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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第三章
12/33

涙の行方、約束の啜り泣き

 


 運ばれた病院。手術が終わってすぐ、残念ながらと医師に告げられた。

 椿の左腕はもうまともに動かないだろうと。

 肉と共に神経を食い千切られたという。剣を握る所か、日常生活にも支障を来たすだろうと。


 それは伝えられた事実。覆しようのない、既に起きて取り返しの付かなくなった現実。

 或いは、失った可能性。椿は、当麻を庇って左腕の自由というものを永遠に失った。

 共に手術が終わるのを待っていた片瀬家の家族は、誰も当麻を責めなかった。あの子は、人の為に身を投げ出すような子だったと。


 だから責めない。守ってくれたと礼は言えないがと椿の父親が、絞り出すように言った。

 誰も当麻を責めなかった。


 それは当たり前の事、かもしれない。身を(てい)して(かば)ったのは椿。そして、それを逆に救った当麻。

 ただ、代わりに今晩は椿の傍にいてくれと。呪うような縋るような、曖昧にぼかされた声で告げられた。

 言った椿の父親も、内心は入り乱れて自分でもその心を理解出来ないのだろう。


 父にとって椿は一人娘だったのだから、当麻へと追及はあって当然なのに。それでもその一人娘が今、一番いて欲しいのは、当麻だろうと。

 やるせなさが滲んでいた気がする。それでも、当麻に椿を任せてくれた。当たり前と感情は違い、そして感情も個人の中で複雑に渦巻いている。

 それでも、あまりよく当麻はその前後を覚えていない。ただ、締め付けられる不安で、胸がボロボロと崩れそうだった。


 ベッドで眠る椿の傍にいても、それはしばらく続いた。どうすれば良いのだろう。どうしたら良かったのだろう。自問自答が、繰り返された。

 でも、今、静まり返った夜の病室で、当麻を責める音が、響いていた。

 (ひび)割れるような、断絶的な声。

 手術が終わり、個室に寝かせられている椿。その右手を握り、横に座る当麻。


 その耳を打つ、声。

 押し殺した、嗚咽。

 椿が、起きたのだ。


 言い合いは、どちらともなく終わった。どちらも続けるだけの気力を失い、終るしかなかったから。

 ただ、連ねた言葉と想いは伝わっていた。

 今もまた、互いの胸に染みこんでいた。握り返してくる椿の指先の強さと冷たさが、当麻の身体を縛る。

 しずしずと、音もなく、流れる涙の気配。


 きっと泣いているのだろう。灯りが消え、逆の方向を向いた椿の顔は見えなくても、それだけは解る。

 震えていた。まだ、二人とも恐怖が抜け切れていない。

 失ったらどうなるのだろう。この人が居なくなったら?


 二人とも、同じように考え、同じように想い、夜の静寂に投げかける。

 痛みで泣く少女ではなかった。

 止まって終わる少年ではなかった。


 想いは見つけた。歩く先も。当麻にとって、それはただ、単純な事だったから。

 擦れ違うかもしれない。馬鹿だと、また(ののし)られるかもしれない。けれど、これだけは譲れない。

 痛いのだ。苦しいのだ。切なくて、胸が張り裂けそうだった。


 当麻もまた泣き続けていた。音もなく、気づかれないように。お互い、相手の泣いている姿を見たらきっと心が崩れてしまう――そういう思いを胸に秘め、顔を合わせず。泣いていないフリを続ける、夜。

