道は遠く、高く、見えず
学園から借りだされたワゴン車が揺れている。
乗っているのは、運転を任された六木と、助手席に当麻。そして後部座席にシェンナの三名。
そう遠くないのが幸いだった。
お蔭で準備もそうは掛からない。三時間もあれば、到着する距離だった為、夕暮れ前には着けるだろう。
以前、紫の光が消えた後、街の調査にいった経験のある三人を最初にと、学園は派遣している。
後続は準備が整い次第、向かわれる予定だ。とはいっても、情報収集やその準備、ミーティングに数時間取られるのは避けられない。
それでまた間に合わなかったらどうするのだ。というのが当麻の感情だった。
だから、今、こうして真っ先に向かわせて貰っている事には感謝している。それこそ、あの時とは全く違うのだ。メンバーが同じでも、いや、仲間が同じだからこそ、違う結末になる筈だと。
けれど。
「…………」
「おい、ガキ。何を不機嫌そうにしてやがる」
「別に。少し遅い、と思っているだけです」
「それはただ焦っているだけだろうが。これでも飛ばしているんだぞ」
苦笑まじりの、六木の溜息。
流れ行く景色は、確かに早い。
かなりの速度が出ている事を、身体も圧力として感じている。
解ってはいるのだ。心が妙に焦ってしまっている、それだけで。
「……ええ、飛ばして貰っているのは確かに。動きやすいようにと、三人での先遣隊を組んで貰って迅速さを重視して頂いたのも嬉しいです。有難う御座います」
「綺麗な棒読みだな。年上への敬意を持てよ」
「チンピラに対する敬意はある訳ないじゃないですか」
「それだけ軽口が叩ければ上々、か。ま、焦って緊張で固まってないのなら構いはしないさ」
「誰がそんな無様晒しますか」
「当麻、良い加減にしなさいよ」
こんな問答が、発車以降、続いている。
沈黙よりはよく、ある程度気心が知れているからの軽口の応酬ではあった。
ただ、確かに不毛ではある。時間潰しなら、もっといい方法もあるだろう。
その前にだ。
「感謝は、していますよ。それこそ、六木さんには本来、関係のない話だったでしょうに」
一期一会という言葉はあるが、六木には似合わない。
確かに面倒見の良い所はあるけれど、それも過ぎている気がするのだ。当麻には。
「要らぬ世話、ってか?」
「そこまでは言っていませんよ。むしろ、感謝していると言いましたよね?」
何処か砕けた六木の声に、僅かに笑ってしまう。
ニヤリと笑う表情に柔らかさや気遣いなど感じない。ただ、思った儘に喋っているのだろう。
けれど、そちらの方が当麻には好感が持てるというものだ。
これはどちらかというと相性の問題。刺々しい言葉に慣れているか。その対処の仕方を知っているせいか。或いは気の強さか。
何れにしても、変に気遣われるよりは当麻にとっては楽だった。先のような暴言も、するりと出せる。
……甘えている、のだろうか?
結局心配してくれている人に本音を出している。出したいと思っている。
それが甘えでなくて、何だろうかと、眉を顰めた時。
「はいはい、頭の悪い男二人、そろそろ私の話も聞いてくれる?」
後ろで端末を弄っていたシェンナが口にする。
揺れるワゴン車の中で、ネット回線に繋いで学園と情報を交換し、整理し続けていたシェンナ。
運転している六木は腕が塞がっている。当麻は機械音痴だ。当然の役割分担ではあった。ただ、シェンナは自分が仕事を続ける中、馬鹿話を続ける二人に文句も募っていたらしく、不機嫌そうに前髪を指先で払う。
「紫の空の発端は、多分、日の出の辺りから。正確な時間は解ってないね。ただ、一つのベッドタウンを丸々飲み込むように広がっているという事。内部からの情報通信なし、また、その街から出てくる人もいない」
それは、完全に前回のそれに一致している。
「近くにいた撃退士が内部に入れるかは確認しているね。結界のように内部と外部を切り離すものではなく、ただ単に空が、或いは光が紫に変じているだけ、のようだけれど」
詳しい調査は出来ていない。実際に中に入ったのではなく、機械を投入して調査したとの事だ。
近くにいた撃退士もそのたった一人だった為、現場付近で情報を送ってきているだけだ。付近に出没した天魔狩りへと、他の撃退士達は駆り出されているという。
