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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第二章
6/33

悪夢の流転と、焦燥の日々。鈴はなく。



「――――」


 そんな夢を、繰り返していた。

 朝日の射す部屋。一人でないと落ち着けなくて、無理に一人部屋の寮を借りた。


 最初のうちは、そうでないと絶叫と共にあの悪夢から目覚めてしまうからでもあった。それで迷惑をかけるなり、心配させるのが嫌だった。

 ただ、人の感情は麻痺していくものだ。


 もうしばらく、声は上げていない。

 悪夢を見る頻度も、下がっている。

 ただ、内容は何時も同じだった。繰り返される、紫の夜。椿の元に駆けつけなかった、あの日の事。


「…………」


 朝日が顏に落ちていた。眩しすぎて、手で眼を覆う。

 この手は、何を掴む為にあったのだろう。麻痺した、或いは摩耗した感情は、今年の春にあったそればかりを思ってしまう。繰り返してばかりだからこそ摩耗したのかも、しれないけれど。


 痛みは鈍く、薄く、けれど消えずにあった。擦り切れた心の一部で、常に受け止めていた。

 あの時、どうすればよかったのだろう。そう繰り返し、自分に問い続けて、春は過ぎて夏は終り、もう秋だ。


 最後に椿と逢って、話をして、丁度一年。

 外はざわめき。明るい人の声が、何処からともなく、そして何処からでも聞こえてくるかのようだった。


「そうか」


 上半身を起こしながら、当麻は呟いた。


「文化祭、でしたね。今日は」


 自分の言葉で、自分の胸に針を突き刺すように。

 ただ、忘れない為に。

 あれから、ずっと探している椿の姿。情報。


 少しでもあの紫の夜の事をと部屋の壁のボードに張り付け、決して諦めないと、探し続けている。

 でも、全く情報はなかった。あの紫の空は、原因も理由も不明な怪奇現象として受け止められていた。

 そして、未だ誰一人、見つかっていない。


 行方不明者は、消えた儘だった。


「……それでも、日々は巡る、ですか」


 少し疲れたように笑う当麻。どうして、こんな日が来るのだろう。

 去年は浮かれていた日々の事を、思い出していた。


 今年、当麻のクラスでの出し物は何だったか。覚えていない。参加しようとしていない。

 携帯には、恐ろしい数の着信履歴。全て、また同じクラスとなっていたシェンナからのものだった。


「メールで送れば、要件は確実に伝わるのに。変な人です」


 伝わった所で、それを実行して文化祭に加わるかと云われたら、きっとしないと当麻も思ってしまったけれど。












 そんな当麻を知っているからこそ、不機嫌そうな少女が、缶珈琲を片手に寮の前に立っていた。

 幾つもの寮が並ぶ人口の一角。当麻の寮もそこにあり、入り口のほぼ正面に立ち続けていたのだ。

 淡い金色の髪と、薄い青の瞳。けれど、当麻が出てきたのを見ると、鋭い視線で睨み付けて、歩み寄る。


「どういうつもり?」


 そして当麻の顔面に向かって投げつけられる缶珈琲。

 まだ開けられていないそれを、反射的にキャッチしてしまう。

 これで無視する訳にはいかなくなった。少なくとも、言葉を聞いて、送られたものを受け取ってしまったから。今さら、無視は出来ない。


「……今年は、文化祭、関わる気なんてないだけです」

「ふーん。で、何処行くの?」


「此処にいたら、シェンナさんが迎えに来そうでしたから」

「逃げると思ったから、私は一時間近く、此処で待っていたんだけれどね」


「ああ、だからこんなに缶珈琲が冷たいんですね。どうしてホットで買ってくれなかったのだろうと思いましたよ。新手のイジメかなって」


 握っている冷たい缶珈琲を振りながら口にする。


「か弱い少女の身体が寒い思いをしたとか、心配しない訳?」

「しますよ。相手がシェンナさんじゃなければ」


「変わらず、口はよく回るわね」

「イギリス人は舌が何枚もあるって聞きますから、イギリス人のシェンナさんに合わせているだけです」


「そういう当麻は何枚の舌があるのかしら。回り過ぎて、数えきれないわ」


 溜息をつくシェンナ。そして、当麻がどちらに行くかも確認せず歩き出す。

 付いてくるのが当然だと言うかのうように。そして、それに逆らう事は、何故だが出来ない。

 本当ならこのまま海の近くにでもと思っていたのだけれども。


「冷たいですね、缶珈琲」

「私の手はもっと冷たいよ、触ってみる?」


「遠慮します。そういって頬を叩くつもりじゃないですか?」

「え、当麻が私の心を読んだというの……空気を読めるように一晩で成長するなんて」


「ふざけているにも、少し限度がありますよ」

「ま、ね」


 口に含んだ珈琲は、ただ甘いだけだった。

 何時か、シェンナの淹れた珈琲は苦くて、けれど香りが良かった。

 その熱さと苦さと香りで、嫌なものを和らげて誤魔化してくれそうな程に。


 ああ、あれもきっと、去年の事。文化祭の事、だった。

