後夜祭、どうしようもない日々。
ちらちらと、火の粉が舞いあがっていく。
赤というべきか。それともオレンジ色というべきか。複雑に変化して消えていく、炎の色。
灯かりを落した夜の中、巨大なキャンプファイヤーは、焚き木を燃やし、ごうごうとその火を上げている。
それは、当麻の昇った校舎の屋上からでもはっきりと解る程、巨大な篝火。
巻き上がり、空へ登っていく火。夜闇の黒と競うよう、炎は踊る。風にその身を任せ、流れるように。
それは一瞬一瞬で形を変えていくものだった。一秒たりとも、同じ瞬間はない。
「本当に」
屋上のフェンス越しに、それを眺める当麻は、呟いた。
「……これじゃあ、結局、逃げているみたいですね」
上から見れば、奇妙な紋様を描くような炎の動きをしているそれ。
だが、人の心程には複雑で奇妙でもないだろう。結局、当麻は逃げて此処にいた。
逃げないと言ったのに。
ただ、色々と歩く内、いろんな出店を見る度に、あの時繋いでいた手が、冷たくなっていったのだ。
温もりがない。繋がっていない
苦しかった。息が出来なかった。ああ、確かにこれはシェンナの言う通り、彼女の手伝いをしていればまだ楽だったかもしれない。何か作業に没頭していれば、違っただろう。
予定がないと、ずっと空白と戦わなければいけなかった。何もないのは軽くて、薄くて、確かに気楽ではあるけれど、いろんなものに触れて痛みを感じる事もない。
当麻は単純だった。不器用だった。だから、何かしていれば、きっと違っただろう。
彼女と軽口を叩いている間は、やはり心が軽くなっていたのは確かだ。それで、この学園生活を助けられてもいる。
「英語のテストも、そういえば付きっきりで教えてくれましたっけ」
逆に現国は教えていた気もするが。そこは仕方ない。というよりは、そう。助けられてばかりだ。
だから、申し訳なかった。
何と謝れば良いのか解らず、結局、今度はシェンナから逃げてこの屋上へ。
キャンプファイヤーに誘われてはいたけれど、それに参加する気にはなれなくて。どんな顔をすればいいか、解らなかったから。
だから、結局、逃げた。言われていた通りに。
「みっとも無いですね。本当に」
沈んだ当麻の声に反応するように、炎が揺れる。盛大に、明るく、夜を赤々と照らせとばかりに。
けれど、金色の月は、静かにそれを見下ろしている。揺れず、震えず、ただ月光を滑らせる、秋の名月。
薄雲を纏って、浮かぶ姿。その色は、何処かシェンナの髪の色に似ていた。
「しかし、明日は何と云って会えばいいのか」
だから、そんな事を思うのだ。今日はもう会えない。代わりに、明日、張り手の三つくらいは受け止めて、その後、何と言おうかと、そう悩む。
そんなものは――表面の悩みだけれども。
「…………」
掌を見つめた。竹刀や木刀を握り締め続けた、堅くて、荒い指と掌。豆は出来た所から破けて、重なった分厚い肌になっている。
そして、もう片方の手に持っているのは、刀だった。
対天魔用に作られた、ヒヒイロノカネという物体から収納自在な一振り。現代技術と、解っている限り、アウルの覚醒者に恩恵を与えるように作られたものだ。
陳腐な言い方をすれば、霊剣や妖刀と言った所か。
すらりと抜いたそれは、白い。白刃も含めて、全て真っ白に染まっている。鍔も柄も、刀身も。
使い慣れた物だった。少なくとも、二年近く。
すらりと鞘から抜き放つ。雪のような純白さを誇るそれ。白い刀身が、すぅ、と闇夜に浮かび上がる。
この剣で、護ると約束した。誓った。
そして、捧げた。でも、その捧げた相手が消えてしまったのなら、この剣は何を導にすればいいのだろう?