戻ってくるより、当麻達の到着の方が早い。
「その為、私達は先遣調査部隊として内部の状態を確認後、一旦、外部に出て学園に報告という事になるよ」
「その後は?」
思わず、切り込むように。
「……各自、安全を最優先に深く調査を、だよ」
「ま、ようするに一度内部を確認して報告したら自由にしていいって事だな」
「…………」
黙った当麻の首筋へ、鋭いシェンナの視線が突き刺さる。
解っているのだろうか。無茶はしないだろうか。気遣うというよりは、暴走しないかと見張る目だ。
溜息。どうしてもないし、言っても無駄だろうという気配。
そして、ほんの少しの決意と、信頼を込めてシェンナの声が続いた。
「で、まあ後は私なりの推測でも聞いておく?」
それは気を紛らわせる目的が半分。後は、何が起きるか解らないからこそ。
まだ時間はあった。
ただ車の中で揺られているのは、虚しかった。
「ええ、出来ればお願いします」
「シェンナの博識ぶりを披露して貰う、かねぇ」
くつくつと喉の奥で笑う六木。
当麻も六木も剣士だ。発現したアウルを身体強化に用いられ、ほぼ常時、人の領域を超えた膂力、速度、頑丈さを維持し、更に瞬間的に上昇させる事も出来る。云わば、気を練り上げて肉体を強化させ、戦うタイプだ。
が、それだけがアウルではない。
「あのね……」
シェンナの発現させたアウルは性質が二人とまったく異なる。
身体強化はあるものの、それは最小限だ。ただし、二人には出来ないものを具現化させる事が出来る。
この世の法則に非ざるもの。無からの火を、水を、雷撃を、アウルから錬成して紡ぎ出す。陳腐な言葉で言えば、魔術師。
それは天魔たちの世界と交じり合ったせいかもしれない。
影響を受けた身体と精神が、天魔の世界の常識をこちらに持ち込んでいるのかもしれない。
アウルの発現は天魔との接触からだ。故に、天魔の影響を受け、天界の祝福を、或いは冥界の渇望を身に宿すものが撃退士には少なくない。
理屈は解っていない。ただ、このシェンナは、異界の法術――雷撃を操る術を持つ。
それを指して、博識ぶりと。物語にある魔術師はこういう時、薀蓄を披露して解決の糸口を見つけるものだろうにと六木は皮肉を混ぜたのだ。
「まあ、良いわよ。とりあえず、ゲートのおさらいでもしましょうか。あの紫の空は、それだけを見るとゲートに酷く似ているしね」
天魔の作る異界の門。確かに、あの空の色は異界のそれだ。
「ゲートというのは、何も天魔は何処にでも作れる訳じゃないわ。もしも作れるのなら、重要そうな拠点に幾つも作って、一気に侵略出来た筈」
「けれど、それは出来なかった。確か、地脈、でしたっけ」
「ええ、レイラインとか、力の流れね。その集中する場所にしかゲートは開けない。だから天魔の進行やゲートの制作の動きには対応出来た、訳だけれど」
「今回は違うってか?」
ハンドルを切りながら問う六木に、半分はそうね、とシェンナは口にする。
「地脈の通り道ではあるの。ゲートを開く程のものではなかったと、前回も今回の地方はデータで出ているわ。だから、ゲートを開けないのは確かなのよ」
ならば。
「では、あれは何だというんです? ゲートを覆う結界のような、紫色の光は」
「少なくとも、自然現象ではないというのは確かよ。事実、あの事件、あの街に、人は残っていなかった。まるで吸い取られたように。日本で言うと、確か、カミカクシ、だったかしら」
「神隠し……隠し神が攫ったというには数が多すぎるのでは?」
「そうね。でも、その為の場は整っていると思わない?」
問い返す当麻に、シェンナは小首を傾げて続けた。
「場、つまり条件?」
「……地脈ってのは、力の流れ。だとすると、それを利用して天魔が何かしらの大規模な異常現象を引き起こしている、とでも?」
「案外、察しが良いわね、六木先輩も。ま、少なくとも、私はそう考えているって事だけれど。一次的なゲート、ないし、人だけを転移させる魔法陣のようなものが、あの紫の空ではないかしら?」
「それだけでは説明はつきません、けれどね」
情報通信は完全に遮断されている。更に人が出て来れないのは、それだけではない筈だ。
「でも、ゲートを覆う結界は情報の遮断能力があるわね。いわゆる、異界との境だもの。そして、地脈はもう一つの名と言い方があるわよね、この国では」
