朝焼けの王都
一章
「ライサ、乾パンは積んだか? レモンやオレンジは? 生野菜の量は十分か? 水はどうだ? 大砲の手入れを怠るな。もしもの時になって使えないなんてことは許さないからな」
「はい、九分通り積み込みましたし、大砲も手入れはしておきました。それに、今回の交易品であるサフランも全て積み込みましたよ」
「なら、良い。偉いぞライサ。もうすぐ出航できるな」
海運立国ポルトギア王国の王都リシュボアは西方一、景観が美しい都市と謳われるが、リシュボアで一日に動く交易品や貨幣の枚数、人間の出入りの人数でも、景観の美しさ西方一という評価に引けを取らない。
そしてさらに、西方一商人たちの声が大きい都市としても名を馳せる。それは、この都市が西方大陸の最西端に位置することから、数多くの新人冒険者や新米商人たちの南方大陸、新大陸の探険や、商売のスタート地点となり、自然と人が集まってくるからである。
元々は、この国の商人たちの出す声がやかましく、大きく声を張らないと会話すら騒音にかき消されて成立しない、というのがそもそもの名の由来ではあるのだが。
さらに、リシュボアは西方の最も西に位置する波の穏やかな広い湾に築かれているため、多種多様な国家の、独自技術を施したカラック船やガレー船、さらには海賊討伐のためのガレオン船といった、様々な船がこの港を拠点に世界中へ個々の目的を持って海へと旅立つ。だから、貿易の一大拠点であるこの都市に、西方中で強い勢力を持つ商会の支店や本店が中心街に軒を連ね、商人たちがこぞってこの都市にやってくる。
だが、そんな騒がしいのが当たり前のようなこの都市も、夜明け前の薄暗がりの中ではひと時の静寂を楽しんでいるかのようだった。
赤みがかってきた東の空を背にした男女の二人組も、船に次々と運び込まれていく木箱や麻袋を眺め、満足そうな笑みを浮かべていた。恐らく二人供、立派に船を持つ貿易商人なのだろう。
「今回は初のシンド大陸西岸、グアへ向けての航海だ。暑い熱帯の気候に対応できる装備が必要になるからな。積み荷もよく確かめておかないといけない」
「はい、そうですね。そして、この航海でまた私達のアルベルト商業同盟の勢力が広がるのですね、主人様」
「違うな。同盟のためなんかじゃない」
「? では、何でしょう」
ニヤリと口の端を引いた艦長に、副艦長は首をかしげ、聞き返した。
「俺達の、儲けのためだ」
「そうでしたね」
碧い目をした副艦長は、金糸のように黄金色をした髪をゆらし、可愛らしくクスリと笑った。
リシュボアの広い港の中央埠頭に浮かぶ、見る者にずんぐりとした印象を与える艦船はマストに高く、青十字架の旗を掲げている。その旗は、ポルトギア王家の紋章だ。それを掲げているという事は、その船はポルトギア王国所属の船であることを意味する。
その木造艦はガレオンという大型の船だ。しかも、港に停泊している多商会の商船はおろか、軍用ガレオン船と比べても、大きい部類に入る。
荷物が運ばれていく先の艦船は彼らの所有物だ。体中に筋肉を張り付けた屈強な男たちが、彼らの船に次々と木箱を運び込んでいく。もうかなりの量を詰め込んだかと思われるが、船の大きさからすると、まだまだ木箱は船倉に入りそうだ。
船の大きさは、その船を保有する勢力の経済力と影響力に比例すると断言しても過言ではないため、この二人の所属する「アルベルト商業同盟」という商会の経済力と影響力が相当なものであることが推測できる。
「しかし、何故シンドなのでしょう? 近場で確実に儲けるのなら、マデイラ島でも、或いはこれから目指すセウタ港で引き返して往復してもよかったのでしょう」
副艦長の疑問に、艦長はすっかり眠気の覚めきった、はっきりとした口調でその疑問に答えた。
「シンド大陸の西部沿岸は七十年前にポルトギア王国の探検家が沿岸部を探索して以来、いくつもの拠点を中心に港が作られてきている。中には、リシュボアにも引けを取らない都市もあると聞く」
「はい、そうですが……南方大陸を無事に超えてシンドに辿り着いたとしても、貿易ができる状態にあるとは限りませんよ?」
「まあ、そうだ」
六十年ほど前、ポルトギア王国が誇る大提督がはるか南、未開の大陸、当時は暗黒大陸と呼ばれていた南方大陸の南端を回り、シンドと西方を結んだ。
そして、大提督はシンドの珍しい香木、香辛料や数々の金銀財宝を持ち帰り、ポルトギア王国に莫大な富をもたらし、長らく異教徒によって立たれていた東方貿易を復活させたのだ。
そして、現在。少しずづシンドへの商人が増え、東方貿易もリスクと利益が、成功すれば億万長者、失敗すれば魚の餌と言った具合に一獲千金を望むものには十分すぎる差になって来たのだ。
「しかし、だ。その一方でまだ開拓されて日が浅い都市も多く残る。そういった新興都市に商会の航路をつないで航路と港を独占すれば、より多くの富を稼ぐことができるからな。上手くいけば、一回の船旅で億万長者だ」
これから二人の目指す先であるシンドへ向かうための中継都市であるセウタという都市は一年中暑さと密林が支配する南方大陸の北岸に位置し、南方大陸の他の植民都市と比べると、比較的治安は良い都市だ。
艦長の説明に副艦長はやや不服そうに首をかしげた。その瞬時に身をちぢめたのは、艦長と呼ばれる男に睨まれたからではないだろう。
