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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第七章
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美しいものを、壊したくなくて


 破られる約束だと、解っていた。

 守る気はあっても、人には優先順位がある。シェンナとてそれは理解している。

 当麻にとって一番大事なものは何。一番大切なものは、人は。それがシェンナではなく椿だというの事実は痛みとして、既に知っている。

 だから破られる。卑怯(ひきょう)な言葉で引き留められない以上、絶対に当麻と椿は殺し合う。だというのに、何も言えない。

 どうなのだろう。シェンナの臆病(おくびょう)さは、どれだけの人を傷つけて不幸にするのだろう?


「それでも、当麻程、一途な人は見た事、ないから」


 真っ直ぐで不器用で、その癖、純粋な人。

 だから、それを羨ましいと思ったのは、一体何時からだろう。

 向けられる、穏やかな瞳に映して欲しいと思ったのは。それが叶わないと、諦めたのは。


 何時も何時も、停滞と停止の積み重ね。何と言葉を掛ければ良いのか。何をすればいいのか解らなくて、シェンナは立ち止まっていたのだから。

 どうすれば、振り向いてくれるのだろう?

 どんな言葉を言えば、私を見てくれるだろう?

 そんな迷いを、ずっと積み重ねて、今ここにいる。こんな場所に。


「一途過ぎて、脇見もしないもんね、当麻」


 だから、今走る。瞳が椿に向いた儘でも、当麻を失いたくないのだ。

 まだ交わしたい言葉はある。伝えたい想いがある。何より、日常を笑って過ごしたい。

 これを恋とは言えない。これを愛しているとは言えない。


「一途過ぎて、私のは霞(かす)んでしまうよね」


 何しろ、自分から身を引いたのだから。

 ああ、叶わないと知って、一年前にはもう、友達でいようと決心したのだから。

 憧れて、羨ましいと、そう思った。

 壊れる前に、これ以上、痛まないようにと、曖昧な感情を消した。


「私は、臆病だから」


 その程度だった。友達として笑っていられる日々が壊れるのが怖かった。

 そちらの方が大事だなんて、当麻と椿の間に挟むにはなんて薄っぺらい想いだろう。

 だから、走る。シェンナはあの時のように、自分で壊れて行くものを見たくないから。

 何もしない臆病さを捨てる為にも。


「羨ましいと思ったのは、何時からだろう。当麻の一途さが」


 それだけの力が欲しい。今、その一途さが崩れてしまわない為に。

 全力で街を駆け抜けて行く。早く、早くと。嫌な予感がする。そして、それを払う為にも、核を壊して早く当麻の元へと。







 だというのに――どうして、そんな一年も前の事を思い出すのだろう?







