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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第一章
3/33

一年前、約束の続き

 


 だから、ふと思う訳です。

 一年前――どうして、もっと僕は、楽しもうとしなかったのでしょう?




 その日は文化祭だった。

 幾つものキャンパス……それこそ小学校から大学まで用意されたこの脅威的な規模の学園都市で、当麻の心は浮いていた。端的に言って、心が別の場所と時に向いていた。

 波打つ喧騒も、ぼんやりと聞いていた。右から左ではないが、少なくとも、クラスの出し物に当たる姿勢ではなかった。

 本人がそう自覚してしまう程に。


「どうしても、こういうのは馴染めませんね」


 賑やかで明るくて騒がしい。もう一年近くこの学園に通うのに、殆ど毎日驚いている気がする。

 特にこの文化祭。熱の入り方。楽しむ時に楽しむのは結構だが、あまりにも浮かれすぎていて、心を揺らさないようにと務める当麻にとっては馴染みきれない。


 全ては穏やかに、静かにあれば良いと思っているというのに。騒がしくて浮足立っているようのは、好きではないのだ。

 溜息。とは言ってもその騒がしい集団と祭りの中にいると決めたのは当麻自身。それも影響を受けた結果なのかもしれない。自分だけで他人に影響されずに生きるなど、無理なのだから。

 そんな思考をしている中。


「……っ…当麻っ……!」


 どんっ、と木のテーブルに叩きつけられたのは木製のトレイ。

 衝撃で、そこに置かれた珈琲がマグカップから僅かに零れた。

 周囲の喧騒が一瞬だけ静かになるが、またか、という誰かの呟きに納得するように、緩やかな賑わいを取り戻していく。


 それを認識した後、ふと当麻の視線がトレイを持った金髪の少女へと向いた。

 いや、それも大概に失礼で、周囲より、まず自分の名を呼んだこの少女に声を掛けるべきだ。

 が、知らない仲ではないから構わないだろう。僅かに笑みを浮かべながら、ようやく当麻は応えた。


「ああ、シェンナさん。お疲れ様です。でも、あんまり声を荒げると、周囲の迷惑ですよ?」

「ア・ン・タはねぇ……っ…! 他に言う事あるんじゃないの。また、珈琲のクレームよ」


「おや、どうしたんでしょう。アイスコーヒーをホットで淹れてしまいました?」

「そんな初歩的なミスなら私がフォローできる……っていうか、アンタやる気あるの!?」


「なければ、カウンターの中にいません」

「カウンターの中で突っ立っているだけで、やる気があると言い切れるなら、人形にもやる気はあるわね」


「ああ、だから日本の人形には心や魂が宿る訳ですね。やる気があると。殺す気と書いてですが」

「そういう問題じゃない……私が留学生だからって、何でも日本に結びつけたら、誤魔化せると思うんじゃないわよ……!」


「あれ、バレていました?」

「うん、当麻が頭悪いのは解っているから……」


 盛大に溜息を付き、淡い金色の髪を書き上げる少女がシェンナ。

 イギリスから、互いの技術……つまり天魔への対抗手段を模索(もさく)し、共有しようと派遣された交換留学生だ。じっ、と当麻を見る薄い青の瞳に浮かぶのは真剣な感情。

 何というか、真面目なのだ。このシェンナという少女は。


 委員長気質しでも言えばいいのか。責任感が強くて、行動力もある。

 そして周囲をよく見て判断する。頼りがいもある。

 頼られる程でなければ交換留学生として、故郷の友達の顔に泥を塗るとでも考えているのかしれない。

 本当に真面目で芯の通った人だと、思うのだが。


「それで、何かトラブルでも起こしてしまいました?」

「この三十分でクレーム五つよ。それも全て、珈琲の中に珈琲豆のカケラが入っているというね。アンタは紅茶どころか、簡単に淹れられる筈の珈琲もマトモに淹れられないの?」


