第二章⑤
クラインは聖書に書かれている十三聖人のうちの一人、聖アンデーレを商業同盟に所属する建前、一応は信仰している。だから、クラインはブレヌフにそうからかわれたのだ。信仰心が無いわけでは無いが、限りなく薄いことは言える。
「……で、用はなんだ。リモーネ銀貨に対する他国貨幣との相場か? 戦争でもおっぱじまるのか? それとも儲け話の相談か?」
「ああ、大方はそうだ。……この、サルタナのガーボヴェルディでの売値を聞きたい」
ガーボヴェルディは、セウタよりはるか南の、南方大陸の西に浮かぶ島の名だ。ここも、ポルトギア王国領である。
クラインは、たった一袋だけ昼間のうちに小売商店から買い取ったからサルタナの入った袋をブレヌフに見せつけて、そう聞いた。今クラインの船に積んである商品はサフランだが、これを明日の朝にすべてここ、セウタの交易所で売り払い、次の交易品にサルタナを選ぼうとしていた。
ブレヌフはクラインのサルタナの袋を見るなり、中からサルタナを一つまみ取った。
さして特徴のない一粒だったが、ブレヌフはそれがあたかも宝石であるかのように疑い深く、表情の読み取れない、商人独特の目つきになった。やはり、ブレヌフにも商人の血が流れているのだろう。目は酔っていても、口調と身振り手振りは醒めていた。
「ガーボヴェルディにサルタナ……か。一ヶ月の終値でいいか?」
「? ……ああ。頼む」
一ヶ月、というのが妙に気になったが、さすがに一日おきは無理だったのだろうとクラインは頭の中で推測を済ませ、ブレヌフに頼んだ。
そしてクラインも、ブレヌフがいつ食い込ませてくるかも分からない嘘を見破ろうと、冷静で、他人の感情を一切受け付けない、冷徹な商人の表情でブレヌフの答えを待った。
「一ヶ月前の終値は、一箱リモーネ銀貨三千五百枚だ」
ブレヌフがそうつぶやいた瞬間、クラインは我が耳を疑った。
例えば、普通、燕麦や赤豆といった交易品の底辺に位置する商品を町から村へ渡り歩く行商人のように、身が擦り切れるまで歩いた先の都市に売った値が、せいぜい仕入れ値の一割程度の儲けだ。船を持っているクライン達のような貿易商人でも、儲けの割合はそんなに大差は無い。このサルタナは、ここセウタでの買値が一箱リモーネ銀貨千五百枚だ。それが、銀貨三千五百枚。
たった一つ海を越えて、仕入れ値の二倍以上の儲けは美味すぎるといえる。確かにガーボヴェルディの近海は波が荒く、商品が手に入りにくいからなんでも高く売れると言うのは想定の範囲内だが、そこまで値が上がるわけでは無い。遥か東方なら、近海の港と港を行き来しただけで仕入れ値の三倍以上も稼げるそうだが、西方ではそんなうまい話はほとんどないと言ってもいい。
だから、あまりに信憑性の無い話だ。クラインは、ブレヌフが嘘をついている可能性も否定できないとみて、真意を確かめた。今のところ、左の人差し指は動いていない。
「本当なら、手を上げて喜びたいところなんだが、それは真実なんだろうな?」
「ああ、本当だよ。なんせ、今あの島を支配してンのは、海賊サマなんだからな。酒も、その原料サルタナの消費量も、その分増える」
「なっ……!」
まさか。クラインは、一瞬我が耳を疑った。が、ブレヌフが嘘をついていないことは、癖が出ていないことで、すぐに分かった。税関の衛兵が、海賊がどこかの港を襲ったという噂を話していたが、まさかこのことだったとは。
ガーボヴェルディは多くの冒険者や商人が最終目標のシンドに向かうにあたり、新鮮な水や野菜が手に入らない南方大陸の赤道を越えるには、準備を万端にするために立ち寄る、最後の貿易港である。そして、その街を守る堅固な城壁や広い街をぐるりと取り囲む石造りの要塞塔の数々は、難攻不落を思わせた。
そんな城塞都市が、海賊相手に陥落してしまったのだ。嘘だと思わない方がおかしい。
尤も、今クラインに必要なのは、そこで商売が何ら問題なくできるかどうかという情報だが。
「一ヶ月前、といったのはそれ以来情報が入ってきてないからだ。尤も、今じゃもっと値がつりあがっているだろうが……。まあ、そこで商売している商人が生きていて、買い取ってくれればの話になるが」
「ふうん、そうか……」
海賊相手の商売は、実のところあまり気が進まなかった。
何故ならクラインは、「海賊相手だと、荷物を引き渡した後に殺されてしまう」と少なからず懸念していたからだ。
されどクラインは、儲けるために多少のリスクは負わなくては、と自分に言い聞かせて、ブレヌフに返事を返した。
「本来なら、俺も尻尾を巻いて逃げていたな。だが、俺は目的を変えずに、ガーボヴェルディに向かうとするか」
「ケッ、海賊相手に商売して大丈夫か? 最終的にシンドへ向かうんだったら仕方ないだろうが、殺されたら元も子もねえぞ?」
「なに、お前はただ単に、俺に情報を売って金がもらえりゃそれでいいんだろ?」
「ハハハ、そういうこったな」
