鋼薔薇の猟犬 5
夜の森は静かで、冷たい。
月光が葉の隙間からこぼれ、足元の湿った土を照らしていた。
「⋯⋯こっちで間違いないはずだけど⋯⋯」
セラは小声で呟きながら、地図とにらめっこしていた。
今夜の任務は、希少種の観察任務。対象は“青羽キツネ”と呼ばれる、鳥の羽を持った魔獣だった。
攻撃性はないが、警戒心が強く、人の気配を嫌うため、観察には静かで繊細な動きが求められる。
「⋯⋯なのに、なんでわざわざ夜⋯⋯」
森の奥で、かすかに羽ばたきの音がした。
セラの肩がぴくりと震える。
(ちがう⋯⋯これは、鳥の羽音⋯⋯)
さっきまで普通に動いていた体が、急に動かなくなる。
胸が詰まる。息が吸えない。
(ダメ⋯⋯こんなときに、また⋯⋯!)
背後で足音が止まった。
気配に気づいて振り向こうとするけれど、首が動かない。
「セラ⋯⋯」
聞こえたのは、低く優しいシラノスの声だった。
「⋯⋯ごめんなさい。足が、動かなくて⋯⋯」
セラは膝をついたまま、震える声でかすかに呟いた。
薄闇の中、木漏れ日に照らされた横顔が、蒼白に見える。
「無理しなくていい」
シラノスは、そう言ってそっと距離を詰め──そして、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「セラ。目を閉じて」
彼の声に従うように、セラはぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間──ふわり、と何かが背中を覆う感覚。
それは、柔らかくて、あたたかくて、空気のように静かだった。
「⋯⋯羽?」
震える声で問うと、シラノスは小さく笑った。
「ああ。オレの羽。広げないようにしてたけど⋯⋯今だけ、ね」
羽音はなかった。風もなかった。
彼の羽は、そっとセラの背を包み込むだけで、まるで心まで抱きしめるような温もりを持っていた。
「こわくない?」
問われて、セラは──
(⋯⋯わからない)
答えは出なかった。
ただ、不思議と逃げたいとは思わなかった。
心臓はまだ速く打っているのに、それ以上は怖くならない。
「⋯⋯なんで、こんな⋯⋯優しいんですか」
ぽつりと漏れた言葉に、シラノスの声がそっと返る。
「セラが、怖くないって思えるまで⋯⋯オレの羽は、“守るため”だけに使いたいから」
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
それは、どこかで聞いたことがあるような――
けれど、思い出せない優しさだった。
闇の中、ふたりの影が、羽でそっと結ばれていた。