真実の羽ばたき 16
朝の空は、澄み切っていた。
まるで誰かの決意を祝福するように、青が広がっていた。
セラは足元の岩を踏みしめ、谷の淵に立っていた。
風が吹き上げる。突き刺すような冷気に、かつての自分なら震えただろう。
だけど今、心は静かだった。
「セラ、大丈夫か?」
背後からかけられた声に、彼女はゆっくりと振り返る。
シラノスの瞳が、いつものように優しく揺れていた。
「うん。もう⋯⋯大丈夫」
小さく笑って、そう返す。
周囲には、黒い羽根を持つ巨大な魔鳥が群れをなして飛んでいた。
恐怖の象徴。あの日、幼い自分を引き裂いた、あの羽音が、今はすぐそこにある。
――でも、私はもう、逃げない。
「行こう、シラノス」
その言葉を合図に、彼は頷くと、背にある羽根を大きく広げた。
銀と黒が交じるその翼は、死神の証ではなく、今や“希望”そのものだった。
「俺の後ろじゃなくて、並んで飛べるか?」
そう問われて、セラは胸の奥が熱くなるのを感じた。
もう、彼の影に隠れてはいない。怖がるだけの私じゃない。
「⋯⋯うん。隣に、飛ぶ」
そう言って、セラは腰のポーチから一枚の羽飾りを取り出す。
それは、かつてシラノスから贈られた誓いの羽。
戦いの前に、もう一度その意味を確かめるように、左胸にそっと留める。
「さあ――」
二人は谷の縁から、同時に踏み出した。
風が強くなる。羽音が轟く。鳥の群れが一斉に舞い上がる中、セラは息を呑んだ。
だがその背には――シラノスの腕があった。
彼の補助を受けながら、セラの体は宙を滑るように上がっていく。
それはまるで、自分自身の翼があるかのような錯覚。
いや、違う。
今の私は、彼の翼を借りてでも、前に進める。
その瞬間、過去の記憶がフラッシュバックのように押し寄せる。
あの羽音。
あの血の匂い。
叫び声。爪痕。傷。恐怖。孤独。
――でも、それに飲まれることはもうなかった。
「私は⋯⋯!」
空中で叫ぶ。
「私は、もう逃げない!」
その叫びに、風が応える。
群れが割れるようにして、セラとシラノスの道が開かれる。
「見て、シラノス! 飛べる、ちゃんと⋯⋯!」
セラの瞳に涙が滲む。けれど、それは恐怖の涙ではなかった。
過去を赦し、恐怖を超え、自分の足で選んだ空――その美しさに、ただ胸がいっぱいだった。
シラノスはセラの横に並び、微笑む。
「よく、ここまで来たな」
「あなたがいたから。あなたが、待っててくれたから」
ふたりの視線が重なる。空の中、ただ互いの存在だけが確かだった。
鳥たちの羽音に包まれながら、セラは初めて笑った。
かつて、泣きながら空を見上げたあの日とは違う。
「空って⋯⋯あったかいんだね」
その言葉に、シラノスの瞳も潤む。
誰よりも空を恐れた少女が、今、自ら空へ飛び出していく姿――それは彼にとって、何よりの救いだった。
二人は風を切って、群れを縫いながら飛び続けた。
戦いは、これからだ。
黒薔薇の真実を暴き、ギルドを、仲間を、未来を守る戦いが待っている。
けれどこの瞬間だけは、ただ互いの鼓動だけを感じながら。
空を背負って、二人は共に羽ばたいた。




