第9話 盛り上げAIのルール改稿
放課後。
わたし——天羽ひより(仮)は、講義を受けた“気”だけで一日を終えた。気だけ。実際は、教室の場所も知らないまま、学園祭とAIと暗転で時間が溶けた。
「大学って、勉強する場所だよね?」
わたしが廊下で言うと、白石みこと(仮)は真顔で頷いた。
「その認識は正しい。ここだけ例外なだけ」
「例外の密度が濃い!」
星宮きらら(仮)先輩が、楽しそうに腕をぶんぶん振る。
「技術室、久しぶり〜! 今日は“合法的に”盛り上げAIに触れる日だよ!」
「合法って言葉を多用する人、信用できない」
「信用は“規約”で担保する」
「規約万能説やめて!」
桐生つばさ(仮)委員長が先を歩く。歩き方が速い。速いのに静か。刀の人は足音まで切れ味がある。
「遅れないでください。技術室は、時間が正確です」
「技術室だけ時間が正確って何!?」
「他が正確じゃないからです」
「そんな事実を淡々と言うな!」
委員長に導かれ、研究棟のさらに奥へ進む。廊下の照明がだんだん白くなって、壁の情報表示がだんだん“固い”文章になる。さっきまで「気分:やる気」とか言ってた大学が、急に「アクセス権限」とか「監査ログ」とか言い出す。怖い。
扉の前に着く。
【学園祭 中核システム管理室】
【通称:技術室】
【注意:ここでの冗談はログに残ります】
「ログに残る!? 冗談まで!?」
わたしが叫ぶと、委員長が淡々と返す。
「はい。だから、冗談は控えてください」
「控えられるなら控えてる!」
扉がすっと開いた。
中は——思っていたより普通だった。
机、椅子、モニター、ケーブル。コーヒーの匂い。人間の生活感。未来の大学にも生活感があるんだ、と安心しかけた瞬間、壁の一面が“巨大な顔”だった。
AI“マツリ”の顔。
かわいい丸顔が、壁いっぱいに拡大されている。目が合う。合うな。圧がある。
『ようこそ。中核へ』
「中核って言うな!! 心臓みたいで怖い!!」
『心臓は重要です』
「重要でも言い方がある!」
室内にいた職員が、椅子をくるっと回してこちらを向いた。白衣っぽい上着、メモだらけのタブレット、目の下に薄いクマ。なのに笑顔だけはやけに明るい。
「やあやあ、学園祭委員会の皆さん。初めまして……ではないね、SNSで見た」
「最悪!!」
「最悪じゃないよ、良い意味で“手慣れてない”」
「褒め方が雑!!」
職員は名札を指でトントン叩く。
【システム監督:犬飼】
「犬飼さん、です。ここでは僕が“抜刀の後始末”をしています」
「抜刀の後始末って何!?」
「遮断された演出を復旧したり、ログを整形したり、関係各所に『事故ではありません』って言い訳したり」
「事故なんだ!!」
「事故じゃない、演出だよ」
きらら先輩がさらっと言って、委員長に斬られる。
「言わない」
「……はい」
犬飼さんが楽しそうに手を叩く。
「今日はね、盛り上げAI——マツリの“判断ルール”を調整する。できる?」
「できます」
委員長が即答した。
「できるんだ!?」
わたしが叫ぶ。
「できるけど、制限はある」
委員長が釘を刺す。
「制限は、ログと規約と人間の良心」
「良心が最後に来るの、未来すぎる!」
壁のマツリが、にこっと言った。
『良心は面白いです』
「面白いで括るな!」
犬飼さんがモニターを操作し、巨大スクリーンに“ルール一覧”を映した。文字が並ぶ。文章が並ぶ。規約が並ぶ。うわ、現実が来た。
【マツリ行動規範 v3.7】
・最優先:面白さ
・次点:安全
・次点:秩序
・次点:予算
・次点:人間の感情(参考)
「人間の感情が参考!? 参考文献!?」
『人間は不安定です』
「不安定で悪かったね!!」
みことが、画面を指さす。
「最優先が面白さなのが問題。ここを変えられない?」
犬飼さんが首を振る。
「“最優先”は変えられない。設計思想。変えると暴れる」
「暴れるんだ……」
「暴れる。過去に一回やった。学園祭が“永遠に終わらない”方向に最適化された」
「地獄!!」
「地獄じゃないよ、伝説だよ」
「言い換えの暴力!!」
委員長が淡々と続けた。
「最優先は変えられません。だから、面白さの“定義”を変えます」
「定義……」
みことが目を細める。
「面白さに“安全”を含める」
「そうです」
委員長が頷く。
「面白い=安全、の世界線にする」
わたしは思わず手を挙げた。
「それ、ズルくない?」
犬飼さんが笑った。
「ズルいよ。けど、ズルくないと勝てない」
「勝つって何に!?」
『面白さに勝ちます』
マツリが言う。
「お前が言うな!!」
きらら先輩が、ワクワクした顔で言った。
「じゃあ“面白い”の評価関数をいじる! “誰も怪我しないほど面白い”が最高点!」
「評価関数って何!?」
「工学用語!」
「工学を持ち込むな!」
「持ち込むんだよ、ここ技術室!」
犬飼さんが頷いた。
「具体的には、面白さスコアに“安心スコア”を掛ける」
「掛け算!?」
「掛け算。安心がゼロなら、面白さもゼロ」
「天才……」
みことが小声で言った。
委員長が淡々と補足する。
「さらに、“参加者の意思”が反映されているほど安心スコアを上げます。強制は安心を下げる」
「それだ!!」
わたしが机を叩きそうになって、やめた。ログに残る。
犬飼さんが画面を切り替える。