 椿と逢う、ほんの少し前の出来事。淹れてくれた、珈琲。

 すっ、と、心が冷えた。あんなにも暖かい、飲み物の味を思い出しただけで。


「とりあえず、私達のクラスの出し物は、えっと……ハーブティーのフレーバー店ね。アンタは私のサポート役にって入れているから、ほら、これ、シフト割」

「だから……」


「参加しなさい。一年で一度しかないんだから。ついでに私のお茶の技術を見て、驚きなさい」

 軽口、なのだろう。シェンナの鋭い目も、当麻が返した皮肉が何時も通りで、何処かほっとしているようだった。

 和んでいた、と思う。シェンナは、きっと。


 だから申し訳ないのだ。そして、酷く苛立つ。

 当麻は、今年の文化祭、関わりたくないと思っているから。

 今日という日はなかったと、思いたかった。


「断ります」

「…………」


 どうしても、去年の事を思い出す。あの時は、逢いたい人が来てくれた。

 でも。今年は違う。ただ似たような喧騒と賑やかさが、痛かった。似ているから、もう居ない。今年は来ない。そして、何処にいるかさえも解らないという現実を思い出させるのだ。

 鈴の音は、聞こえない。

 どれだけ調べただろう。どれだけ探しただろう。

 ただ、空虚さだけが胸に響いた。

 そして、朝の空気を震わせるような頬を叩く張り手の音も、高々と。


「……っ…良い加減に、しなさい」


 一瞬で、シェンナの苛立ちは沸騰していた。

 いや、今まで堪え続けていただけかもしれない。当麻はとことん空気を、読めなかった。


「…………」

「頭が悪いのも良い加減にしなさい。参加しなくて良いわよ、ええ。でもね、アンタ、何処に行く気?」


「え?」

「此処は久遠ヶ原学園よ。文化祭よ。……去年、回らなかった場所は、ある? あの椿さんと」


「…………」

「何かしてないと、日常に触れてないと辛いだけでしょう。逃げ場なんて何処にもないの。自分を追い込むのも、良い加減にしなさい」


「逃げる気だなんて……!」


 思わず当麻も声を荒げた。逃げる気なんて更々ない。絶対に見つけて、あの時言ったように迎えに行くのだ。

 待つ特権を奪いに。今も、まだ、まだ待たせているのだから。だから、絶対に。


「逃げるつもりなんてない。ただ、関わる気がないだけです」

「違うでしょう――ねぇ」


 怒りがシェンナの青い瞳に浮かんだ。

 けれど、絞り出された声は、余りにも優しかった。




「――自分が楽しむのは、まだ許せない?」





 張り手を放った手に、今度はシフトのタイムスケジュールを握り、渡してくる、シェンナ。


「自分が、自分だけがって。去年の事を思い出して痛いとか苦しいだけじゃなくて、何しているんだろうって。そう、思っていたりする?」

「…………」


 図星だから、何も言えなかった。

 よく回ると云われた口は、固まってしまって故障している。

 胸を引っ掻きまわる、この苛立ちと痛みと不愉快さ。それは決して、シェンナにではない。自分とそして。


「…………変わらない、ですよね。この文化祭も。この学園は」

「それが嫌?」


「いえ。割と、好いていますよ。でも、すみません。つい、思い出してしまうから」


 椿が、いない。ただ、一人がいない。

 凄く大切で重い、唯一無二が零れ落ちてしまった。

 探す気はある。消えていない。消すつもりはない。逃げるなどあり得ない。きっと探し出して、見つけるのだ。なのに。


「どうしても、苦しいんですよ」


 今日の予定が、ない事が。椿のいない世界が、掻き毟りたい程に苦しい。


「文化祭でシェンナさんを手伝って、気を紛らわしても良いと思います。でも、何でしょうね。やっぱり、楽しんではいけない気は、しています」

「許せない?」


「許せる訳、ないじゃないですか」

「罰する必要って、あるの。自分を」


「罰している気なんて、ないですけれどね」

「…………」


 沈黙。後を続けるように催促(さいそく)するかのように、シェンナの靴音が、こつこつと響く。


「楽しむなら、椿さんを見つけてから、一緒に……って、そう、思いますよ」


 何時の間にか受け取っていた、シフト表。確かにシェンナとペアになっている、当麻の時間表。ただ、それは当麻がいなくても、回るようになっている。

 好きにすればいい。そう、突き放すような感じはしなかった。

 好きにしていい。アンタが、当麻が少しでも気楽になれる方を選ぶと良いと優しささえ感じる。

 ただ、酷く申し訳なかった。すまないと思う。でも、どうしても。


「……軽口には、明日にでも、付きあいますから」

「それなら、私は後夜祭のキャンプファイヤーに付きあって欲しいんだけれど? フォークダンスとか。当麻が転ぶ姿は見てみたい。絶対転ぶよね、アンタはそういう期待を裏切らないもの」


「考慮しておきます」

「善処します、と同じ意味ね」


 仕方ないと、瞼を閉じたシェンナ。

 秋の風は吹き抜けていく。止まる事を知らなかった。

 後悔とやりきれなさも、また転がって加速していく。胸の中で、重く鈍く。

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