬼なのは、食べかけのパンに噛り付いている口元を見ればすぐに分かる。そこには確かに誤魔化しようのない鋭い牙の歯型がある。


良いお年を!

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