鋼薔薇の猟犬 3
任務から戻ったギルドの食堂には、パンの香ばしい匂いと、午後の日差しが差し込んでいた。
だが、セラの足取りはどこかぎこちない。
(⋯⋯歩いただけで、足が棒みたい⋯⋯)
身体ではなく、精神の疲労が重い。 護衛任務そのものは順調だった。だが問題は、それとは別の“音”だった。
羽音。
それがどこからか聞こえるたびに、身体が凍りつく。
「セラ、大丈夫?」
隣を歩いていたシラノスが、そう声をかけてくる。 大きな羽は今も収納されているが、歩くと微かに風を運んでくる。匂いも、音も。⋯⋯あまりに近くて、怖い。
「⋯⋯大丈夫です。任務、完了しましたから」
そう言いながら、テーブルの椅子に腰掛ける。できるだけ距離をとって。
シラノスは気にした様子もなく、斜め向かいに座った。
「疲れた?」
「⋯⋯少しだけ、です」
ぎこちない会話。 だけど、彼は笑みを崩さない。
「セラは、オレのことが怖い?」
その問いに、心臓が跳ねた。
「⋯⋯怖いのは、“羽音”です」
気づくと、セラは口にしていた。 正直すぎる本音だった。
けれど、嘘ではない。
「君の羽が、怖い。見えなくても、音で分かる。鼓膜の奥に、何かが刺さるような感じがするんです⋯⋯」
自分でも気づかないほど小さな声だったのに、シラノスはきちんと聞き取った。
彼はほんのわずかだけ視線を伏せ、そして言った。
「ありがとう。正直に言ってくれて」
その言葉に、セラは驚いた。
「⋯⋯怒らないんですか? 嫌だとか、思いません?」
「思わないよ」
きっぱりとした返答だった。
彼の笑顔は穏やかで、どこまでも真っ直ぐだった。
「オレにとって、羽は誇りだけど──それを“怖い”って言われて、落ち込むよりも⋯⋯どうすれば怖くなくなるか、考える方が大事だと思うんだ」
(どうして、そんなふうに⋯⋯)
セラは、目の奥が熱くなるのを感じた。
怖いのは羽音。 でも、彼自身の声は、不思議と落ち着く。
「⋯⋯嫌い、じゃないんです。あなたのこと」
ぽつりと、こぼれるように言葉が出た。
シラノスの目が少し見開かれたが、すぐにふわりと笑ってくれた。
「それなら、少しずつでいい。君の歩くペースで──一緒に進もう」
その笑顔に、胸の奥がきゅっとなった。
その瞬間──
「鳥談義は任せるにゃー!!」
食堂の扉が勢いよく開き、リファが羽毛まみれのクッションを両手に抱えて突進してきた。
「セラ、聞くニャ! 本日入荷の最高級“金羽コッコ”の羽根布団! 飛ぶにゃ! 空も飛べるにゃ!」
「無理無理無理無理!!」
セラは反射的に椅子を倒し、身を翻して逃げ出した。
「鳥の話題は、まだ早いって言ったニャ~~!」
リファの叫びが食堂に響く。
シラノスは笑いを噛み殺しながら、逃げ去るセラの背中をそっと見つめていた。
まだ距離はある。けれど、それは嫌悪じゃない。
彼女の中に芽生えた、“怖いけど、嫌いじゃない”という感情。
それこそが、ほんの少しだけ近づいた、確かな一歩だった。