当麻の剣は、当麻のもの。だから、それを決めるのは己自身だ。それは深く理解している。
でも、剣を執った理由が、椿を護りたかったからだ。まるで子供のような、本当に子供じみた理由だったけれど、当麻にとってはそれが絶対だったのだ。
誇るし、誇りたい。あの日、思った願いは、それだけのものがあったと。動機は単純。好きだから。好きな人の笑顔を護りたい。ただそれだけの事。
天魔に脅かされた世界。いや、そうじゃなくても、きっと守りたいと思っただろう。
何より大切だから、何より大事なものを捧げた。
でも、この剣を、どうすれば良いのだろう。時々、そう考えてしまう事がある。
あの時、もしも久遠ヶ原に行かず、故郷の街に留まっていたら?
守るといいながら、けれど、その場に居る事が出来なかった。自惚れる気はない。でも、何も出来なかったのは事実。
――捧げた?
何も出来なかった癖に。
――好きだから、泣かせない?
今は、そのコエさえ聞こえないのに。
「……っ…」
何処に。何処にいるのだろう。
逢いたい。もう一度言葉を交わしたい。これでよかったのかと、あの時、ああしていればという後悔は止めどなく流れて行く。
その為にこの剣は捨てられない。あれが天魔の事件というのなら、この天魔を斬る刀は必要だから。
決して何もしない選択なんて、もうしたくないのだから。
けれど、一つだけ問いたい。誰かに、応えて欲しい。
護る為に磨いてきた剣。なのに、護れなかった。
そんな自分に、意味はあるのだろうか。
「御免なさい……」
鞘に、するりと滑って収まる刀。するりと落ちた言葉。
そんな自問自答が、もう椿は死んだのだと自分に言い聞かせているようで、余計に自己嫌悪に陥る。
そういう当麻は、自分で自分を許せなくなる。
――楽しむのが、許せない?
ああ、許せない。
安穏とあの日、事件が起きたと知るまで授業を受けていた自分を。
今、こうして揺れに揺れる、自分さえ。だって、これからどうすれば良いのか、解らなくなってしまったから。
探す。探し続ける。でも、その具体的な手段がないのだ。
あの鈴の音を、もう一度、聞きたい。
呼んで欲しい。当麻を。絶対、今度こそ駆けつけるから。
貴女の元に。何を置いても。何を失っても。
けれど、響いたのは、錆鉄の軋む音。
鉄のドアが、開く。この屋上に。
先の読めない展開に、人は興奮するのだという。
ワクワクとかドキドキとか。そんなものは、解らないから実感するのだと。
それにシェンナは同意する。でも、興奮すると同時に、怖いとも思う筈だ。
先が解らない。どうすれば良いのかも、どうなるのかさえも、当事者でなければ心躍らせるシチュエーション。
だから、御免なさいと、扉を開きながら思った。きっと、此処からは先の読めてしまう展開だけで、ベタな事しか出来ないだろうからと。
こんな屋上に一人でいる当麻の方が悪いのだ。
もっと解り難い場所にいれば、シェンナとて諦めが付いた。どうにでもなれ。明日、張り手と共に、幾らでも罵ってやると。
でも、こんな場所、誰かに見つかるでしょう。誰かに当麻が見つかったら、シェンナの所へと話が流れてくる。
今日一日、当麻が周った場所は知っている。話として聞こえてしまった。
当麻の面倒見役になってしまったから、仕方ないのだ。
――海岸にいって、結局、そこも椿さんと一緒にいたって思い出したんだろうね。
何処もかしこも、一緒に歩いたのだろう。
そして、泣きそうな顔をしていたと、皆心配するから、シェンナもやはり、心配するのだ。
泣いているなら、それで良い。でも、それを堪える顔は、見ていて、もっと辛い。
どうせなら目の前で泣き叫んで欲しいと、そう願うのは、ね、やっぱり我儘?
胸に響くのだ。泣かない声は。泣きそうな言葉は。
今もなお、ずっと。
シェンナがシェンナとして、明日も笑っていたいから。
――御免ね。
この先は、余りにもベタな展開になる。急激な展開など、何もない。
ただ、長い雑談があるだけだ。
そう謝って、ドアを開く。
誰に謝ったのかも分からない。ただ、そう。
強いて言うなら。
「御免ね、椿さん」
貴女を理由付けに使って、シェンナは当麻を笑顔にしたい。
それは、多分、悪い事なのだから。