空を見上げる理由 9
――それは、最後の任務だった。
セラとシラノスのもとに届いた一枚の指令書には、黒薔薇ではなく、深い青の紋章が刻まれていた。
「共存保護指定・最上級任務」。
内容は、“人里近くに巣を作り始めた飛行魔獣の群れの保護および環境調整”。
「駆除じゃないの?」
セラが書類を読み上げながら眉をひそめると、隣のシラノスが笑った。
「違う。これは⋯⋯守るための任務だ。ギルドが、本当の意味で“空と地上の共存”に動き出したってことさ」
セラは目を見開いた。
かつて自分が最も恐れていた“空”と、向き合い、歩み寄る任務。
あの日、黒薔薇が狂っていたと知ったギルドは、少しずつ変わろうとしていた。
「これで、最後だな。空を、ちゃんと見られる自分でいられるか――」
シラノスがふと空を見上げる。
セラもそれに倣って、蒼く広がる空を仰いだ。
「ううん。最後じゃないよ。ここから、始めるんだと思う」
山岳地帯の奥、切り立った崖の上にある自然の巣群。
魔鳥たちの縄張りとされ、人の手が及ばない場所。
そこへと、ギルドの選抜隊が派遣された。
隊長はシラノスとセラ。
補佐に選ばれたのは、意外な人物だった。
「俺がサポートとか、笑えるだろ?」
風を切って降りてきたのは――
かつて“黒薔薇の残党”と呼ばれた、元死神の戦友・ヴァルルド。
「この空を守りたいと思った。それだけだ」
短く言った彼の瞳には、確かな決意が宿っていた。
他にも、元・敵ギルドの一部隊や、過去に助けた飛行獣学者などが志願参加していた。
「君が変わったから、周りも変わったのよ」
リファが見送りに来て、そう囁いた時、セラは胸が熱くなった。
「ううん、みんながいたから。⋯⋯そして、シラノスが、いたから」
彼女の隣に立つハーピーは、ただ静かに、羽根を揺らした。
魔鳥の群れは、すでに巣作りを終え、数も増していた。
だが、かつてのように無闇に攻撃してくることはない。
適切な距離を保ち、静かに人間たちの動きを見守っているようだった。
「これは⋯⋯攻撃ではなく、観察だな」
シラノスが頷き、魔鳥の群れを観察する。
その目には、かつての死神の鋭さと、今の温かさが同時に宿っていた。
「かつての自分なら、威嚇と見なして突っ込んでた」
「今は⋯⋯?」
「今の俺なら、君の手を引いて、一緒に道を探すよ」
セラの頬が、少しだけ赤く染まった。
そのとき――
空から一羽、白い羽根を持つ魔鳥が降りてきた。
敵意はない。
ただ静かに、セラの前に降り立つ。
「これって⋯⋯」
セラが戸惑いながら、ゆっくりと手を差し出すと――
魔鳥はその指先に、自分の羽根を一枚、落とした。
「⋯⋯贈り物だ。おそらく、儀式の返礼」
「儀式?」
「鳥の一部には、危機を越えた相手に“つがいの証”を贈る習性がある。⋯⋯つまり、君は“認められた”ってことさ」
セラの手に乗った白い羽根が、陽に透けて光る。
空は、もう恐怖じゃない。
そして――この任務も、決して戦いではない。
彼女の心が、ふと軽くなるのを感じた時だった。
「セラ! 北東の巣に異常! 強風で崩落の危険あり!」
ヴァルルドの声に、全員が動き出す。
任務はここからが本番。
「シラノス、行こう!」
「任せろ。――この空は、守る価値がある」
ふたりの足が、崖の向こうへと踏み出す。
未来のための羽ばたきが、今、始まった。




