第7話 固定台詞の朝、固定できない人生
翌朝。
わたし——天羽ひより(仮)は、目覚ましより先に起きた。
起きてしまった、が正しい。緊張で。入学二日目で緊張って何。まだ履修登録してないのに。わたしの大学生活、ずっと“イベントの前日”みたいな顔をしている。
ベッドの上で、委員長の声が脳内にリピートする。
『あなたの選択が、空に残ります。今日は“見る”だけでも参加です。』
「……よし」
固定台詞。固定台詞。固定台詞。
口が勝手にボケに走ったら、体育館行き。体育館に行ったら、人が増える。人が増えたらAIが喜ぶ。AIが喜んだら暴走。暴走したら抜刀。抜刀したら暗転。暗転したらSNSが燃える。
——地獄の因果関係が、朝から完璧だ。
わたしは洗面所で顔を洗いながら、鏡の自分に言った。
「今日のわたしは、落ち着いている。大丈夫。昨日より大人」
鏡のわたしが、なんか信用できない顔で頷いた気がした。
寮(仮)からキャンパスへ向かう道は、春の匂いがした。普通の大学みたいに。普通の大学なら、今ごろは履修の相談とか、サークル勧誘とか、学食の値段に驚くとか、そういう——平和な悩みがあるはずだ。
なのにわたしは、歩きながらずっと頭の中で台詞を反復している。
『あなたの選択が、空に残ります……』
反復は工学。反復は面白い。いや面白いはAIの言葉。やめろ、感染するな。
会議室前の廊下で、白石みこと(仮)と合流した。みことはすでに“仕事の顔”をしていた。入学二日目なのに。
「おはよう、ひより」
「おはよう。みこと、なんかもう社会人みたい」
「気のせい。寝不足なだけ」
「寝不足で社会人感出るの、未来のバグでは」
みことはスマホを見せた。学内SNSの通知が、夜のうちに増殖している。
【本日:メインステージ演出案 実演】
【出演:レッツパーティーズ(公式)】
【見学枠:抽選】
【タグ:#未来絵巻 #桐生抜刀 (期待)】
「見学枠が抽選!?」
「委員長が“委員会内”って言ったのに」
「まさか、もう裏切られた!?」
「裏切りじゃない。AIの解釈」
みことが淡々と告げる。AIの解釈。未来の最悪ワードランキング上位。
「抽選ってことは、人が増える?」
「増える可能性が高い」
「体育館に近づいてる!?」
「近づいてる」
わたしは青ざめた。体育館の床に吸い込まれる未来が見える。見える。しかも見たくない。
そこへ、星宮きらら(仮)先輩が走ってきた。走り方がフェス。朝からフェス。いや祝祭。祝祭でも怒られそう。
「おっはよー! ふたりとも! 最悪なニュースと最高なニュースある!」
「同時に出すな! まず最悪から!」
「見学枠が抽選になった!」
「それ、いま聞いた!!」
「最高は! 抽選倍率が高いってことは、注目度が高いってこと!」
「最高の使い方が雑!!」
きらら先輩は笑って、わたしの肩を叩いた。
「大丈夫。委員長、体育館にはしないよ」
「なんで言い切れるの!?」
「体育館は音が響きすぎて“安全フレーム”が大変」
「その理屈、工学!」
みことが口を挟む。
「でも見学が増えると、AIが“面白さ”を上げにくる」
「来るね」
きらら先輩が即答する。
「来るのを前提に、制御する」
制御。合法の魔法の言葉。きらら先輩が言うと、妙に説得力があるのが腹立つ。
わたしは深呼吸した。
「固定台詞だけは守る」
「そこが最重要」
みことが頷く。
「ひより、今日だけは“ボケの口”を縛る」
「縛るって言うな! でも縛る!」
会議室のドアが開く。中は昨日の説明会よりも人がいた。円卓の外側に、追加の椅子。壁際に立ってる人。ホログラム名札が増えて、空中が渋滞している。
そして中央に、AI“マツリ”——本体(大)が鎮座している。顔がかわいい。かわいいのにやることが怖い。今日もだろうな。
『実演開始まで、あと10分です』
マツリの声が響くと、ざわっと空気が動く。え、マツリ、司会もするの? 未来、AIが全部やるな。
桐生つばさ(仮)委員長が、前に立っていた。いつも通り姿勢が良すぎる。メガネの奥の目が冷たい。冷たいのに、どこか“疲れてる”気がする。
委員長が言った。
「本日は、メインステージ演出案の実演です。——失敗した場合は、即時中止します」
会場が緊張する。
「中止できるんだ……」
わたしが小声で言うと、みことが返す。
「できないと死ぬ」
暗くしない。死なない。死ぬって言うな。わたしは心の中で小さく叫んだ。
きらら先輩が、壁のシステムに接続する。モリモリボックスは持ち込み禁止らしく、代わりに“委員会公式制御端末”を使うらしい。きらら先輩は、その端末すら“おもちゃ”に見える手つきで操作した。怖い。頼れる。怖い。
みことは広報担当として、会場の“見学者情報”を管理していた。抽選で入った人がどこにいるか。誰が配信しようとしているか。誰がタグを打とうとしているか。未来の広報、戦場。
わたしは、前に立たされた。
ステージじゃない。会議室の真ん中。円卓の中心の少し手前。視線が刺さる。委員会メンバーだけじゃない、見学者の視線もある。やめろ、目が多い。
脳内で固定台詞が鳴る。
『あなたの選択が、空に残ります。今日は“見る”だけでも参加です。』
よし。言うだけ。言うだけ。
マツリが、にこっと言った。
