第三章⑨
剣道二段受かりました!
クラインはとっさに表情を元に戻すと、ネウに訊いた。
「じゃあ腹は減ってなかったのか?」
「いいえ、勿論お腹は空いていたわよ。……ただ、よりおいしいものを、どうやって貴方にご馳走してもらえるかを考えていたの。ただねだるだけじゃあダメだと思って、ね?」
そう言い放って、ネウはまた、子供のように無邪気で屈託のない笑顔をクラインに向けるのだ。考えるに、その笑顔に裏も表も無い。ただ、「ご馳走様」という言葉をそのまま表しているだけだ。
「はあ……」
「ご馳走様でした。美味しかったわ」
思いっきり、大きなため息をつく。もう、幾度となくついてきたため息だったが、今回のは特に大きかったような気さえしてくる。しだいに、諦めたような感情も多さ待って行った。
「それにね、もし、私が普通に頼んで、貴方が断っていたら、私は空腹に後押しされて絶対に貴方を脅すわよ。例えば、こう……「銅貨十二枚で命が救えるなら安い物じゃないかしら?」って」
「……だな。容易に想像できる」
そうだ、ネウは常に自分より上に居る。その気になれば俺を殺すことも可能なわけだし、殺したところで、天涯孤独の吸血鬼のネウに支障が出るとは思いにくい。クラインは珍しく、商人でも、軍人でも貴族でもない相手に押されていた。
しかし、こういう時に必ず弁護してくれるのがライサで、ライサはネウに向かって口を開いた。
「でも、普通に頼んでも、主人様は買ってくれますよ?」
「お酒は買ってくれなかったじゃない」
「あっ……痛い所を突きますね」
ライサは、ネウの一言に気が付き、納得いかない顔つきでネウを見ていた。だが、心のうちはクラインと同じなのだろう。徐々に、ネウを見つめる目が、悪戯して叱られた子供を許すような、温かい目に変わった。しかし、ここでひとつ言っておきたいのは、確かに必要だと思ったものは買うが、必要ないと思ったものは買わないだけだ。ライサが頼むものは大抵が必需品なので、買うが、ネウの酒は必要ないと判断して買わないだけだ。そこを誤解してくれないと良いが。
「銅貨十二枚」
ネウが、またまるで天使のような笑顔を向けてきた。それがまたしても、クラインの怒りを萎えさせるのを手伝う。
一度考えてしまうと、たかが銅貨十二枚だ。それで自分の命が救えたのなら、安いものだ。ネウの発言が正論に思えてきた。もう、怒りさえも長く尾を引かない。
もはや反論する気すら起こらないので、無造作に応える。
「……ああ、確かにそうだ。銅貨十二枚で、俺の命が救えたなら、安いものだった」
「あらそう。てっきり、私に掴みかかって来るかと思って身構えちゃったじゃない」
俺はそんなに暴力的な考え方はしない、とクラインは自分の心に言い聞かせ、苦い笑いで答えた。
仮に、いくら腸が煮えくり返りそうになるくらいの憤怒がクラインを襲ったとしても、その怒りをどこにぶつければいいのか。ネウにぶつければ、瞬時にクラインの視界から光が消えることは容易に想像できる。そう考えると、もはや策にはまったことなんて、どうでもよくなっていた。




