第七章⑩
これにはさすがのネウも少し意外だったらしく、わずかに表情が変化した。ウルバーノは服に着いた漕げを払うと、小さく咳払いをして、口を開いた。
「まあ、私ももう人間ではありませんので」
「そうね。でも貴方が化物である限り、貴方が私を倒せる確率なんて、万に一つどころか、億に一つ、兆に一つもないのよ」
「そうですかねえ?」
ウルバーノはくくく、と口を歪めて笑うなり、体勢を整え、またネウを斬りつけにかかった。
それも、今度は一度ではない。クラインとライサには眼にも止まらぬ、化物じみた、いや実際に化物の速さで幾度となく切り付けた。ウルバーノがナイフを一振りする度、ネウの真っ赤な血が辺りに飛び散った。
「ネウさん、援護します!」
ネウがただ一方的に攻撃されているのをただ見るだけの状況が我慢できなくなったのか、ライサは素早くベルトからナイフを抜き、ウルバーノに向けて三本のナイフを一度に投げた。
「はあっ!」
「!」
一瞬、ネウにも当たってしまうのではないかとクラインは危惧したが、その心配が無いことはすぐに思い出した。
なぜならば、ライサは投擲の天才と言っても過言ではない名手であるからだ。
ライサが三階建ての建物の屋上に居たとしても、そこからしっかりと確実に、大通りを隔てた向こう側の建物の一階の窓際の椅子に座っている人間の持つコップに命中させることができる。
だから、これくらいの至近距離にいる二人のうち、ウルバーノだけを狙うことなど、訳も無いのだ。
「グアァッ!」
「命中です」
先程はドロドロに溶かされてしまったナイフだが、今ライサが投げた三本のナイフはネウを避けるような軌道を描いて、しっかりとウルバーノの肩と右腕に刺さった。すると、刺さったところからまるで香料を焚いたような白い煙が湯気の様に立ち上った。
「小癪な真似を!」
ウルバーノはすぐさまネウを突き飛ばして攻撃を止め、右腕に刺さった二本のナイフを引き抜くことに集中し始めた。
ウルバーノに引き抜かれたそのうち一本のナイフが、無機質な音を立てて床に落ちた。だが、ナイフはあと二本もまだウルバーノの腕に刺さっている。あと二本抜くのに、普通であればそうそう時間は経たないだろう。
だが、そこはライサの投げたナイフだ。同じ距離でも自分の力では引き抜けないくらい強く刺すことも、肌に触れただけで、刺さりもしないくらい弱くすることもできる。
この場合は前者で、ウルバーノはナイフを引き抜こうとする腕に、血管が浮き彫りになるほど強く引き抜こうとしたが、力を込めて抜こうとすればするほど、比例して刺さった場所からは赤黒い血がどくどくと流れ出ていた。
「クッ、この、クソッ、グ、ハアッ!」
ウルバーノは自分の体を虫食むこのナイフを一本でも多く、一秒でも早く抜くために必死になってナイフを引き抜こうと試み、やっとの思いで残りの二本を引き抜いた。
右腕の、ナイフが刺さっていた後はまるで腕が、燃え尽きた炭の様に白く灰に変わり、肩からボロリと崩れ落ちた。床に落ちると同時に、右手は腕から分裂して、腕を飾っていた、ウルバーノ自慢の金時計は床に落ちた。
「ハア……ハァ……」
「投降してください。そうすれば、これ以上の攻撃はしません」
ライサは崩れ落ちるウルバーノにナイフを向けて、降参するように提案した。ライサも、本当はこんなことなどしたくは無かったのだろう。まだ怒り心頭に達しているウルバーノに向かって降参を進めるにはやや早いような気もしたが、クラインも同じだった。
「降参……ねえ」
「はい。私も、元人間の貴方にこんなことはしたくありません。ですが……貴方がまだ私たちに抵抗するようであれ、ば……!」
「ライサッ!」
突然、ウルバーノは立つ気力を失ったかのごとく、ふらりと幽霊のように立ち、一瞬にしてライサに詰め寄ると、残った左手でライサの首を絞め始めた。
「か、は……ッ!」
「冗談言っちゃあいけませんよ。こんな、右腕を奪われるような醜態をさらして祖国へ帰れと言うんですか? それに、コンラルト様は「勝つために」この力を授けてくれたんですよ? ……こんな、無様な負け方をさせるためにこの力を授けて下さったのではない! この小娘が!」
ウルバーノは遂に吸血鬼としての本性を現したのか、目をむき出しにして言葉遣いを荒くした。
見れば、三本も銀のナイフを刺されたことで体の再生能力がほとんど無くなったらしく、ライサの首を絞める左手の小指がポロリと落ちて灰になって消えた。しかしそれでも依然として超人的な力は変わっておらず、ライサは苦しみもがいた。
寒くなったり温かくなったりです。




