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幻想見聞録  作者: 藤宮周水
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第二章⑥

 うつらうつらと、空になった皮袋を持ちながら、降るような星の下を酒に酔って冴えない頭でクラインは歩いていた。足取りはややおぼつかなく、危うく路傍の小さな石に躓きそうにもなった。

 クラインはすっかり夜風で冷え切った体を両腕でさすりながら、あらかじめ予約を入れておいた、宿へと戻って行った。

この辺の宿はクラインのような貿易商一行を泊める為に、船員全員の大人数が収容できる宿が多い。その上安いともなれば、宿の質は言わなくともわかるだろう。

恐らく、船員達はもうとっくに眠りについているのだろう。宿の宿舎の方は既に明かりがほとんど消えていた。

しかし、こんな真夜中だというのに、宿の食堂はいまだに煌々と松明に火を灯したままであった。普通、こんな夜更けに明かりをともしていると近所から眩しいだの、何だのと色々と苦情が来るので、早めに消しておくのだが。

「……お早いお帰りで」

宿の戸を開けると、宿の主人は入口を入って正面にある、食堂のテーブルに山積みにされた食器を本当に面倒くさそうにゆっくりと片づけていた。この格安の宿にこれほどの量の料理を平らげられるような人数はいないはずだし、何より、こんな真夜中に料理を店主に出させることができる輩など、高が知れてる。通常は、食料は全て持参なので、入港前に船員たちにきちんと食料を自分の食べられる量だけを買っておくよう指示したので、うちの船員ではない事は分かる。

そうなると犯人は、恐らく貴族か騎士だ。クラインが予測するに、この街に行きついた放浪の騎士か貴族階級の人間が、自分の立場と権力を利用して夜中だというのに強引に店主に料理を出させたのだろう。貴族は生まれたときから威張れる階級に居るので、遠慮と言うものを微塵も知らない。騎士は自分たちが国を敵から守っているという自覚があるために、平気でわがままを言う。全く、こちらとしてはたまったものではない。

 クラインのような商人程度の人間が真夜中に料理を出せ、といったら荷物丸ごと外に叩きだされてしまう。だから、その量の食事を誰が頼んだかは簡単に予測できた。

 そんなことを考えながら一定の間隔で壁に掛けられている薄暗い松明の廊下を歩いていると、いつの間にかクラインの酔いは冷め、思考や意識も風が霧を払うかのようにはっきりとしてきた。

 酔いが全身に回ったまま寝ることができれば日の出までぐっすりと寝られるのだが、それが覚めてしまってはぐっすりと眠れることはおろか、睡眠をとることさえままならなくなってしまう。

「仕方ない……」

 クラインは、酔いでぐっすり眠ることを諦め、酔いが醒めて締め付けられるような痛みが生じる額を手で押さえながら宿の部屋の戸を押した。

「お帰りなさい、主人様」

「ただいま、ライサ」

 部屋に入ると、もうすでにライサが航海日誌を書き綴っていた。大方、今日の日程やセウタの街の様子なんかを書き記しているのだろう。

部屋はこの古い宿でもかなり安くみすぼらしく、ベッドも一つで汚い部屋だったが、別に何日も滞在するわけでは無いので、このくらいが丁度良いとクラインは思っていた。

一人部屋を使えるだけでも有難かった。他の乗組員はと言うと、皆、大部屋に案内されて地べたに藁や毛布を敷いて寝ている。それを思えば、多少の不備や不満は忍ぶしかない。

「今日は遅かったですね」

「ああ、ブレヌフと一杯やっててな」

「一杯で済んだのなら、こんなに遅くにはなりませんよ」

 ライサはまたクスリと微笑んだ。その思わずこちらも微笑んでしまうような笑顔をしておきながら、中々手痛いことを言う。

 酒のつまみに食べて空になったサルタナの皮袋を窓際の小さな机の脇に置き、古くなってぼけた壁紙が張り付いた壁に立てかけられた長剣を鞘から抜き取る。それと同時に、手のひらに収まるくらいの大きさの砥石を皮袋から取り出した。

長剣は銀製であり、蝋燭の光にさらすと見事な反射光がクラインの目に入る。銀製なのだが、ほとんど砥いでいないために切れ味は悪く、牛肉に対しては切れ目すら入れられないが、装飾品や兌換用として購入した剣であったために、切れ味としてはその程度でよかったのだ。いざ護身用に使うのであれば、肉切ナイフの方がはるかに実用性が高い。

 が、ブレヌフの忠告を全て無視することはできないので、クラインは長剣を再び鞘に戻し、右手に持った砥石を使って慣れた手つきで肉切りナイフを研ぎ始めた。まだ独り立ちしていなかった頃は靴磨きでも鍛冶屋の弟子でも、できる仕事であれば何でもしていた頃に修得した技だ。

「あら、ナイフを研ぐのですか? なら、私が……」

「大丈夫だ。自分でやるよ」

 ライサは自分がやろうとクラインに声をかけたが、クラインはそれを断った。自分の持ち物の手入れは自分が一番よく分かっている。

 そして、ある程度ナイフは研がれて、さらに見事な銀色の反射光を示しだすとクラインは満足して砥石を皮袋の中にしまい、ナイフも革の鞘の中に戻した。

ナイフも研ぎ、他にこれと言ってやることが無くなってしまったクラインはなめし皮を張っただけの簡素なベッドにゆっくりと寝転がった。眠気はほとんどなかったはずなのだが、いざ横になると案外強い眠気に襲われるもので、クラインは大きな欠伸をかいた。

「もう遅いし、寝るとするか」

「はい、良い夢を」

 ライサは、ろうそくの明かりを消し、寝床に着いた。自分だけベッドの上で寝るのも、嫌な罪悪感が残るので、ライサには部屋にたった一枚しか用意されていなかった毛布を貸した。おかげでこちらは布団も無しに寝ることになるが、致し方ない。

「明日も稼げるか分からないな」

「主人様なら大丈夫ですよ」

 クラインは誰に呼びかけるわけでもないが、ふと、独り言を言い放った。こんな時でも、ライサはしっかりと答えてくれる。確かに、ライサと結婚ができればこの上ない事ではあるのだが、現状がそうさせてはくれない。

そう思うと、とたんにクラインはブレヌフが羨ましく思えた。


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