「未練、かしら?」


 笑ったつもりで、けれどきっと上手く出来ていない。

 鏡を見れば、引(ひ)き攣(つ)った無様な表情が映っているだろう。

 走り続けているせいで息は荒れて、泣いているように見えるかもしれない。 

 ただ、曖昧(あいまい)な輪郭(りんかく)が、少しずつはっきりとしていくように、その思い出は浮かび上がる。

 共に沸(わ)きあがるのは感情の波。羨望と、苦しいナニカ。


 記憶の中、その頬に触れたいと指を伸ばしかけて、戸惑った挙句に肩を叩くだけだった。

 驚いた顔で当麻が振り返り、何でしょうかと当麻が笑う。

 食堂のテーブルで横に並ぶ。それだけで十分だと思った。

 午後の柔らかな光。そして、隣にいる当麻という少年。それが何時もの日常だった。


 なのに、違っていた。決定的に。

 見れば当麻は大事そうに、封筒から取り出した便箋(びんせん)を読んでいる。その瞳は今までシェンナが見たどの時よりも穏やかで、安心しきっていた。

 無駄口を叩き、じゃれ合うように会話していた時も、そんなに幸せそうではなかった。

 テストの勉強を教え、教えられ、共に乗り切った後も、こんな風に優しく口元をゆるめていなかった。

 胸を引っ掻く痛み。じくりと、滲(にじ)んでいく熱と毒。喉にまでせり上がる混濁(こんだく)した感情。

 こんなに長く一緒にいるのに、シェンナの知らない当麻の表情。


 今思うと、それは予感だったのだろう。

 文通なんて時代遅れなと、皮肉げな口で誤魔化した。その舌まで、予感の苦みを感じているのに。

 手紙からは、金木犀の香りがした。美しくて、何処か切ない花の匂い。

 少女の付ける、匂い付きの手紙。

 当麻の手な握られた便箋からそれが流れていると気付いた時、再び胸の中を何かが引っ掻いた。


 ぶつりと何かが切れて、熱い血が心から零れた。

 怒りではない。悲しみでもない。違和感という血。どんどん滲んでいく。そして、止まらない。

 ああ、手紙の相手は少女なんだ。そう気づいてしまって、思考と感情が重たく、鈍くなっていく。


 想う心の弦が悲鳴を上げる。ぷつりと切れて、胸に裂傷を作る。そしてそれは止まらない。

 傷は癒えない。本音の言葉は出ない。

 その変わり、誤魔化しを入れた。


「誰と文通しているの?」


 それがシェンナの精一杯の勇気。自分に嘘をついて時間を稼ぐ為の手段。

 それに対して、とても透き通った眼を向けた当麻。

 ツバキという、花の名前をした少女の事を知ったのはその時。

 その人を語る当麻の表情を羨ましいと思ったのは、その時。





 今でも、ずくりと痛む。傷口は癒えていない。

 熱い液体が、溢れて来る。唇を噛み締めて耐える事しか出来ない。それより痛い事を、知っているから。




 身を引いたのはそう。去年の文化祭の時。


「そうだよね。あんなに安心した顔、見た事なかったから」


 居なくなった当麻を付けて、その恋人共々驚かしてやろう――少なくとも、この時は恋敵として、まで諦めてなかったシェンナは動いた。

 臆病だったから、止められなかった。

 臆病だから、応援しているフリをして、隙を見つけようとした。


「そんもの、なかったのに」


 透き通るように重な合う二人は一つだった。

 秋の優しい日差しの元、手を繋いで寄り添う二人。

 静かに微笑み、囁くように語りかける当麻。それを聞いて、くすりと笑う少女。

 決して自分には向けられない、優しくて穏やかなもの。余りにも、それが一途だったから。


 その少女の事を好きだと一目で解ってしまう。一途で、真っ直ぐで、飾ったり隠す事が出来ない不器用さ。

 なのに、とても安心していた。

 そんな顔、見た事がない。

 皮肉と毒舌はあるけれど、本心から穏やかに。

 それに合わせて橙色のワンピースが揺れて、鈴が鳴る。

 金木犀色の服が当麻に触れて、鈴の音が響く。

 それを羨ましいと思ったのだ。決して自分には向けられないものだから。

 見せてくれさえしない、もの。


 これは、嫉妬?



「今でも思うよ。悩むよ。鈴の音色と、金木犀の香りに」


 そして当麻のその横に立つ自分を想像出来なくて――シェンナの恋は、破れた。自分で破り捨てた。

 一途さも足りない。力も足りない。失恋を経験したくなくて、日常が続けば良いという臆病さで。


 あの時、もしも変な言葉で割って入ったら、どうなっただろう?


――もしかしたら、嫉妬や危惧した椿さんが、この学園の関係者として来たかも?


 或いは人口島の近くに住むようになったかも。

 根拠もないものを、今さらそうやって悩むのだ。


「あんな一途さを、想いを、悲しい終わりにしたくないよね」


 シェンナは走りながら、誰にも届かない筈の声を呟いた。

 それは駆け抜ける勢いと、記憶の激流に呑まれ、気付けば叫びとなっていた。

 止められる筈なんてない。あんな、綺麗なものを。羨ましい、重なりと繋がりを。



「あれ程、綺麗な想いと恋を、壊したくない……!」



 それが身を引いたシェンナだからの叫びで、願いだった。

 どちらかがどちらかを殺すだなんて最後、例え形をなぞるだけでも、あって欲しくないから。

 美しても悲しくて、やりきれない終わり方なんて、嫌なのだ。



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