「それは何、です?」
初耳であった当麻は思わず聞き返す。六木も、何だそれはと顔を顰めていた。
撃退士なら地脈というのはよく聞く言葉だ。授業でも確か出てきた、気がする。真面目に受けてない為、完全に覚えているかは不明だが。
ただ、別の名前というのは初耳だ。しかも、この国では、と言う。それは一体何なのだと、当麻が振り返る。
二人の疑問に対して、やれやれと呆れたようにシェンナは肩を竦めた。
「何、当麻も六木先輩も自分の国の文化なのに、知らないの? 日本は本当に、特殊で面白い文化なのに」
「シェンナさんが日本オタクなだけですよ」
「つーか、そういうのは専門知識で一般人は知らねぇよ」
「つまり、シェンナさんは日本の文化を知っていても、日本の常識を知らないと」
二人してシェンナへと刺々しく言葉を投げかける。
軽口の一種ではあった。ただ、嫌な予感がしたのも事実。それを誤魔化すように。
シェンナの声が流れる。
「霊道、異界への道とその流れ。――文字通り、異界への道筋ね。そこに人を落す事が出来たら、何処に運ばれるのかしら」
それは、躊躇うように。一瞬、シェンナの唇が震えて、けれど気のせいだと続ける。
「今、この世界で言う異界は天魔の住む天界や冥界よね。それを川のように使えるとしたら、どれだけ多くの人を連れていけるのかしら。つまり、あれは転移装置みたいなものかもしれないわ」
地獄や天国、黄泉も浄土もない。ただ、天界と冥界があるだけ。
「いえ……普通、それこそが、ゲートなのでは?」
「そうね。けど、ちょっと違うと思うの。ゲートという『穴』に、人を流し込して転がす坂、ではないかしら」
それはあくまで可能性。空間から別の空間へと転移させる力の流れの話。
ああ、それならゲートを作る程の地脈の力はいらないかもしれない。異界と異界を繋ぎ合わせる程の力は。
人が一瞬で消えるのは、見えない流れに持って行かれたせいかもしれない。
坂を転がり、穴の中へ。
「何を、馬鹿な」
そう。そうだとしたら、椿は、その穴へ。異界という、穴へと落ちた事になる。
冥界へと落ちた人。それが果たしてどうなるのかも、知られてはいないから。
「――でも、穴に落ちただけなのなら、まだ、助けられる、よね?」
そんな希望は、どうなのだろう。
「死んでないってなら、助けられるだろう」
六木が言う。
そういう視方も、あるのかもしれない。
ああ、でも。それこそ日本の文化や古い民話では、異界にいった人はどうなっただろうか。
それによく似た話を、何処かで聞いた気がする。愛した人を探しに、黄泉の坂を下りていった、男の話。
「……何を、馬鹿な」
そんなのは神話だ。その結末もよくは覚えてはない。
シェンナとて不安にするつもりで言ったのではないだろう。穴に落ちたと言い、それを助けられると言ったのだ。そう言いたかっただけだろう。
けれど、どうしても拭い去れない不安があるのだ。
「ちなみにね。神隠しなら、一つ、良い話があるよ。それこそ、偶然の符合だけれど、さ」
ちりん、と。
その時、頭の奥で鳴った音は、覚えている。
はっとする。水面が揺れて、崩れていく。意識が、何処に向けられて、沈んでいく。
「鈴を鳴らすっていうのは魔を払うっていう意味もあるらしいよ? 居なくなった人を探す時に、鳴らすらしいし」
「…………」
「此処にいると、知らせる為、天狗に攫われないように子供に持たせたって話も、ね。気休めだろうけれど」
「ええ、初めて聞いた、お伽噺です。誰ですか、そんなの吹き込んだのは」
「私が、自分で調べたんだけれど」
――ちりん。
再び聞こえたそれに、頭を振るう。
幻聴だ。ただの。そうでなければ、車を飛び降りて、駆け出してしまいそうだった。
言い聞かせる。これは、鈴ではないと。
「シェンナさんの日本好きも、大概、ですよ」
そして向けた視線は空。
ついに見えてきた、青と紫の境。この世と、あの世の境界線じみた、その色彩。
「そろそろ付くぞ、準備しろ。油断するなよ、たった三人での行動だ」
「解って、ますよ」
ちりん、ちりん、ちりん。
そう鳴り響き続ける鈴の音だけが、解らなかった。
夢の中から、響くように鳴り続ける。




