第二章⑪
「私はねぇ、千二百年間生きてきたけれど、そのうちの六百年もの間、ずっと「ある男」を探し続けているの」
「まさか、俺がその奴なんじゃあないだろうな」
「そいつは貴方の様に腰抜けじゃあないわよ」
ネウは浅いため息をついて、クラインの考えを否定した。俺は、そんな吸血鬼に追われるようなことをしでかした人間ではないか。よくよく考えると、行き過ぎた妄想であった。
「腰抜け、ねえ」
「ええ。ここから、ここまでがすっぽりと」
ネウは腰に手を当てて、そこから足の付け根まで指を動かした。クラインが少し表情を濁すと、ネウは小さく噴出した。
「腰抜け」とネウにさらりと言われたのが少なからず心の底にたまったが、クラインはそんなことを気にもしなかったかのように平静さを保った。今までにどれだけ、もうすべてを投げ出したくなるようないやみを取引相手から言われて、涙をのんだことか。それに比べれば、何という事は無い。
そして、ネウはふと古い木枠に囲まれた暗がりのセウタの街の遥か彼方の地平線を憎々しげに睨みつけて、さもその風景のどこかにその男がいるかのように歯を食いしばった。弓と矢を持っていたら、今にも射抜くぞ、と言わんばかりに。
「そいつは、負け知らずの私の戦歴で、唯一、ただ一人、私を殺した、忌々しい男よ」
「唯一……となると、今までお前が殺してきた奴等よりも格段に強かったのか」
「当たり前よぉ。ある時、「吸血鬼討伐」のために私のところに来た「奴」は、吸血鬼の私にさえも通用するような力を持っていたのよ。そして私がもう戦えなくなったと判断すると、何処へと消え去っていった」
ネウはクラインの眼をしっかりと捉え、言い聞かせるようにして話し続けた。こちらを向いているはずの視線が時たまちらちらと窓の外を向くのは、その「男」に警戒しているからだろうか。
「そうして殺されて以来、私は奴を捜し、今度は私が奴に引導を渡すために旅を続けてきたのよ」
そこでネウはバッサリと会話を終わらせると、寄りかかった窓枠から離れた。
「……そうか、ところでひとつ聞きたいんだが」
「ん? なによぉ」
ネウは吸血鬼だ。人間をはるかに凌駕する強大な力を持っていることはもううんざりするほど分かっている。だが、一つ引っかかる。それは、何故一度「殺された」のに、今クラインの目の前に立っているのか。もしや、幽霊なのか。だとすれば肌が白いのも納得がいくのだが……。そんな突飛な考えまでもがクラインの頭をよぎった。
「何故、一度「殺された」のに、お前は今、こうして生きている? ……「殺された」のなら、今お前の目の前に立っている奴はなんだ」
クラインが恐る恐るネウに尋ねると、ネウはにやりと妖しげに微笑んで、クラインに近寄った。
「疑っているようね」
「それは、そうだ」
「なら、触ってみる?」
「な! 何を!」
ネウが、急にクラインの手を掴んでネウの胸に当ててきたのだから、クラインは思わず反射的にネウが引く手を振り払って手を引いた。
「主人様!」
「冗談よ」
するとネウはまた、からからと笑いだした。その一方で、驚いてクラインに近寄るネウに対しライサは不機嫌そうにネウを睨みつけた。
「生きてるわよ。まあ尤も、貴方が疑うのも無理ないわね」
「……」
確かにネウには体温があり、ほんのりとした温かさが掌を伝って感じることができた。体温があるという事は、つまり生きているという事だ。
どうやら、ネウは正真正銘、「生きている」吸血鬼らしい。ネウが亡霊で、クラインに取りつこうとしたのではなかったのだから、その点は安心した。亡霊でさえ取りつかれることが厄介なのに、吸血鬼の亡霊なんて考えたくもない。
「吸血鬼は人間に対して、どんな危害を加えるかしら?」
「それは決まっています。人間の血液を吸う事です」
ライサは、クラインが応えるやり早く、ネウの質問に対して回答した。
「いい? 「人間の血を吸う」っていうのは、「人間の命を吸う」ってことと同じになるの」
「いや、しかし全部の血を吸うわけじゃないだろ?」
「ええ勿論。でもね、貴方にもわかりやすく、猿でもわかるように説明してあげる」
「猿は分かるかもしれんが、俺には理解できんかもしれんぞ?」
クラインは得意げに話すネウに対して自虐的な言葉を吐いた。するとネウは顔をほころばせ、小さく笑みを作った。常に殺気が流れるようなピリピリとした空気を少しでも和らげることで、自分の心の中にゆとりを作ろうとしたのだ。
「大丈夫よ。貴方でも簡単に理解できるはずだから」
「じゃあ話を聞こうか」
「そうねえ、命=血と考えると、血の量が命の量に値するのよ」
この答えに、クラインは思わず「なるほど」とつぶやいてしまうほどに納得した。確かに、屈強な男たちが戦いで驚くような怪我を負ってもなかなか死なないのは血液の量が多いからだと聞く。
「だから、血を吸う人間の血を半分でも飲めば、その人間の命の半分を奪ったことになるの。今までに……そうね、だいたい百万人くらいは吸ったかしら」
「百万人も……?」
「ええ。総計で言えば、ね」
ライサがふと驚きで洩らした言葉に、ネウが答えた。
百万人といえば、人口の少ない小国ではあるが、ポルトギア王国の全人口と匹敵するほどの人間の数だ。
そうなると、ネウはいくつもの国の人間の命をその小さな体の中にしまいこんでいることになる。そう考えるとクラインの視界には、ネウを靴のつま先から銀に光る髪の端までの全身が目に入った。華奢で小さな子の体に、百万もの人間の命が入っていると思うと、クラインの背筋を冷たいものが走る。