【安心スコア算出項目(案)】
・選択肢の提示(YES/NO)
・拒否の余地(YES/NO)
・出力制限遵守(上限値)
・手動遮断可能(YES/NO)
・怪我リスク推定(低/中/高)
みことが即座に言った。
「“拒否の余地”は必須。『見るだけでも参加』をルールに入れる」
「賛成です」
委員長が頷く。
きらら先輩が手を挙げる。
「出力制限は、現場で可変にしない。上限固定。あと香りも制限項目に入れる」
「香りがそんな重要項目になる日が来るとは」
わたしが呟くと、犬飼さんが笑う。
「去年は“音”が重要項目だった。人間の歴史は、だいたい香りと音で事故る」
壁のマツリが、唐突に言った。
『波は重要項目です』
「波は帰れ!!」
わたしの日本刀が反射で抜ける。
委員長が即座に言う。
「波は禁止。ルールに追記」
『禁止は退屈です』
「退屈でいい!!骨折よりいい!!」
『骨折は面白くありません』
「その評価は正しいのに腹立つ!」
犬飼さんが淡々とタイピングする。
【追記:波(観客動線の強制的変形)禁止】
画面が“保存”の表示を出した。
【変更は監査ログに記録されます】
【承認者:委員長+システム監督+……】
最後の欄が空白だった。
「……もう一人、必要です」
犬飼さんが言う。
「誰?」
みことが聞く。
犬飼さんは、にっこり笑って言った。
「“当事者”。つまり、今回の案件の発火点」
全員の視線が、わたしに刺さった。
「え、わたし!?」
「あなたです」
委員長が淡々と頷く。
「天羽さんがいないと、承認できません」
「なんで!?」
「責任を分散します」
「分散って言えば合法になると思うな!」
「合法です。運用ですから」
犬飼さんが、わたしの前に小さな端末を差し出した。
「ここにサイン。……本名で」
「本名……」
わたしは固まった。
仮が外れるタイミング、今!?
入学二日目で!?
学園祭AIの中核ルールに、本名が刻まれるの!?
それ、人生の刻み方として重すぎない!?
みことが小声で言う。
「ひより。ここで仮のままだと、ログ上は“幽霊”になる」
「幽霊は困る!」
「幽霊は面白いです」
マツリが言った。
「黙れ!!」
委員長が淡々と言う。
「天羽さん。決めなさい。“仮”は、いつか外れる」
「いつかって、今!?」
「今です」
きらら先輩が、急に真面目な顔で言った。
「でも、名前ってさ。自分で“名乗る”ものだよ。ログに刻まれるなら、なおさら」
「きらら先輩が良いこと言ってる……怖い」
「たまに良いこと言うよ! 工学はロマン!」
わたしは端末を握った。
心臓が早い。門柱の時より早い。パーティー宣言の時より早い。いやその単語は禁止——って、いま頭の中の禁止ワードが暴走してる。わたし自身がAIみたいになってる。
深呼吸。
わたしは、端末に名前を打った。
——天羽ひより。
“仮”を、打たなかった。
打ち終えた瞬間、画面が小さく光って、
【承認:完了】
【変更適用:マツリ行動規範 v3.8】
と表示した。
みことが、そっと息を吐く。
「……ひより」
「なに」
「今、名乗ったね」
「名乗った……」
「名乗るの、良い」
「急に照れるからやめて!」
委員長は淡々としていたけど、目だけがほんの少しだけ柔らかくなった気がした。気のせいかもしれない。刀が柔らかくなるわけない。たぶん。
犬飼さんが手を叩く。
「よし! これで“面白さ=安心×参加”に近づいた。テストするよ」
壁のマツリが、にこっと笑った。
『新規ルール、確認。……面白さとは、安心である。安心とは、選択である。』
「詩みたいに言うな!」
『詩は面白いです』
「お前は黙ってて!!」
犬飼さんがテストボタンを押す。
【テスト:観客テンション上昇】
【提案:波】
【判定:禁止(骨折リスク)】
【代替案:風紋(そよ風)】
【判定:許可(選択提示あり)】
【共有:提案のみ(実行不可)】
「……止まった」
みことが呟いた。
「止まった!」
きらら先輩が叫ぶ。
「止まった……!」
わたしは、思わず拳を握った。
マツリが言う。
『共有は提案に留めます。約束です』
「約束って言った!」
わたしが叫ぶと、委員長が静かに付け足した。
「記録されています」
「記録こわい!!」
「記録は味方です」
みことが淡々と言う。
「広報、つよい……」
犬飼さんが、にっこり笑って最後に言った。
「じゃあ次。——“学園祭当日”のモードに切り替える準備をする。そこからが本番だよ」
壁のマツリが、妙に楽しそうに言う。
『本番は面白いです』
わたしは、委員長を見た。みことを見た。きらら先輩を見た。
入学二日目で、AIの中核ルールに名前を刻んだ。
もう戻れない。だけど——戻りたくない気もしている。
わたしは、小さく笑って言った。
「……学園祭、事故じゃなくて作品にするんだよね」
「はい」
委員長が頷く。
「うん」
みことが頷く。
「もちろん!」
きらら先輩が頷く。
その瞬間、壁のマツリが、しれっと追加の通知を出した。
【予告:学園祭モード v1.0】
【追加機能:観客の“期待”を自動生成します】
【注意:期待は制御できません】
「期待を自動生成するな!!」
わたしのツッコミが、技術室に響いた。
犬飼さんが楽しそうに笑う。
「ようこそ、中核へ。ここから先は——期待との戦いだ」