 その程度、文化祭では大目に見て貰えるのでは。と思うが、シェンナにとっては大事な事らしい。

 だからこそ、しっかりと返答しよう。


「インスタントコーヒーならこういう事にはなりませんよ?」

「ドリップ式なら?」


「僕は言われた通りにしただけです。手順に間違いはない筈ですけれど」

「ふーん。言われた通りにして、豆粒が珈琲の中に沈んでいるんだ。凄いね、不器用だね、当麻」


「本当に、なんででしょうね?」

「私が知りたいわよ、全く……」


 そう言うと、ちらりと後ろを振り返るシェンナ。

 そこで行われているのはダーツ。このクラスではダーツバーをやろうとシェンナが提案し、それが通った形だ。

 そこそこの盛況、だとは思う。何しろ、三十分に珈琲が五つもオーダーが入ったのだ。つまり、全ての珈琲に豆が混入していたという事である。

 その事実に気付いたのか、シェンナが深い溜息を付く。


「もう、フォローする私の身にもなってよ、当麻……」

「とはいっても、急須からお茶を淹れた事くらいしか僕はないですし。珈琲の淹れ方などとてもじゃないですが、解りません」


「珈琲の淹れ方が解らない? やり方は殆ど同じだよ? じゃあ、アンタの出すお茶はその急須からお茶っ葉が出ている訳だね。凄いね!」

「凄いのはシェンナさんですよ。去年この学園、日本に来たのによく『急須』って知っていますね。日本好きだったわけです」


「やっぱり、ワザとやっているでしょう? 私をからかって楽しい?」

「いえ、からかってなどいませんよ。でも実際解らないのは確かで、フィルターに穴でも開いているのでしょうか……」


「真っ直ぐ、真剣に、私を見ないで。不器用なのか馬鹿なのか、解らなくなって、私、アンタが怖い……」


 やれやれというように、カウンターに入ると自分の分のオレンジジュースを紙コップに入れるシェンナ。

 気苦労を、かけてしまっている。

 どうしてそうなっているのか、当麻には見当もつかないのが問題なのだが。

 ただ、そうやってぐったりとしているシェンナを見るのは中々に楽しい。いや、先に交わした言葉の応酬も、単なる馬鹿者同士のやり取りのようで、どうしてか笑えてしまう。


 馴染めないと、先ほどまでは思っていた筈なのに。

 どうしてでしょう。そう呟かずにはいられない。存外、楽しい日々というのは、何処にいても同じなのだろう。

 気心の知れた友達、知り合い。そういうものが大事で、結局、場所など人は慣れて適応してしまう。


 丁寧さを心がける口調も、ともすれば崩れてしまいそうだった。

 シェンナ曰く、丁寧過ぎてむしろ無愉快だと言われて、崩れた時の方が話していて楽だと言われてしまったが、自分らしさは自分で決めるものだと当麻は思う。

 それはこのシェンナという少女にとって、『不自然』らしいのだが。

 曰く、妙に力が入っているようで『気に入らない』と。ばっさりと。自然体でいなさいと。


 では、このシェンナという少女にとっての自然体とは何だろう。珍しく、当麻の興味が引かれた。


「……何を見ているのよ?」

「いえ、別に。では、僕は何をすればいいでしょうか?」


「アンタはヘルプ要員。とりあえず、私のやり方を見て、少しは覚えなさい」


 そう言って制服の上からエプロンを付けると、珈琲の淹れ方のジェスチャーを始めようとするシェンナ。

 不機嫌そうな表情だが、口元は綻んでいる。

 結局の所、気を許した者同士、という事なのだろう。

 少しはみ出した者同士。どうもネジが緩いとか天然と云われてしまう当麻と、外国から来たというシェンナは、やはり少し浮いてしまう。

 いや、シェンナはもう見事な程にクラスの輪の中に入り、リーダー格にもなっている。その彼女から見て、何しているの、と当麻を引き入れようとしているのかもしれない。


 ああ。そうやって輪に自分から入っていかないのが不自然で、自然じゃないとシェンナは怒っている訳か。と、理解した上で、さて、ではどうすればいいのだろうと考え込んでしまう。