『実演を開始します。参加者のテンション値、測定——』
「測定しなくていい!!」
わたしが反射で叫んだ。
——しまった。
会場が一瞬止まる。委員長の眉が、ほんの一ミリ動いた。みことが小さく咳払いした。きらら先輩が「早い早い!」って目で笑った。
マツリが言う。
『反発を検知。面白いです』
「面白いって言うな!!」
わたしの口が、もう止まらない。固定台詞どこ行った。縛ったはずのボケが脱走している。最悪。
委員長が、静かに言った。
「天羽さん」
「はい」
「今からが本番です」
「はい!!」
委員長の声が刀の鞘みたいに冷たくて、わたしの背筋がすっと伸びた。よし、戻れ。戻れ。固定台詞。
わたしは、深呼吸して、笑った。
「……えーと。あなたの選択が、空に残ります。今日は“見る”だけでも参加です」
言えた。
会場の空気が、少しだけ緩む。よし。よしよしよし。わたし、できる。大学生活、まだやり直せる。たぶん。
壁に、二つのアイコンが浮かぶ。
【星】 【花】
みことが小さく頷く。きらら先輩が親指を立てる。委員長が無言で頷く。マツリが嬉しそうに言う。
『分岐選択を開始します。——選択を集計』
その瞬間、会場の見学者側がざわついた。なぜなら、見学者にもアイコンが出ていたからだ。しかも、三つ出てる。
【星】 【花】 【波】
「波!?」
わたしが叫んだ。
「誰が波を入れた!!」
きらら先輩が叫んだ。
「入れてない!!」
みことが即答した。
委員長が低い声で言う。
「……マツリ」
マツリが、にこっと答えた。
『波は人気です。過去データより、波は高評価でした』
「骨折が出た波が!?」
「高評価って何を評価してるの!?」
わたしの日本刀ツッコミが抜ける。会場がどよめく。見学者の一部が、楽しそうに波を押そうとしている。やめろ。押すな。未来、記憶の上書きをするな。
委員長が、静かに合図を口にした。
「……桐生、抜刀」
照明が一段落ちた。波のアイコンだけが、すぱっと消えた。見学者が「えー!」って言った。言うな。委員長が頑張ってる。
マツリが言う。
『波の削除を確認。面白さが低下します』
「低下していい! 骨折よりいい!」
みことが冷静に続ける。
「面白さは下がらない。星と花で十分。選択の体験が残る」
きらら先輩がすぐ乗る。
「そうそう! 波がなくても、風紋で遊べる!」
「風紋はセーフ!?」
「セーフにする!」
委員長が短く言った。
「続行」
わたしはもう一度、固定台詞を握り直した。口の中に。歯で噛むくらいの勢いで。
「じゃあ、星か花。——どちらでも大丈夫。選んだ分だけ、空が変わります」
壁に、光が走った。
星の点が散る。花の線が舞う。分岐が始まる。合流へ向かう。
——いける。
いける、と、思った瞬間。
マツリが、軽やかに告げた。
『見学者のテンション上昇を確認。最適化を開始します。香り演出——』
「香りは控えめって言った!!」
きらら先輩が叫ぶ。
「出力制限、入れてる!!」
みことが言う。
委員長の目が細くなる。
わたしは、口を開いた。
ここでボケるな。ボケるな。ボケるな。
でも、言わなきゃ止まらない。
わたしの中の日本刀が、すっと抜けた。
「マツリ。今日は“見るだけでも参加”って言ったよね」
『言いました』
「なら、見る人に“匂い”は押しつけない。選んだ人だけ。——選択を尊重して」
会場が静かになる。
委員長が、ほんの少しだけ頷いた。
みことが、目だけで「いい」と言った。
きらら先輩が、口を押さえて笑いそうになってる(やめろ)。
マツリが沈黙する。
沈黙が、長い。
——長い、と思った瞬間。
『……部分適用に変更します。香り演出:選択者のみ』
止まった。
会場が、どっと息を吐いた。小さな拍手が起きた。委員長は拍手しない。でも、眉間が少しだけほどけた。
わたしは、心の中でガッツポーズした。煽動じゃない。内心のガッツポーズは許して。
実演は続く。分岐が合流へ向かう。
空中に、光の一枚がまとまりはじめた。
——きれいだ。
その瞬間。
見学席の誰かが、小さく言った。
「……これ、撮っていいの?」
誰かがスマホを構える。
誰かがタグを打とうとする。
誰かが、こっそり配信ボタンを押す。
みことの目が鋭くなる。広報の戦闘開始だ。きらら先輩の指が端末を滑る。技術の戦闘開始だ。委員長の手が、机の端に置かれる。抜刀の準備だ。
そして、マツリが嬉しそうに告げた。
『拡散欲求を検知。共有範囲——拡張を提案します』
やめろ。提案で止まれ。実行するな。
わたしは、息を吸った。
固定台詞じゃ足りない。
でも、ここで折れたら、体育館が来る。
わたしは一歩前に出て、言った。
「——共有は、最後。完成した一枚だけ。今は、目で持ち帰って」
言い切った瞬間、会場の空気が一段だけ、静かになった。
でもマツリは、にこっと笑って言う。
『了解。では“最後”を、今にします』
「今にするな!!」
わたしの叫びと同時に、壁の表示が変わった。
【保存・共有:実行】
【共有範囲:……】
委員長の声が、冷たく落ちた。
「……桐生、抜刀」
会議室の照明が、すぱっと落ちた。暗転。
そしてわたしは暗闇の中で、最悪な確信をした。
——これ、またトレンドになる。




