番外編 濡れた獣(おとこ)は止まれない 1
日差しが柔らかく差し込む午後、セラはカップに注がれた紅茶を口元に運びながら、満たされた気持ちで頬を緩めていた。
ここは、ふたりの家。
ギルド宿舎を出て、セラとシラノスが一緒に暮らし始めた新居。木造の小さな家だが、セラにとっては夢のような場所だった。
リビングには彼女が選んだ白いソファと、シラノスがこだわった木製の本棚。キッチンの隅には、ふたりで悩みに悩んで選んだ赤いポットがちょこんと置かれている。
窓の外には草花が揺れ、小鳥のさえずりが穏やかな午後を彩っていた。
「⋯⋯あったかい」
小さく呟いたセラの隣には、すっかりくつろいだ様子のシラノスが座っていた。
「ふたりの家って、思ったより静かでいいね」
彼がそう言って笑うと、セラの心臓がふわっと跳ねる。
「⋯⋯うん。なんだか、夢みたい」
何気ない会話が、何より幸せに思えた。
そしてその数時間後──ふたりはギルドの任務報告のため、一度ギルド本部へ向かうことになった。
セラはいつもの軽装に身を包み、シラノスと肩を並べて歩く。
すれ違うギルドメンバーが、ちらちらとこちらを見ては噂していたが、それも気にならないほど、セラの心は穏やかだった。
「おーっ、出た出た! 新婚バディだー!」
そう茶化す声に振り返ると、受付カウンターの向こうからハイネが満面の笑みを浮かべて手を振っていた。
「ちょっ⋯⋯! ハイネ、声が大きいよっ」
「だってさぁ、セラがまさかシラノスと同棲スタートするとは思わなかったし〜? お幸せそうでなにより〜♪」
ハイネはわざとらしく目元を拭くふりをしてから、くすくすと笑った。
セラは頬を赤く染め、ちらりと隣のシラノスを見たが、彼は相変わらず落ち着いた笑みで対応していた。
「⋯⋯まあ、ハイネが心配することじゃないよ」
「ちぇー、つまんないの。リファさんに言いつけよ〜っと」
ハイネはぴょんぴょんと受付奥に引っ込んでいった。
その後、ギルマス室へ呼ばれたふたり。
中に入ると、机の向こうで腕を組むギルマスターが、無精髭の奥から面倒くさそうに言った。
「お前ら、新婚だからってまとめて行動する必要はねぇぞ。たまには別行動しろ。バランス悪い」
「えっ⋯⋯別行動⋯⋯?」
セラは小さく呟き、シラノスを見た。
「今朝、新しい依頼がふたつ届いた。お前らにひとつずつ頼む」
地図と書状を机の上にぽんと置くと、ギルマスは椅子を軋ませて立ち上がった。
「シラノス、お前は南の森に魔獣討伐。セラは北の街に物資護衛。どっちも明日の朝出発だ」
ふたりは顔を見合わせ、静かに頷いた。
翌日、セラとシラノスはお互い任務に向けて出発した。
そしてその夜。
セラは先に任務を終え、家に帰ってきた。
家の扉を開けた瞬間、ふわりと木の香りとともに、ふたりの暮らしの温もりが胸を満たす。
ただいま──と口にした後で、セラはふと足を止めた。
シラノスはいない。
先に戻ってくると思っていた彼の姿が、どこにもない。
ソファに腰を下ろし、じっと窓の外を見つめる。
空はいつの間にか曇り始め、冷たい風がカーテンを揺らしていた。
「⋯⋯遅いな」
雨の匂いが、風に混じっていた。




