第二章⑭
実のところ、クラインは下の上では涼しい顔をしてネウの会話に応じていたが、心のうちは冷静とはとても言い難いほど、焦っていた。次の話題をどう出すかだ。なるべく、会話が長引くような話が好ましい。何故、こんなにあせってまで会話を長引かせようとしているのか。
なぜなら話を長引かせるということは、今のクラインにとって自らの寿命を延ばすことと同義語になる。ネウはそのことを幸いなことに忘れてしまっているだろうが、こちらは「話を聞き終わるまで」が、生きていられる時間、いわば寿命なのだ。
話が終わってしまえば、その瞬間ネウに食い殺される。
ネウは、クラインの発言に、満面の笑みを作り出した。ネウにはすべてお見通しだったのだろうか。それが純真な笑顔だとは微塵も思えず、クラインは今までの全てが無駄な悪あがきだったと後悔し、肩を落とした。
「さて、私はまた旅に出ることにするわあ」
「!」
「……やはり、俺達を喰う気でいたか」
「いいえ、気が変わったわ」
ネウのあっさりとした答えに、クラインは思わず、動揺してこわばっていた表情を崩さずにはいられなかった。途中から引いていた汗が、まるで大雨の後の川が氾濫でもするかのように吹き出す思いだった。
「やはり、頭からじゃなく、血を吸い取ってから喰うことにしたか」
「違うわよぉ。「貴方を喰うのを止めた」のよ」
「……俺を喰うのを辞めた、ってことか」
「残念そうな顔をしているわねぇ? ん? 喰って欲しかったのかしら」
「いや、それは結構だ」
とりあえず、喰われてほしいわけでは無いのでクラインはネウに有無を言わさぬように首を強く横に振った。その対応が面白かったのか、ネウはからからと笑っていた。
「貴方達は、今のこの世界の情報に詳しい職業の人間と見たけれど……」
「ん……まあ、俺達も見せ掛けで商人をしてるわけじゃないからな」
「だから、貴方を喰うよりもあえて助けておいて、奴に関する情報を集めさせて居場所を特定させれば、奴を捕らえる時間がぐっと短くなると考えたのよ」
ネウはさも名案を閃いた、と会心の笑みを浮かべた。だが、そんなネウの考えに同調できるはずもなく、今クラインの頭の中にあるのは「殺されるのを免れた」という安堵の感情しかなかった。
「安心しているようだけれど、貴方達が役に立たない、ってわかったらすぐに食い殺してあげるから、その辺は常に心の中に止めておくことねぇ」
「……飼い殺しにするつもりでしたか」
「違うわよぉ。どうも語弊があるわね。私がコンラルトを殺したら、すぐに貴方達を解放してあげるわあ。勿論、私といたときの記憶はぜーんぶ、消させてもらうんだけど……」
ネウは、辺りを照らす月を背景に、窓枠に腰かけた。
要約してしまえば、余計なことはせず、さっさとコンラルトを捜し、ことが済んだらネウに関する記憶だけを全て消させてもらう、ということだ。これはある種の契約、と言ってもいいだろう。いや、実際にこれは契約なのだ。だとしたら、クラインが自分の命と引き換えに手に入れるものは……。
「おい、その考えに俺は特にこれと言った異存はないが、その契約の見返りに俺達が手に入れるものはなんだ? これはれっきとした取引だ。今の場合だと、俺達は損しかしていない計算になるが」
「ああ、それを忘れていたわね」
クラインがネウに問いかけると、ネウは少しの間、空を見つめた跡、クラインの方を向いて答えた。
「そう……私のさっきの提案に反しない限り、貴方の命は保障される……これでどうかしらあ?」
「海賊が襲ってきても、嵐に出会っても銅貨一枚分の損も出さないというのか」
クラインが全く信じられない、と半ばあきれて深くため息をついているのにもかかわらず、ネウはからからと笑いながらクラインに向かって静かに頷いた。
「ええ勿論……と言いたいところなんだけれど、それだけじゃあ、不満そうねぇ?」
「当たり前だ。命と釣り合う重さの対価なんか、そうそう簡単に見つかりっこないからな。俺だって商人だ。命が惜しい」
すると、ネウはクラインの目の前に突き出した一本の指を突き出し、それを二本に増やした。
「ふふ。じゃあ……貴方の商売の協力をするわ」
「ば、馬鹿なっ、そんな条件で釣り合うとでも?」
まさに論外。そう言わざるを得なかったのだ。自らの命と引き換えに手に入れられるものは、「それまで」の安全の保障、並びに「自分たちの商売の協力」こんな取引が成功するはずはない。こんな単純な条件で簡単にネウへ魂を売ってしまってもいいのか。
「私は絶対に死なないし、海賊も追っ払えるし、頭だってそこそこ良いわよ?」
「頭の良さだったら、ライサも引けを取らないと思うが」
「いえ、そんな」
ライサは、頬を染めて首を振った。
「ずっと一人で生きてきたんだろ? 少しぐらいこちらが有利になるような条件を付けてくれてもいいものだと思うが」
クラインはネウの気に触れないよう、なるべく気に障らないように言葉を選んだつもりだったが、残念なことにクラインが数ある言葉から選んだ言葉は、ネウを深く傷つけてしまうものだった。ネウは、外面では瀟洒な表情に少しの代わりもないものの、内面は深く傷ついていたのだ。




