鋼薔薇の猟犬 7
任務の報告を終えた翌朝、セラとシラノスはギルドから依頼された次の調査任務に出ていた。
目的地は、街から少し離れた山間の小さな村。
近くで目撃された“空を飛ぶ大型影”の調査と、村人たちの不安を鎮めるのが目的だった。
「⋯⋯あんまり気は進まないですけど」
村の入り口でセラが呟く。
彼女の視線の先には、村人が指差している空。
「ほら、まただ! 今の見たか!? 黒いのが飛んだ!」
「ドラゴンか? いや、あれはもっと⋯⋯鋭くて早かった」
村人たちの証言に耳を傾けつつ、セラは胸の奥で何かがざわつくのを感じていた。
「シラノス、空ってあんなに⋯なんで不気味でしたっけ」
「夜明けや夕暮れは美しいけど⋯⋯昼の空は、時々残酷だよ。見下ろす側の視点だからね」
そんな意味深なことを言いながら、彼はふと空に視線を向けた。
そして次の瞬間──風が逆巻く。
「セラ、伏せて!」
シラノスが叫ぶと同時に、黒い影が急降下してきた。
彼の羽がばさりと広がり、セラの頭上を守る。
鋭い風と金属のような音が空を裂き、地面に強い衝撃が走る。
「おいおい、まさか迎えに来てくれるとは思わなかったぜ、死神」
影の中から現れたのは、長身の男だった。
深緑の髪が風に揺れ、瞳は獣のように鋭い金色。
黒いコートの裾が翻り、背から伸びた一対の黒い翼が大きく広がる。
「⋯⋯ドラゴンハーフ⋯⋯?」
セラが思わず呟く。
「よォ、久しぶりだな。シラノス」
男は牙を見せて笑い、無遠慮に近づいてくる。
その歩き方は獣そのもので、どこか懐かしいような、恐ろしいような気配をまとっていた。
「⋯なんでヴェスパー」
シラノスの声が少しだけ硬くなる。
セラはその名前に聞き覚えがなく、ただ目の前の異様な存在に警戒を強めた。
「おまえ、まだこんなチンケなギルドで、鳥の世話なんてしてんのか?」
「ヴェスパー、やめろ。彼女は関係ない」
「関係ない? そりゃあ無理だろ。お前の羽に触れた女が、“関係ない”で済むと思うなよ?」
その言葉に、セラの体がぴくりと反応する。
「⋯⋯なにそれ。あなた、何が言いたいの」
気づけば声が出ていた。
ヴェスパーはセラを見て、にやりと唇を吊り上げた。
「ほう⋯⋯怖がってるわりに、口は利けるんだな。
だが覚えておけ。あの羽は“誰かを幸せにする”ような代物じゃねぇ」
その言葉に、シラノスの目が細くなる。
「もう⋯⋯終わったことだ。オレたちは、それぞれ別の道を選んだはずだ」
「そうだな。だがな、シラノス」
ヴェスパーはぐっと身を寄せ、シラノスの片翼に手を添えた。
その手はあまりに馴れ馴れしく、まるで旧友にして裏切り者に向けるようなものだった。
「いつかその翼を──へし折ってやる」
そう呟いて、彼は空へと跳躍した。
黒い影が、再び空を裂く。
そして、風だけが残された。
「⋯⋯誰、あの人」
セラが問うと、シラノスはしばしの沈黙の後、答える。
「ヴェスパー。元同僚だ。⋯⋯そして、かつてオレの翼を信じてくれた、仲間だった」
その言葉に、セラは胸の奥が締めつけられるような思いを抱いた。
彼の“過去”に触れた気がした。
でもそれは、まだ見えない影の一端にすぎなかった。
そして、セラは知らなかった。
この再会が、これから彼女の記憶と心に深く繋がっていく予兆であることを──。