空を見上げる理由 2
廃城跡の石畳に、血が散っていた。
夜明けの光が差し込むたび、赤は銀色に照らされ、まるで儀式のように輝く。
「⋯⋯くそ、遅かったか」
低く呟いたのはギルド副隊長のエルガ。
彼の前で、三人の仲間が倒れている。その胸には、黒薔薇の紋章が刻まれていた。
「“粛清”だ⋯⋯まただ⋯⋯!」
怒りと悲しみが交錯する中、石段の奥から、羽音が聞こえた。
「やっと来たか、“銀の死神”」
現れたのは、全身を黒衣で包んだ仮面の男。
左右非対称の羽根を広げ、仄かに赤黒い魔力を帯びている。
「お前が、ヴァルルドの名を騙った“偽契約者”か」
シラノスの声は、酷く静かだった。
その手には、かつて封じたはずの“銀の鎌”――己の死神としての象徴が握られていた。
セラが一歩前に出ようとしたが、彼は手で制した。
「⋯⋯これは、俺の責任だ」
シラノスは、ゆっくりと歩み出る。
風が、彼の長い銀黒の髪を揺らした。
「“銀の死神”なんて呼ばれた頃、俺はただ命令に従って、刃を振るっていた。信じた者に裏切られ、それでも誰かを守るために殺し続けた。⋯⋯だからこそ、わかる」
彼の瞳が、仮面の男を射抜く。
「お前は、“誰のために殺している”?」
その問いに、男はわずかに肩を震わせた。
「正しさのためだ。“弱き者”を処理し、この世界を清浄にする。それが“本当の黒薔薇”の使命だろう?」
「違う」
刹那、空気が一変する。
シラノスの周囲に銀の羽根が舞い、彼の背に広がった翼が光を纏う。
「“黒薔薇”は、信じた者と共に死地を越える覚悟の証だった。命を刈るための免罪符じゃない」
鋭く振り下ろされた鎌が、風と共に男の前に迫る。
だが男もまた、猛禽のような鋭さで爪を振り、交錯する――
金属が弾ける音。魔力の炸裂。
セラが思わず身を引いたその隙に、ふたりの間合いは激しく変化していく。
かつての戦場が、蘇るようだった。
「そんなものは偽善だ⋯⋯!」
男が叫ぶ。だが、その叫びはどこか怯えていた。
「生き残るには、汚れなきゃならない。裏切られる前に、裏切るしかない。お前もそうだったろう、シラノス!」
「⋯⋯だからこそ、赦されたいと思ったんだ」
シラノスの声は、まるで祈りのようだった。
「この手で奪った命が、いずれ誰かを守る礎になると信じていた。でも――」
彼は羽ばたく。
空へと舞い上がり、仮面の男を見下ろすようにして構えを取る。
「――もう、誰の命も奪いたくない。守るためにしか、刃を振るわない」
銀の鎌が、閃く。
風と共に、仮面の男の武器が砕け散る。
「ぐっ⋯⋯!」
膝をついた男に、シラノスは近づいた。
鎌を振るうことなく、静かにその肩に手を置く。
「もし⋯⋯この先で償いたいと思うなら。今すぐにでも止まれ。俺も、そうして生きてきた」
仮面が落ち、男の顔があらわになる。
まだ若い――復讐と誤解の中で、歪められてきた目だった。
「⋯⋯どうして⋯⋯あんたはそんな風に⋯⋯」
震える声に、シラノスは言う。
「俺には、“待っていてくれる人”がいたからだ」
その言葉に、セラの胸がぎゅっと締めつけられた。
今、確かに彼は“銀の死神”ではなかった。
愛し、赦し、守るために生きる――“シラノス”その人だった。
そしてその背中には、かつての罪すら飲み込む、まばゆい銀の光が――まるで黒薔薇を裂くように、空へと放たれていた。




