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赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第三章
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約束の、始まり




 それは数年前。

 当麻が久遠ヶ原学園に来ようと決意した冬の事。


 間違いは何一つなかったと思う。どうしてもやり切りない想いだけがあった。

 その日の稽古を終え、道場を出た帰り道。


 未だアスファルトに舗装しきれていない、片田舎。

 飾り気の無い、素朴(そぼく)な街。もう、人のいなくなったあの事件の場所。

 全ては、その言葉が紡がれた所から始まった。




 梅が綺麗だよ、と彼女は言った。

 片瀬・椿。当麻の遠縁にあたる少女。

 共に同じ道場で剣術を学ぶ先輩でもあった。


 歳は二つ上。冷たい風に綺麗な黒髪を(なび)かせながら、寒空の下、梅を観に行こうと言った。

 冬の真っただ中だった。

 風は骨にまで染み渡るような冷たさで、何時雪が降ってきても可笑しくない。

 雲一つない、とても薄い青い色をしていた。寒かった。思わず身体が丸まってしまう程に。


 音もなく、寒さは世界を満たしていた。

 けれど、彼女は――片瀬・椿は、くすりと笑うだけだった。

 剣術の稽古の後。着替えてすぐ。竹刀と、そして椿の場合は木刀を仕舞った袋を背負っている。


「さ、観に行こう? 別に雪が降る訳じゃないから、大丈夫」

「いえ、寒いのですけれど」


「うん、寒いから梅は綺麗に咲くんだよ? 寒紅梅って知っているかな。寒い中に、八重の紅の花を付けるんだよ。見たいですよね」

「えっと、せめて、家に上着を取りに行っていいですか?」


「待ちません。向かわせない。ほら、行きましょう?」


 あくまで穏やかに。けれど、返答さえ待たずに颯爽(さっそう)(きびす)を返して当麻の前を歩く椿。

 実に楽しそうな足取りだった。そして、背後にいる当麻は付いて来て当然と、振り返る様子はない。

 何時も、椿という少女はこうだった。大人しそうな外見や口調に反して、一度決めたら決して譲らないし、当麻の言う事を聞いてくれない。


 幼馴染として、それは良く知っている。ずっと一緒に育ったのだ。

 お茶目な人だ。先ほどのように、梅が咲いたから観に行こう、とか。その場の思いつきで、当麻を巻き込む。それに当麻は、何時も逆らえないのだけれど。

 溜息は、空気に触れて白く染まる。けれど、心は暖かかった。


 頬が緩む。

 仕方ないと何時も連れまわされる。嫌だと心の底から思えない。

 元々、そう外に意識の向く子供ではなかったのだ、当麻は。それを見兼ねてか、色々な場所に、事に、引っ張り続けたのが椿だった。

 自分から動かないのは勿体ない。そう言って春は桜を、夏は祭りに。秋は紅葉を山に。ああ、そういえば剣の道場に通い始めたのは、椿の父親が師範だから、だったと思う。

 最初に剣を習い始めたのは、椿だった。親がやるからと。


 そして、それを見て、憧れたのは憶えている。何時も静かで、ゆったりとした人が、凛とした姿勢で一つの剣を振るう。

 いや、そんなものを見なくても、色々なものを見せてくれる椿に憧れていたのだろう。色々な事を教えてくれる事に感謝を覚え、共に過ごす時に見せる笑顔に、どうしても逆らえなかった。

 だから、そう。


「ちょっと待って下さいよ」


 駆け寄るこの歩みのように、椿の背に追いつきたいと思うのだ。

 次はどんな場所を見せてくれるだろう。どんな風景と、情景を。その時、当麻はどう変わっていられるだろうか?

 ずっと追いかける側だった。連れまわされるとかは嘘。


 本当に嫌なら、ついていかなければ良い。それを逆らえないと言うのはただの誤魔化し。

 その背中を追いかけていたい。

 憧れの人。


 いずれ横に並びたくても、くすりと笑う椿には勝てない気がしてた。

 振り返る事もない。来ると信じきっている、その背中。強いと思うのだ。この人は。

 剣も心も。ずっと笑っていられるその感性。美しいものを見つけられる、瞳。そこにあるよと、語りかける、囁き。

 憧れだった。この時はまだ。

 寒い空気を吸い込んで、走り寄る。


「君は、遅いね」

「椿さんが、早いんですよ」


 軽い椿の足取りに、少し遅れる形で付いて行く。だって、何処に向かうか、まだ聞いていない。

 知らないし、解らない。


「ふふっ。じゃあ、色々と見逃してしまうかもね。花びらってすぐに散るんですよ。綺麗なものほど」

「桜とか?」


「ええ。その散る瞬間を、視線を落としていたら見落としてしまうかもしれません。少し休んでいたせいで、一斉に桜花が舞う空を見逃してしまうかもしれない」

「…………」


「どんなに綺麗なものでも、見る事が出来なかったら、悔しいとか、悲しいってさえ思えませんよね?」

「そうですね。でも、今は冬です。梅切らぬ馬鹿、桜折る馬鹿といいますし。分別は大事ですよ」


「物は言い様、だね。でも、それだけじゃないよ?」


 そうだろう。言った当麻も、実はそんな屁理屈は考えてない。

 次は何を見せ、聞かせてくれるだろう。ただ、教えを乞うように。そして、続きを求めるように口にしただけ。

 黙っていても、椿は語ってくれるだろうけれど。

 それだけでは、足りない気がした。当麻も近くに居ると、声で示したかったから。


「自分から向かわないと、間に合わない事ってある。自分から向かおうとする意志があるから、叶う事ってあるの」


 世界は広いから、何処に行くか、何を見たいか。はっきりしないとね、と。

 椿はそう囁いて、続ける。


「瞳に映るものだけじゃなくて、感じるものも、一つ一つ、大切なものですよ?」

「…………」

「一つ一つ、もう二度とないものだから。沢山、知って感じないとね。この瞬間は、二度はないから」


 この声も、言葉も、二度はないのだろう。


「ええ、そう、ですね」

「自分の足は遅いから、自分の目は悪いから。そうやって、楽しい事を逃して零したら、駄目ですよ?」


 振り返る椿。優しく、少し揺れた茶色の瞳。

 けれど、その奥では強い意志が宿っていた。

 細い身体。華奢で繊細だけれど、胸に秘めた、強くて優しい感情と想い。

 この人は決して当麻を見捨てたりしなかった。自分ら付いて来るのなら、絶対に見捨てないし、導くよと。

 全て伝えるから。楽しい事も苦しい事も。でも、強くあって。


「世界には、きっといろんな事があるから」


 それが大切なものだと、信じている、優しい声。





 そんな、人だったから。

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