「成程……だから、まずはセウタですか。でも、そう上手くいけばいいのですが」
「なんだ、心配か?」
だんだんと夜が明けてきて、葉をほとんど落とした枯れ木が彩る東の山々から赤みを帯びた太陽が西の空目指して登り始めた頃。次々と二人の目の前のガレオン船に運び込まれる樽や木箱を見つめ、見た目二十代前半でやや神経質な雰囲気を醸し出している「主人様」と呼ばれている青年は不敵そうに口を開いた。
その反応に、澄んだ蒼い瞳をした女性はわずかにうなずいた。その副艦長の名を、ライサ・クラインという。歳は十八。華のように美しく、髪は貴族もため息をついてうらやむほどの、金糸で出来たかと錯覚するくらい綺麗に金で染まったそれは所々、麻糸で結んであるものの、上腕に届くくらいの長さがある。彼女は大人の色気を感じる一方でその顔立ちからはしっかりとした芯のある性格があることをうかがわせる。
どちらかと言えば、力仕事が中心の船乗りよりも優雅な大貴族の雇う使用人に向いているのだろう。
彼女は大変に心の広い人間で、人望も高く、船の乗組員からの信頼も厚い。丁度、その船の艦長と正反対の性格を持つ人間と言うと、彼を知っている人物に対しての彼女の紹介は事足りる。
ライサは首にかけている、祈りをささげる少女を模った銀製の小さな像を握りしめて祈りをささげた。
それを視界の端に見た艦長は、ライサの行為を鼻で笑い、次に声を上げて噴き出した。何もそんなに笑う事はないでしょう、とでも言いたげに口を開いたライサが言葉を発するより早く、艦長はまだ若干の笑いを引きずりながらライサを指摘した。
「クッ、ライサ、何だそれは。お前はそんな子供なんかを信仰しているのか? だが残念なことに、我が船に乗せる幼子はいない。幼い子供など、乗せても足手まといにしかならない」
「違いますよ主人様。この子は海の神様をモチーフにした聖像ですよ。これからの航海の安全を祈ってですね」
「ああ、そういう事だったか」
「ええ」
艦長は納得の表情でもう一度その聖像を熟視した。目が悪く、一見ただの少女の増にしか見えなかったが、よく見れば聖母の像だった。確かに、鰯の頭もと言う。考えれば、信じないよりは信じた方がいいこともある。
「日頃、こうして何事も無く平和に航海できるのは、広く優しい心を持ったこの聖母のおかげですよ」
「成程。有難いことだな」
ライサがまるでほれぼれしたかのようにその聖像を眺めるので、思わず艦長は一言付け加えた。
「だがしかし、船上での過剰な信仰は禁物だ。お前に信仰心があるというのは分かっている。だが、もしもと言う時に、そいつが足手まといになったらどうする。俺は、たとえ相手が神サマだろうと、船員の命を優先する」
「はい、……主人様」
当たり前だろう。いるかいないか分からない髪よりも、自分の手となり足となり働いてくれる乗組員の方が大切だ。
ライサは露骨にがっかりしたような表情を垣間見せ、その表情からは落胆している様子がうかがえた。しかし、ライサはいつ、どんな時でも洒脱した雰囲気を出しているために、どこまで本気かはわからなかった。
そして、艦長はすぐに口元を開き、声を低く威厳のある声から一変させて優しげな口調でライサに出航を告げた。
「さあ、船出の時だ。朝日は俺達のために輝いている」
昇る朝日に背を向けながら帆を張る準備をし始めた船に向かい、艦長はつかつかと歩き始めた。その後を、ライサは艦長の対応にやや満足いかない様子ではあったが、すぐにいつもの明るい笑顔に切り替え、軽い革靴を鳴らしながら着いて行った。
この艦長の名を、ドラガーナ・クラインという。二十五歳にして、商会の保有する一隻の船の艦長にまで登り詰めた、名実ともに才能ある若者である。
彼は外見で言えば、かなりの好青年であると言える。綺麗に生えた濃い亜麻色の髪、整った顔立ち、男性の中では高い方に入る身長、細身だが筋肉質な体は、才能を持った若者にはふさわしい外見だ。
十二の時に商会に入り、十八で独り立ちし、貿易商人となった。彼はその歳で多くの功績が認められているが、残念なことに彼は人から好かれるような性格の持ち主ではなかった。
人との関わりに重点を置く職業に就く人間のほとんどが宗教や奇跡などの不確かなものを信じない啓蒙主義者であるように、実力主義者であるクラインは、部下から若くして成功を収められるその才能を慕われることはあっても、人格、性格という点において見習うべき点は多くない。不要なもの、役に立たないものは一切の慈悲無く、切り捨てるような人物として人々の目には映るし、実際にもその通りであった。
まるで自分以外に信じられる人間はいない、と周囲の人間に言葉を発さずとも感じさせるほどにクラインの心が今までに別の誰かに開かれることもなかった。唯一、従者であるライサにだけは、その心の内をわずかに開くことはあっても、多くは語らない。
たまに商売上で笑顔は作るが、その眼の奥にはこの世の一切合財の絶望を寄せ集めたような瞳があった。
とても、脅し以外にこの男に命令できる奴はいないのだろう。彼と会話した者の多くにそう言った印象を与えていた。
第一章です。少しずつ、読んでくれる人が増えてくだされば、
幸いです。