第二章⑦
今回は短めです。
ブレヌフは今でこそ放浪の情報屋として働いているが、昔はいくつもの都市に幅を利かせる大商人だったのだという。それほどまでに莫大な財産を持っていたのに何故、交易商人を辞めて情報屋になったか。それは、結婚したからだ。ブレヌフはとある町で好みの女性を見つけ、持ち前の達者な口と豊富な語彙でその女性を仕留め、上手いこと結婚にまで運んだのだという。商売の道から身を引いてもなお、街から街へと放浪生活を送るのは、もともとの性格なのだろう。
船の上での仕事なだけに、船乗りに既婚者は少ない。そして大抵、貧しい家の出の人間が多い。それは、自分が生まれ育った町に居ても、何もいいことが無いと悟り、船乗りになるからだ。船乗りになれば、いずれはいいことが起こると信じて旅立つのだ。クラインも昔は孤児であり、近所の小さな修道院に迎えられたあと、商人となった。昔の事なんて、ほとんど覚えていない。それは、大半の船乗りに共通したことでもあった。
船乗りになる者は祖国や故郷が嫌になって、別の場所で新たな人生を歩もうと船乗りに志願するのだ。過去の記憶など、大していい記憶でもないので、自然と忘れていくのだ。自分の出身地は覚えていても、両親や家族構成、船乗りになる前のことを訊かれると、誰もが口をつぐむ。
クラインにも、ブレヌフのような、恋なんていう素敵な出会いがあればよいのだが、そんなものはクラインが知らない間にどこかの運のいい奴がごっそりと根こそぎ全て持って行ってしまう。
時たま、酒場に寄った時にクラインの好みの美人に出会うことがあるのだが、強い酒を大量に飲まされて無理やり眠らされた挙句に財布と一緒に消えているなんてことが昔はざらにあった。
勿論、それがライサにばれたときにはライサは世にも哀れな顔をして、私じゃダメなんですか……と、泣き出しそうになったので、ライサとともに船旅をするようになってから、他の女とはもう誰とも付き合ってはいないし、手を出してもいない。だが、あの時の顔だけは百回寝ても忘れられそうにない。
清楚さと賢さと美しさを全て兼ね備えたライサでも当然よいのだが、自分もライサも商人であり、船乗りだ。ましてや、夫婦で商人など聞いたことも無いし、船はあくまで移動手段であって動く住居ではないのだ。無論、もう少し稼いで、生活が安定しふさわしい地位を得、定住するに値する都市が見つかれば、いつこの船旅を止めてもいい。だが、国から国へと旅する交易商人が、都市に定住して稼ぐとなれば、最低でも都市の商館長クラスになければならない。よって、当分はライサとの結婚は無理となる。
「人間の女がダメなら、いっそのこと吸血鬼、ってのもいいかもな」
「そんな、駄目ですよ!」
「いや、分かっている。ほんの冗談だ」
自分で言っておきながら、笑いをこらえるのが必死だった。吸血鬼と結婚、か、と。ライサはあたかもただ事ではないようにいきなり起き上がり、必死の形相でクラインの冗談に噛みついた。まさか、結婚するはずがないだろう。そう言わないと、夜なのも無視して思いっきり泣かれてしまう危機感がクラインを襲ったからだ。
無論、その吸血鬼が女性なら、の話だが。
今日のブレヌフとの会話を思い出し、クラインは再び声を殺して笑った。が、吸血鬼ともあろう怪物の一種と結婚した、そんな例は今までに聞いたことはないし、第一に吸血鬼なんて空想上の生き物がこの世に存在するはずがない。そういった怪物は、教会が人々に畏怖を植え付けさせ、それに恐怖を抱いた人々が神の教えにすがるように作った、お伽噺だ。現実に実在するはずがない。
窓から入り込む夜の冷たい夜風に多少の寒気を覚えると、クラインはそれ以上考えるのを止め、瞼を閉じて眠りについた。
どうせ、いくら考えたところでそれは皮算用なのだ。