ブレヌフはクラインが差し出した銀貨七枚を受け取って懐の中へ入れると、とても満足そうな表情で前に乗り出していた体を椅子の背もたれへ重心を移した。椅子はギシギシと苦しそうな悲鳴を上げつつも、ブレヌフを支えた。
ブレヌフに情報をもらった時は銀貨七枚というのが定石で、ほかの情報屋が銀貨一枚や銅貨であるのに比べればかなりの高額ではあったが、情報の正確さにおいては何よりも信用できる。
クラインは、会計を受け持ったブレヌフに酒代の七枚の銀貨を渡して、少しばかり考え込んだ。海賊相手に商売するのには少しばかり勇気がいるが、多少の危険は儲けのために仕方が無い。クラインはブレヌフの情報を信じ、ガーボヴェルディへ向かうことに決定した。
「なるほど。なかなかの情報だった」
「だろう? ま、俺にかかっちゃこんなのは屁でもない、ってこった」
ブレヌフは自慢げに、追加で注文された葡萄酒を仰いだ。この様子だと、どうやらこの酒はクラインが全ておごることになりそうだった。
どうせそうなるのはわかっていたから、銀貨を七枚も渡したのだ。七枚も渡せば、いくらかはおつりがくる。到底、ブレヌフがそれを返してくれるなんてことはないだろう。
「……ま、いくらお前の正確な情報でも、一ヶ月後の天気は当てられないだろう」
「ハハハハハ、そりゃあ確かに無理だが、お前はそんなことより、「吸血鬼」とやらに殺されねえようにだけ気を付けてればいいって話だよ」
……吸血鬼?
ブレヌフは、がはは、と大きな声を出して笑うが、その口から出てきたのはまるで夢物語のような話だった。それに思わずクラインも眉をひそめる。
世の中に、情報屋ほど現実主義を掲げる者はいない。常に幾万もの情報を吟味し、その中からより正しく、より正確なものを選ばなければならない情報屋は、自然と神の存在すら否定せざるを得ないようになる。二〇〇年ほど昔は教会の絶対的な権力を前に唯々表面上では従い、裏で細々と活動するしかなかったが、最近は教会の目の前でも堂々と現実主義を掲げ、宗教家と対立する姿もしばしば目に留まるようになってきた。
そんな情報屋であるブレヌフが吸血鬼などという非現実的なことを口にしたのだ。一昔前だったらまだ軽く受け流していたが、今はそんな言葉に意味が込められているのか、と疑ってしまえば、クラインは質問せざるを得ない。
この街に来た時にクラインが「どうせ吸血鬼と言うのは血に飢えた傭兵集団のことだろう」と思っていたものは、どうも大外れだったらしい。
クラインはその真意を問うためにブレヌフに聞き返した。
「……吸血鬼?」
「ああ、そうさ。この辺には、「ネウ」って名の吸血鬼が出るという噂がある」
「あくまで、噂だろ」
「そう。噂だ。だがな、もしお前が仲間の商人に、「これはあくまでも噂だが、もうすぐ牛肉の値が暴落するらしい」と忠告されたらどうする?」
「牛肉?」
今はサルタナを運ぼうとしているクラインには全く関係のない話題だったが、それは仮定上の話だ。牛肉を、サルタナに置き換えてもこの話は通用する。
商品の暴落や高騰の話は、街から街へと交易をしながら旅をする商人にとっては最も重要な情報の中に入る。なぜなら、せっかく遠くの国の港から凪や時化を越えて毛皮を運んできたとしても、それを売る予定だった町では既に毛皮が売りによって暴落し、儲けがマイナスになることだって滅多にない状況ではない。
これは、そのことを踏まえた上でのシミュレーションだといってもいい。
「素直に「牛肉を買わず、別の商品を売りに行く」と、言いたいところだが、嘘の可能性も否定できない。となると、答えは一つ。俺は香辛料を売りに行くな」
「ほう、香辛料か」
ブレヌフは、あたかもわざとらしく大きな声で会話を進めた。
「ああ。肉が暴落している、ということはそれに比例して、肉料理に使う香辛料や調味料である塩の値も下がる。けれども、その情報が嘘だったとしても香辛料なら安定した儲けが見込めるだろう?」
香辛料は人々からの需要が高い割に出回っている量が少なく、高価なものとして西方では売られているが、その分、香辛料が暴落することはない。クラインはそれを理解した上でブレヌフの問いにそう、答えたのだ。
「流石は商業同盟の商人と言ったところか。抜け目がない」
「目に見える程の大きな抜け目があっちゃあ、とても交易商人なんて勤まらない。商人は、眼鏡を使ってぎりぎり見えるかどうかという細い抜け目を探り合う輩ばかりだからな」
「ははは、まあ、そういうことだ。吸血鬼が出る噂を信じるかどうかは別として、今のお前の考え方をこの噂にも適用するのなら、武器ぐらい研いでおけよ、っうことだ」
「ご忠告感謝する」
話の最後に、二人はすっかり中の酒を飲み終えて空っぽになったコップをぶつけ合い、笑いあった。しかし、二人が辺りの静けさと暗さに気が付くころには、空にすっかりと黒い幕が下ろされて、星が虚空を縫うように瞬いていた。




