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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第一章
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だから、後悔する、あの光

 大切だった。

 何よりも大事で、自分の心の一部だった。

 だからこれはその断片。砕け散ったカケラの寄せ集め。


 なんとかあの文化祭の時を、椿との最後の思い出を追憶(ついおく)して想いを馳せようとようとすると、どうしてもその後の事件に繋がってしまう。

 砕け散った願いの終わり。夢の果てとして。


 だから噴き上がるのは自分への怒り。底なしの灼熱。

 吹き抜けるそれは身を焦がす。けれど、何をすれば良いのかさえ、解らない。

 ただ苦しかった。自分が許せなかった。

 もし、あの時、ああしていればよかったのにと思えるなら。

 



 そんな未練が、ずっと、この夢を繰り返させる。 

 あの文化祭の後、年を越して三か月程だった。

 あれが起きたのは、春。失った、季節。










 月灯りを青白いと云う時がある。

 天窓から降り注ぐ光が、白く、蒼く、場を染める事が。

 よく映画のワンシーンであるような、月夜の灯かり。


 では、これは何なのだろう?

 紫色の光が降り注ぐ、この夜空は。


「にしても、なんだ、これは」


 突撃の準備を整えた状態で、先輩である矢田・六木が言葉にするのを聞いていた。

 それは現場に駆け付けた撃退士全員が思っていた事だろう。


 自分達のいる夜空は黒い。当たり前の色だ。

 けれど、ある場所を境に、それこそ線で領域を引いたかのように、空の一部が紫となっていた。降り注ぐ光は深紫のそれで、周囲をその異質な色に染めている。

 一つの街が丸々、結界へと落とし込められたかのような。


「でも、天魔が使うゲートの結界、じゃないよね。これ」


 似てはいるけれど、と隣に立つシェンナが呟き、強く吹き付けてくる風に攫われていく髪を抑える。

 天魔、天使と悪魔は己の世界と人界を繋げる為の『門』であるゲートを作る。

 そこから眷属を召喚し、侵略を開始するというのはよくある事だ。が、これは余りにも急すぎるし、前例がない。


「十時間以上、全く変化のない、ただ色が変わっただけの空、か」


 異界への門が開かれた形跡がない。故に可笑しいのだと、六木はその空を睨み付けた。

 怒りにも似た色を浮かべ、獣のように睨み付けている。腰に差した二刀のうち、右の柄を強く握り締め、敵意と戦意を上げている。

 天魔に並みならぬ敵意を持つ先輩だった。薄い茶色に染めた髪も、何処か狼の毛並のようだ。

 怒っている。憎悪している。敵がいるのなら、何故踏み込めないのだと。

 けれど。


「それだけ、ではないでしょう」


 当麻の胸を満たすのはそういうものではない。疑念はある。不安はある。だが、最も強いのは焦燥。

 この街は、当麻の故郷だったのだから。

 あの椿が住む街だから。

 だというのに。


「この現象が起きて、あの中からの通信が一切ない。人も出てこない。可笑しいでしょう、これは」


 何が起きているのか解らない。把握しきれない。

 いや、こんな異常事態で起きて、外へと出ない人がいる時点で既に危険であるという証拠だろう。椿はどうなのだろう。連絡は何度も入れた。その度に、届かなかった事を携帯は知らせる。

