番外編 濡れた獣(おとこ)は止まれない 3
朝の光が、カーテン越しにふんわりと差し込んでくる。
セラは微かに目を開けたが、すぐにぎゅっと瞼を閉じ直した。
全身がだるくて、まるで力が入らない。布団の中がやけに暖かいのは、自分のせいではない。
「⋯⋯ん⋯⋯シラ、ノス⋯⋯?」
すぐ隣で眠っていたはずの彼の姿がないことに気付き、声を上げた。
途端、台所から小さな物音と共に足音が聞こえた。
「おはよう、セラ。⋯⋯まだ寝ててもいいのに」
優しい声とともに、シラノスがそっと部屋に入ってくる。
白いシャツの袖を肘までまくって、少し湿った髪の毛からは朝の匂いがした。
「⋯⋯もう朝⋯⋯?」
「うん。ごめん、起こすつもりじゃなかったんだけど⋯⋯水、持ってこようか?」
セラは小さく首を振ろうとしたが、それさえ辛いと感じてしまう。
シラノスはそれに気付き、少しだけ眉を寄せた。
「⋯⋯やっぱり、無理させすぎたかな」
「⋯⋯ちが、う⋯⋯わたし、だって⋯⋯」
「ううん、責めてないよ。⋯⋯嬉しかった。ちゃんと伝えておきたくて」
彼はセラの横に腰を下ろし、布団越しにそっと指先を重ねる。
熱の残るその手が、昨夜の余韻を思い出させて──セラは耳まで真っ赤になった。
「っ⋯⋯だ、だから、シラノスのそういうの、ずるいって言ってるの⋯⋯!」
「そうかな? オレは、正直に言ってるだけなんだけど」
その微笑みは、いつもの彼に戻っていた。
けれど、ふとした瞬間に見せるその目の奥の熱だけは、まだ完全には消えていない気がして、セラはそっと目を逸らす。
「ねぇ、セラ。今日、ギルドに行く予定だったよね?」
「⋯⋯うん⋯⋯でも⋯⋯」
起き上がろうとした瞬間、体がピクリとも動かない。
情けないほど足に力が入らず、セラは小さく呻いた。
「⋯⋯む、無理⋯⋯っ」
「⋯やっぱり」
ため息まじりに笑うシラノスは、どこか得意げだった。
「じゃあ、抱っこする?」
「っ!? し、しなくていいから!!」
勢いよく叫んだせいで、胸に鈍い痛みが走る。
それでも、彼女は真っ赤な顔で首を振った。
「わ、私、歩けるもん⋯! い、行ける⋯⋯から⋯⋯っ」
「無理しないで。そう言って、途中で座り込むんだから」
「そ、それは⋯⋯っ!」
シラノスは肩をすくめて笑いながら、セラの髪にそっと手を伸ばした。
優しく指先で撫でるように整えながら、その耳元にふわりと囁く。
「じゃあ、もうちょっと寝て。オレが連絡しておくよ、ギルドには」
「⋯⋯ごめんね⋯⋯」
「謝らないの。オレが、望んだことだから」
その言葉に、セラの瞳が揺れる。
「昨日のオレ、ちょっとおかしかったよね。⋯⋯なんか、気持ちが昂ぶってて。
任務も長かったし、魔獣とずっと戦ってて⋯⋯帰ってきたら、セラがいて⋯⋯」
「⋯⋯それで、暴走しちゃったの?」
「うん、ちょっとだけ」
あっさり認める彼の顔は、恥じる様子もなく、むしろどこか楽しげで。
セラはもう一度、布団に顔を埋めた。
「⋯⋯しばらく、顔合わせたくない⋯⋯っ」
「じゃあ、顔見ないで話そうか」
「シラノス、それ、意味ないって⋯⋯!」
二人の間に、朝の空気と笑い声がこぼれる。
いつもの穏やかな時間。けれど、どこか特別なぬくもりがある。
窓の外では、夜の雨の名残がきらきらと光る朝露を作っていた。
セラはその景色を眺めながら、隣で微笑むシラノスの手を握りしめる。
「⋯⋯ねえ、今日の夜、また⋯⋯一緒に寝てくれる?」
「うん。セラがいいなら、ずっと」
その言葉に、セラはようやく小さく微笑んだ。
――優しい声と、あたたかな光に包まれて。
ふたりの生活は、今日もまた静かに続いていく。
──完──