 当麻はそういうものをあまり意識した覚えがないのだから。


 有難い、事、なのだとは解っているけれども。

 こうして会話し、ジェスチャーを受ける間にも時間は過ぎ去っていく。


 成程、珈琲を淹れる際にお湯を勢いよく注いでは駄目なのかと頷いている間にもだ。

 時計が、気になり始めた。

 約束した時間が近づいてくると、妙に焦る。


 逢えるだろうか。逢いたいと思う。この学園に来ると決めた時に覚悟していたが、此処は外部からかなり隔絶されている。

 人口島の上、アウルに目覚めた者を育てる為の施設。


 そう易々と部外者を入れる事は出来ない。危険は常にあるのだ。無数の校舎と施設と、そして寮から成るこの学園は一つの防衛機能を果たしている。外から来たものすぐに解るようにと。

 そして、そう易々と中に部外者を入れない為に。学校という空間に、部外者というのは酷く目立つ。

 だからこそ、文化祭というようなこんなイベントでないと、逢えない人が、外にいる。


「ん、気になる?」

「流石に、ですね」


「ただ、時間は守ってよ? スケジュール、出来るだけ調整してあげたんだから」

「善処します」


「アンタの善処します、は約束を守る気ないっていう意味だよね。過去の経験から言うと」

「そうだったんですか?」


「良い加減にしなさい」


 脇腹を突かれ、当麻の苦笑が止まる。

 ただ申し訳ないけれども、実際に守る気はないのだ。逢いたいと、逢いたいと焦燥感ばかり募る。

 どうしてだろう。


 気持ちの整理が上手く出来ないのだ。

 静かにあろうとするのが当麻の筈。でも、ざわめく心。不安と期待。来て、くれているだろうかと。

 心は揺らさないように。揺らさないように。水面のように、静かに。


「アンタ、ね」


 シェンナが淹れた珈琲を差し出してくる。

 苦い。けれど、香りが口の中に広がっていく。


「ようは、楽しみたいんでしょ、結局。何時も思っている想い人と、この学園を回ってみたいって」

「……………え?」


「視線、ずっーとカップルを追っていたの、自分で気づかなかった?」

「…………」


「気づかなかったんだ。そーなんだ。鈍いね、アンタは」

「シェンナさんに言われたくはないですが。ずっと、この一日、シフトに自分から入るだなんて」


「そう言いつつ、結局、まともに珈琲を淹れられないのも、不安で手が震えていたからじゃない?」

「それ程、僕は単純でも臆病でもありません」


「じゃ、時計の針を気にしているのは?」

「…………」


「気づいて、ない――本当に?」

「何に、です」


 流石に苛立つ。

 何処か遠くを眺めるシェンナの視線は、微笑ましいものを見つけたようなもので。

 けれど、その後に続ける言葉を見つけられなかった。見透かされているような、何を言っても無駄のような気がしてしまう。

 少し、寂しそうな気もしていたから。


「……恋って盲目だね? でも、私は応援しているよ。これでも。良いじゃない、中々逢えないってラブロマンス。本当に、今時ないロマンチックな恋だよ」

「そういう、シェンナさんは?」


「私は……どう、かな。告白された事はあっても、好きになった事はないのかも」

「?」


 自慢、だろうか。

 でも、そう素直に受け取れない。皮肉と自虐めいた響きを伴っていたから。

 だからこそと、シェンナは苦笑いをして付け加えた。


「私は全員平等で、全員大切で、この人だけが大切って区別できないと思う。こういう日常が続けばいいなーって思ってしまうし、それが変化するのは、嫌だなって。友達の儘で良いじゃない、って」


 ああ、別に否定する気はないんだけれどね。と含み笑いをするシェンナ。


「愛って特別だから、きっと痛いよね」


 だから、せめて当麻の恋路は幸せだと良いと、傍から見ておくとシェンナは言う。


「恋する勇気も持てない乙女からの、だけれど」


 そういうと、早めにやってきた交代のメンバーを捕まえ、当麻に休憩の時間をシェンナは当麻を送り出す。

 それこそ、シェンナらしくない。責任感に強い彼女にとっては、ありえない事だったけれど。


「当麻程、一途な人は見た事ないから。私も応援したくなる訳。……さて、その年上の彼女さん、此処にも連れて来てね? 私も、一目見てみたいから」


 そういって笑うシェンナの髪が、真昼の光に照らされて、輝いた。

 髪が尾のようにふわりと回る。ターンして、背を向けた。送り出したのだ。後は、好きにすれば良い。好きな、相手と。

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