真実の羽ばたき 9
日が沈んだ後の広場には、静かな夜風が吹いていた。
セラは、その場にしゃがみこんだまま、目を閉じていた。
涙はもう止まっていた。けれど、胸の奥がじんわりと熱かった。
それは痛みではなかった。⋯⋯きっと、赦しの灯火。
シラノスは、彼女のそばに寄り添ったまま、言葉を探していた。
だが、セラの方から口を開いた。
「ねぇ、シラノス。⋯⋯私ね、ずっと逃げてたの」
ゆっくりと立ち上がり、空を仰ぐ。
「自分が壊れちゃったことも、誰かに助けられたことも、全部なかったことにして⋯⋯ただ前だけを見てるつもりで、ずっと後ろに縛られてたの」
シラノスは何も言わず、そっと見守っていた。
「怖かったの。あの時の自分が、弱くて、泣いてて、何もできなかったから⋯⋯」
その肩がわずかに震える。
でも、声は真っすぐだった。
「でも、いまは違う。あの子は、私だったんだって⋯⋯やっと認められる。助けてくれた人が、あなたで良かったって⋯⋯思えるの」
セラはゆっくりと振り返り、シラノスを見た。
「だから、もう⋯⋯逃げない。あなたと一緒にいる。この空の下で、私も――飛びたい」
彼女の言葉に、シラノスの瞳がわずかに揺れる。
そして、笑った。
「⋯⋯君は、もう飛んでるよ」
セラは目を瞬いた。
「恐怖を抱えながら、それでも誰かを信じて前に進む。それがどれだけすごいことか、君は知らないだろう?」
そう言いながら、彼はそっと羽根を広げる。
闇に溶けるような黒と銀の大きな翼が、夜風を受けて静かに揺れた。
「飛べないって思ってたのは、きっと――君自身だけだったんだ」
セラの胸に、あたたかなものが灯った。
そうだ。翼がなくても、人は飛べる。想いがあれば、恐怖を越えられる。
「⋯⋯ありがとう、シラノス」
彼の瞳がやわらかく細められた。
セラは歩き出した。広場を抜け、丘の上へ。小さな風見鶏が回る、古い鐘楼跡の前。
かつて一度も来られなかったこの場所に、自分の足で立った。
「私は、もう大丈夫」
彼女の心の中で、過去がそっと羽ばたいて、未来へと変わっていった。
その背を、シラノスは見守っていた。
かつて、彼女の小さな命を救った少年。
今、その少女と共に歩む男となった彼は、もう「死神」ではなかった。
守るべきもののために、力を振るうだけの兵士ではない。
彼女と共に、恐怖も痛みも、幸せも――全部受け止める“バディ”だった。
「⋯⋯セラ」
彼が呼ぶと、振り返った彼女の瞳には、もう怯えも曇りもなかった。
「次の任務、鳥のやつでも平気だよ」
ふわりと笑ったその顔に、嘘はなかった。
――そして、遠く空を飛ぶ鳥の群れが、風を鳴らす。
セラはそちらを見やり、目を細めた。
「羽音、うるさいくらいだね」
くすりと笑うその表情は、もう恐怖に引きずられるものではなく、
ただ、彼女らしい無邪気な笑顔だった。
夜空に、そっと鐘が鳴る。
――恐怖に閉ざされた心が、今、ようやく空へと開かれていく。




