第二章④
「盛り上がり中のとこ、済まなかったな」
「いんや、いいってことよ。むしろ助かったぜ」
「しっかし、お前はいつまでたっても変わらないな」
ブレヌフが酔っぱらっていたさっきの女中を何とか奥へ運び込んだ後、ブレヌフはふう、と大きな安堵のため息をついた。クラインはがはは、と大口を開けて笑うブレヌフの身を案じて、ブレヌフに苦言を呈した。
「借金はちゃんと返せよ」
「いやまあ、そうなんだけどさあ、今回はイケると思ったんだ」
「それで成功したことが一度でもあったか?」
クラインがブレヌフに対しそう言い返すと、ブレヌフが口をつぐんだ。
何のことはない。ブレヌフが酒代を誤魔化したことが女中にばれてしまったのだ。その女中がたまたま酔っぱらっていたがために、さっきの地獄絵図になっていたらしい。しかし、酒場の女中が酒を飲み、酔っ払って客を襲うというのもおかしな話だ。きっと、あの後女中は解雇されたことは軽く予想できる。酒は人間の理性を奪う。だからこそ、張り詰めた会議には重宝されるし、航海で退屈な船上の船乗りたちの気付けにもなる。その上、薬にもなるのだから、酒はどんな地方でも需要がある。季節が変わっても、値段がほとんど高い水準で上下しない為、酒は駆け出しの行商人の重要な交易品ともなっている。
それにしてもブレヌフには嘘が下手なくせに、妙なところで酒や食事の代金をごまかそうとする悪い所がある。その嘘と言うのも、単純に下手な嘘ではなく、本当にそれで騙しとおせると思ったのか、と言うような、子供騙し程度の嘘だ。
「ところで、ライサちゃんは元気か?」
「おかげさまで、今のところは元気にしている」
ブレヌフはイカの燻製をつまみながら、ライサの安否をクラインに尋ねた。別に、ライサを連れてきてもよかったのだが、この男、ブレヌフはライサの事をあたかも自分の娘のように思っており、何をしでかすか分からない。同じ北方出身だから、親近感に近いものが沸くのだろうか。そのあたりはクラインには解らなかった。下手に連れてきては、この男、何をしでかすか分かったものではない。
始めてクラインがブレヌフと出会った時も、契約料と偽られてブレヌフの酒場の莫大な借金の肩代わりをさせられてしまうところだった。その時は運良くブレヌフの嘘を見破れたものの、ブレヌフが嘘をつくとき、左手の人差し指が不自然に内側に曲がるという癖を見抜けなかったら、とっくの昔にクラインは首をくくっていたであろう。
それくらいブレヌフは信用に足らない男だ。だが、ブレヌフは金が絡むとたちまち一流の「情報屋」になる。
「まあ、今日も用があって来たんだろう? 座ってくれ」
「すまないな」
クラインがブレヌフに進められて椅子に座ると木の節が背中に当たって痛く、後ろを振り返って見なくとも、節が多くみられる木目の粗い安物の椅子だとすぐに分かった。そして椅子に倒れるように腰かけたブレヌフに、クラインは早速、中指を親指とこすり合わせる独特の合図で、酒場の店主にそこそこ値の張る色の透き通った赤ワインを頼んだ。
酒場でこの合図は、この酒場で一番いい酒を出してくれ、と頼む合図だ。店主は良い客が来た、と計算高い笑みを浮かべながら店の奥へと入っていった。
酒場の中にはクラインとブレヌフを除いて客はおらず、がらんとしていた。
「おごりか?」
「ああ、そうだ。一杯までだがな」
「お前もなかなか景気がいいようだな」
「そこそこな」
ブレヌフは顔の下半分を覆い尽くすように生えた濃い髭を撫でながら、白い木で作られたこれまた安物のコップに並々と注がれた、クラインが店員に頼んだ高級な赤いワインを一気にためらい無く飲み干した。
コップは安物であっても、そこに注がれるワインは高級酒だ。不味いはずがない。例えブレヌフが不味そうに表情を曇らせても、さも美味そうに飲んでやる。だが、クラインのその心配も無駄に終わり、ブレヌフは満足そうに大きく息を吐いた。
「ウップ……美味い。流石、高級酒は違うぜ」
「おいおい。わざわざおごってやった酒なのに一気に飲み干すとは」
「ケッ。こんな程度じゃ飲んだ気にもなんねぇよ」
ブレヌフは恰幅よく太った腹を右手で撫でまわしながら、もう一杯同じワインを頼んだ。それに対しクラインは今、やっとさっきのワインの一口目を飲んだところだ。
「それにしても、これは一応友人として言っておくが、どうしてそんなに酒が好きなんだ?少しくらいは控えた方が身のためだぞ」
「馬鹿を言うんじゃねえよ。俺が酒を好きなんじゃあない。酒が俺を好きなんだ」
そう言ってクラインの言葉を蹴ると、ブレヌフはまた酒を仰いだ。全く、一回病気にでもなったら、少しは懲りるか、とクラインは思案したが、何回も同じ過ちを繰り返しているブレヌフのことだ。懲りないに決まっている、と推論づけて、ブレヌフの冗談に口を歪めた。
「どうだ? 最近の儲けの方は。聖アンデーレ様のご加護はあるかい?」
「残念だが、アンデーレ様は信仰心の薄い、同盟所属の商人なんぞに金儲けのご加護はくださらないらしい」
「ハハハ、そうかい、そうかい。商売の神なのになあ」
「交易は神の加護なんかなくとも、いくらでも自力で儲かる。その証拠が、これだ」
クラインが目の前に置かれたコップを軽くつつきながらそう軽く笑い飛ばすと、ブレヌフはクラインの四倍の笑い声と唾で返してきた。
本当に礼儀のない性格だ、とブレヌフと関係を持った人間は誰もが思うだろう。しかしブレヌフ本人はそんなことなど微塵も気にしていないようだった。鈍感なのか、はたまたわざと無視しているのか。その真意はわからない。
そして、二人の会話はしだいに商談へと移った。