 こちらと、あちらでは何かが違う。

 護ると、誓ったのだ。なのに、こんな所で何をしているのだ。


「……っ……」


 噛み締めて、軋みを上げる奥歯。

 大丈夫だろうか。無事だろうか。家族は両親だけだが、そちらとも連絡は取れていない。

 見ているだけ、なのか。その為に久遠ヶ原に来たのだろうか。いいや、違う。椿を護る剣として成る為に、久遠ヶ原には来たのだ。

 胸を焼く焦燥は、そのまま歩みになり始めていた。


 頭が白熱して何も考えられない。何が正しいのかより、感情が吼え猛っているのだ。

 そもそも当麻は激情家の性質を持っている。どんなに静かに見えても、その裏では一つの事に進み続けるのだ。

 駆け付けろ、と。

 その心が叫んでいる。


「おい」

「止めるな……!」


 だからこそ、静止しようと肩を掴んだ六木の手を振りほどき、自分でも驚く程の声を張り上げていた。

 それは止まらない。ずっと堪えていたものが、一気に吐き出されていく。

 それは生の感情。堪えきれない、激しさ。


「こんな場所でずっと見ていろと? 明らかに不自然で可笑しいという事は見えるでしょう!?」


 それは、この場に駆け付けた撃退士ならば皆が思っている事。


「何が起きているかは解らないから、まずは調査? ふざけるな、その間に救えた筈の人が救えなかったらどうするんですか!」


 助けたい。救いたい。

 たった一人で良い。大事な人がいるのに。

 また間に合わなかったどうしよう。怖いのだ。手で、指が震える。無理矢理抑え込んでも、止まらない。


「……こんな所で突っ立てられる訳がない。なんで、向かわないんですか!?」

「当麻!」


 そう。だから震える腕で逆に六木の胸倉へと掴みかかる。

 解るだろう。貴方なら。

 失う事がどれほど怖いのか。失いかける瞬間、どうしたらいいのか解らなくなる。

 ただ、立ち止まったらもう動けなくなる気だけがしている。


「当麻、落ち着きなさい。今、天魔が周囲にいるか調査を……」

「なら、僕が先遣隊になって目で確かめてきますよ。それなら構いませんよね」


「アンタこそふざけないで。一人でいって、本当に天魔がいたら、無事でいられると思うの。助けられると思うの!?」

「だからって、ずっと見ていろというんですか。無謀かもしれなくても、何も出来ないよりはマシだ」


 自分が何になりたいか。何をしたいか。それはずっと解っている。

 その為に全てがあったのだ。約束より前に、それは自分で決めた事。こんな所で二の足を踏んで、もしも、唸ってしまったら、誰に許しを請えば良い?

 消えてしまった人には、何も伝えられないのだから。

 後悔を続ける日々なんて。あの人を失うなんて。

 そんなのは嫌だ。まだ言いたい事は沢山あるのだ。どうして止まれるのだろうかと……。


「おい、ガキ。頭、冷やせ」


 そんな思案を、文字通り頭を殴られて途切れさせられる。

 鈍い打撃音。震動。頭と身体が揺らいで、そのまま膝を突く。痛みで苦しげな息が漏れる。

 六木に肘でこめかみを強打されたのだと気付くのにはしばらく時間がかかった。そして、理解している間に、六木が静かに、けれど怒りを込めて言葉を作っていた。


「ガキ。お前、頭悪くねぇだろう。仮に、だ。これが天魔の仕業だとしたらすぐにすっ飛んでいく方が良い。いや、天魔の仕業でなくても飛び込んだ方が良い。ああ、解るぜ――けど、中の様子が解らないんだ。罠だったらどうする?」

「……っ…」

「仲間の命、危険に晒すか? いやいや、一人で行くから問題ない、ってか。けどな、一人でなんとか出来るような事態じゃねぇだろう。死ぬ気か。それとも心中が望みか、このアホが。何が致命的かって、それ理解しているだろうが」


 六木の口調からは明確な苛立ち。どうして、当麻がそうしようとしているのか。

 それを解っているからこそ、より明確に怒りを表していた。自分より大切なものがあるからと、死に急ぐ者の姿だと。

 見下ろされる視線は、当麻を透かして、別の誰かを見ているようだった。

 誰かの姿とを、重ねられた気がする。


「誰かを助けたいなら、まず自分に出来る事を考えろ。お前の手は二つだろうが。誰かを抱えたら、それだけで両手塞がるだろう」

「…………」


「だから、仲間が動くのを待て。大切なダレカを抱えて、一緒に殺されるのが本望じゃなければ、な。刀を握るのも、片手では限界があるだろう。お前は、自分に出来る事以上をして、死のうとしている」