 でも、お互いに同じ事を思って考え、どうして顏を合わせないのかは解り切っていた。互いに見透かされた配慮だけを、ただするしかなかった。

 バレバレの嘘を交わす。誠実さと、大切さから。相手が、大切だから付く、嘘。感じて思う事は同じでも、決して交わってくれない。譲れないから。


 自分が泣くのは良い。でも、相手が泣くのは嫌だ。自分が泣いているせいで相手が泣くなんて、絶対にもう嫌だっ。

 当麻は言葉を、紡いだ。


「……綺麗なものを、見ましょう」


 だからと、決めた事を、この夜に囁いた。


「椿さんの涙は悲しすぎます。もう、見たくない。泣かせないと、誓います」


 それは、一方的な約束。だったら、また危険があれば、そこに飛び込むのかと。


「だから、強くなります。二度と、貴女を泣かせない為に。貴女の笑顔が、綺麗だから」


 椿の優しさに触れられれば、きっと、それだけでいい。

 不器用で一途な当麻の想いは、此処に形を成す。

 泣かないで、笑っていて。綺麗なものを、共に見よう。

 見落としたりしない。見逃さない。椿という少女の心を。


「――それで、君は痛くない? 怖くない?」 

「痛いでしょうね。怖いでしょうね。でも、それでいい」


「…………」

「約束させて下さい。貴女を守る、という事を。この約束に魂を懸けると。代わりに……」


「…………」


 だから求めよう。ただ一つだけ。


「代わりに、椿さんの泣き顔は、僕だけに見せて下さい。これが最後で、僕だけが知っているものにしたい。二度と泣かせない代わり、貴女の涙を僕に下さい」


 今泣いている涙をくれれば、それだけで大丈夫。

 痛くても苦しくても、怖くても。この涙より切なくて、零してはいけないものはないと思うから。 


「…………君は、どうしてかな」

「――好きだからです」


 好きな人の涙。それを零さない為なら、何だってしよう。


「椿さんは、綺麗で優しく、笑っていて欲しい」

「――好きだよ、君の事。だから」


「奪わせて下さいよ、守る特権」

「…………」


「今度は、僕が守ります。先を歩かせて下さい」

「――どうして、かな」


「どうして、でしょうね」


 すれ違っているのを感じる。でも、少しだけ、椿が笑う気配がして。

 静かに、静かに。時はゆるゆると流れて行く。


 この夜の(うち)に、万の言葉でも交わせるだろう。

 でも、もうこの瞬間に約束は結ばれたと思った。言葉はその役目を終えていたから。

 ただ、(ちぎ)るように、絡められた指先。


「判った。当麻……君に、私の涙を上げる。代わりに、守って」


 しずしずと、月灯りが落ちる。

 涙が零れて行く夜。月さえも、苦しそうに細い光を落していた。


 なんて頼りない、明日への願いだろう。

 椿という少女一人だけでも、笑う世界であって欲しい。

 なんで、それさえ確信出来ないのだろう。願わないといけないのだろう。


 当たり前として、幸せでありたいだけなのに。

 きっと、それは当麻が弱いから。

 だったら、そうだ。強くなりたいと、この時に願ったのだ。















 屋上でそんな出来事を、想いを、当麻はシェンナに語った。

 けれど、それは微塵も揺れていない。回想し、それを言葉にした事で再び熱を帯び始めていた。

 長く続いた沈黙の後、屋上を後にして自分の寮の部屋に戻った。


 静かなシェンナの視線だけが、背を追っていったのは覚えている。言葉はなく、また、もう要らないだろうと、シェンナは何も言わななかった。

 いや、最後の去り際に、小さく呟きが聞こえた。





――本当に一途で純粋、だね。当麻も、椿さんも。





 それはどういう意味かは解らない。

 けれど、羨ましがるような、何処か寂しそうな、それでいて優しいシェンナの顏は覚えている。最後に振り返って確認した時、やはりその表情を浮かべていた。


 何処か忘れられない、薄くて綺麗なものだった。

 水面の鏡のように、当麻の願いを受け止めて、反射していた。

 その一途さを、貫いて欲しいのだと。


 ずっと、それが頭から離れなかった。一歩進むごとに、むしろ強烈になっていく想い。

 寮に帰りつく頃には、胸を焼くのではなく、暖める炎となって、当麻の胸にあった。

 決して人の肌を焼かず、ただ撫でるだけの月光のように。しずしずと。


 だから、寮の部屋に入った時にはもう、当麻の覚悟は決まったのかもしれない。


 ああ、でもそうだ。決めたのだ。

 けれど、どうしてこうなったのだろう。それだけがどうしても気になって、遣り切れない。


 擦れ違いは最初からで、思えば椿はずっと傍にいて欲しいだけだったかもしれない。

 けれど、それでは守れないとあの晩、思ったから。二度と泣かせない為には、どうすれば良いのかと。

 道は自分で選んだ。それを後悔は、きっと出来ない。


 擦れ違った。逢えない。何処にいるか解らない。どうしたらよかったのだろうと、聞きたいからこそ、絶対に見つけ出すのだ。

 二度と泣かせない為に、涙を零させない為に。後悔をしている暇なんて、ない。

 帰って来たばかり自分の部屋。真っ先に向かったのは鍵を掛けていた机。その引き出しに手を伸ばす。


 鍵は脆い作りだった。ポケットに仕舞っていた鍵で開錠すると、かちゃりと折れて壊れそうな脆い音を立てて開く。

 引っ張ればごとりと音を立て、中身を晒した。

 それは封筒だった。落ち着いた色彩の、何十という封筒。

 その一つ一つを、覚えている。色で、消印で。少しの形の違いで。


 その中から香るのは、金木犀の匂い。

 彼女との約束の花の匂いが、便箋に付けてられていた。

 忘れない。忘れていない。そんな信頼が、一つ、一つの便箋に込められていた。

 まだ、消えていない、香り。 

 過去の、名残り香。


「絶対、探して、見つけますから」


 その言葉をささやく。封筒から、一枚の便箋を抜き出して。


「一人では、無理かもしれませんけど」


 独りでは、ないから。



――ちりん、



 と、何処か遠くで、鈴が鳴り響いた。

 そんな気がする。錯覚を感じた。そして、くすりと笑う気配。

 約束の音色は、鳴り響いている。



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