鋼薔薇の猟犬 6
夜の森に、ふたたび静寂が戻っていた。
背中を覆う羽の温もりが、少しずつセラの緊張を和らげていく。
「⋯⋯あの、シラノスさん」
小さな声で呼びかけると、羽の奥から返ってきたのは穏やかな返事だった。
「なんだい?」
セラはそっと目を開け、羽の間から彼の横顔を見上げた。
月光を受けた彼の瞳は、金と灰が溶け合ったように静かで深い光を湛えていた。
「わたし⋯⋯羽が怖いって、自分で思ってました。ずっと。
でも⋯⋯今、こうして包まれてるのに、逃げたいって思わないんです。変ですよね」
「変じゃないよ。むしろ⋯⋯嬉しい」
シラノスは微笑むと、そっと羽をたたんで背に戻した。
セラの顔に月光が戻り、ひどく居心地が悪くなる。
「⋯⋯ありがとう、ございます。助けてくれて」
「礼なんていらない。オレが、勝手に守りたいって思っただけだから」
その言葉に、セラは一瞬だけ視線を上げる。
彼の言葉には重さがなかった。だけど、嘘もなかった。
「セラ」
「⋯⋯はい?」
「今すぐじゃなくていい。ゆっくりでいいから⋯なんで
“オレの羽は怖くない”って、思ってくれる日が来たら、それでいい」
真っ直ぐなその言葉に、胸がまた少しだけ痛んだ。
(この人は⋯⋯どうして、そんなふうに言えるの?)
セラは知らなかった。
その言葉がどれほど、彼自身の過去と重なっているのかを。
「とりあえず、今日の観察任務はここまで。森を出よう。ほら、立てる?」
「⋯⋯がんばって、立ちます」
シラノスが伸ばした手を、今度はためらわずに取る。
彼の掌は大きくて、温かくて、しっかりと自分を支えてくれた。
(怖くない⋯⋯たぶん、今は本当に⋯⋯)
ふたり並んで森を歩く帰り道、羽の風が一度だけ頬を撫でた。
セラはその感触を、そっと胸にしまった。
それは、はじめて“恐怖”を超えて触れた──希望の羽音だった。