「……違う」


 ふらつく膝に力を入れて、立ち上がる。ふらふらと揺れる身体。それをシェンナの腕が支える。


「違わないさ。……そもそも、この程度の不意打ち、捌けない程、お前弱いか?」

「…………」


「俺のあの程度の一撃をもろに受けて、冷静です、自分はやれます? やめとけ、お前、端的に言って何も見えてない。そんなじゃ、本当に死ぬ。死んだ奴に、俺はなんて詫びれば良い?」

「……っ……」


 死んでしまった人には、何も言えない。

 届かない。響かない。魂も心もそこにないから、自分が背負い続けるしかない。

 それは当麻もよく解っている。だから、そこを突かれれば、何も言えない。返せない。


「シェンナ。そいつが暴走しないように見ていてくれ。……うちの生徒会に、先遣隊に俺達を派遣してくれないかって頼んでみる」

「六木先輩、アナタも……!」


 声を荒げるシェンナ。反対、なのだろう。危険過ぎるのだと声が云っている。

 それに対して、六木は視線を紫の空へと向け、顎で示す。


「見ろよ――紫の空が、黒く染まっているだろうが」

「……っ……!?」


 振りかえる当麻とシェンナ。それは言葉通り、少しずつ紫色の空が黒へと変じていく。いや、戻っていくのだ。

 まるで墨汁が染みこんでいくかのように、紫の光が消えていく。

 異常事態の収拾。そうはいかないだろう。早鐘のように撃つ鼓動。

 終わった。或いは、終ってしまった。

 椿はどうなった。思わず駆け出そうとする当麻を、シェンナが引き留めるようとする。


「待っ……!」


 けれど、弱い、少女の腕力だった。全力で走り出そうとした当麻の力に対抗出来ず、地面へと転がる。

 ずしゃりと、鈍い音。転がった身体。けれど、腕だけは伸びていた。放さないと、一人ではいかせないと。


「…………」


 当麻はそれを、見てしまった。

 きっと、呼び止める声に反応して振り向かなければ、無様に転がる少女の姿を見なかっただろう。伸ばされた腕も。けれど、見て、しまったのだ。

 自分より大切な人がいる。何より大切な人がいる。そこに揺らぐ余地は、一つもなかった。

 でも。


「当麻……落ち着いて。良いから、きっと大丈夫だから」


 地面に転がった儘、立ち上がる事もせず、ただ真っ直ぐ信じるように見つめられていた。青い瞳を向けるシェンナに、背を向けられなかった。


「私も助けるから。友達なんだから、信じて」


 そう口にする言葉に、応える事も出来なかった。

 不誠実な沈黙が、長く響いた。信じたい。けれど。不安に勝てなかった。転んで擦り剥いたシェンナに、手をさ差し伸べる事はなかった。

 ただ、足はもう動かなかった。視線を、消えていく紫の空へと向ける。

 月は満月。銀の光を注ぎ始めた、夜だった。

 












 それが、正しい事だったのか。よく解らない。

 ただ、もうその時、確かに終っていたのだろう。 


 それからほんの数分後に六木の申請で、当麻達三人が先遣調査隊の一部として街へと走った。

 全力、だったと思う。よく覚えていない。

 他の何も知らない。見たくないと、人が一人もいない街を駆け抜けた。


 そうして、あの屋敷があった。椿の住んでいた、片瀬家と掲げられた、日本屋敷。

 その中は、鮮血で染め上っていた。


 死体は、一つもない。

 ただ、紅蓮に燃えるような血が、襖に飛び散っていた。流血の飛沫が、火焔の模様を作っている。

 人が死んだ事を、それも一人や二人ではない事を知らせる、血液の量。

 未だに乾き切らない、赤い、赤い液体。ともすれば、そう。

 ほんの少し前まで、この血は流れていなかったのだというように。

 



ぽたり、





 と、天井から落ちる、鮮血。

 流れて、零れて、砕けて散る。


――喉が、何かを上げた。

 魂斬る音が、夜に響いた。断末魔だったかもしれない。

 この日を境に、片瀬・椿は誰も見ていない。

 行方不明だった。遺体は見つかっていないが、絶望的だった。

 何しろ、あの街の住民全員が、消えていなくなってしまったのだから。







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