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空を見上げる理由  作者: 桜鬼
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真実の羽ばたき 8

 街の外れ、小高い丘に広がる古びた広場。


 いまはもう誰も遊ばない。錆びたブランコ、朽ちかけた石造りの噴水、そして――


 あの日、幼い少女が血を流した場所。


 


 セラは静かにその地面に手を置いた。


 ざらりとした砂利の感触。草の間に残る白い石畳。その上に、自分は倒れていた。恐怖で、痛みで、震えながら。


 


 そして――


 


 「⋯⋯君、大丈夫?」


 


 耳の奥に、かすかな声がよみがえる。


 震える睫毛の隙間に、金色の光。顔にかかる影、ふわりと落ちた、銀と黒の羽根――


 


 「っ⋯⋯!」


 


 ぶわりと、記憶が堰を切ったように押し寄せた。


 


 コカトリスの幼鳥、パニックになった人々、誰かが檻を壊し、目隠しが取れた――


 叫び声、逃げる子どもたち、鈍い衝撃と爪の痛み。


 動けなかった。怖くて、痛くて、誰かを呼ぶ声すら喉で止まって。


 そのとき――確かに、誰かが飛んできた。


 


 翼の風が吹き抜けた。


 そのひと振りで、恐怖が後ろへ遠ざかった気がした。


 ――大丈夫だよ。そう言われた気がした。


 抱き上げられ、涙のにじむ目越しに見たのは、あの光だった。


 


 「⋯⋯助けてくれたのは、シラノス⋯⋯だったんだ⋯⋯」


 


 呟いた瞬間、胸の奥で何かが崩れた。


 小さな少女が長い間閉じ込めていた感情が、すべてあふれ出した。


 


 「どうして⋯⋯どうして、思い出せなかったの⋯⋯っ」


 


 膝をつき、手を握りしめる。肩が震え、涙がこぼれ落ちた。


 あのときの恐怖、孤独、痛み、そして⋯⋯守ってくれた温もり。


 全部が、今この瞬間に重なった。


 


 「怖かった⋯⋯ずっと、怖かったの⋯⋯」


 


 声にならない嗚咽が、静かな広場に響く。誰もいない場所。


 けれど――


 


 「セラ」


 


 背中から、やさしい声が届いた。


 


 「もう⋯⋯大丈夫だよ」


 


 次の瞬間、あたたかな腕が、そっと彼女の肩を抱きしめた。


 


 セラは目を見開いた。けれど振り返ることはしなかった。


 あの声、あの羽の音――覚えている。思い出した。


 


 「⋯⋯遅くなって、ごめん。思い出させるのが、怖かった。君が苦しむのが嫌で⋯⋯」


 


 シラノスの声が、低く、震えていた。


 


 「でも⋯⋯ようやく、君に言える。あの日、君を助けたのは俺だ」


 


 セラは泣きながら、そっと彼の腕に手を重ねた。


 


 「ありがとう⋯⋯あの時も、今も⋯⋯ずっと、ずっと、あなたが――」


 


 言葉にならない想いが、指先に乗って伝わる。


 シラノスは、そっと額をセラの後頭部に寄せた。


 


 「俺が、君を忘れたことなんて、一度もない」


 


 空が茜に染まりはじめていた。


 過去を思い出すたび、逃げることしかできなかったセラ。


 だがいま、シラノスという羽根が背を包み、彼女を“いま”に留めた。


 


 「⋯⋯ねぇ、シラノス」


 


 「うん?」


 


 「もし、あの日のことを全部覚えても⋯⋯あなたのそばにいて、いい?」


 


 シラノスは答える代わりに、彼女の肩をそっと引き寄せた。


 


 言葉なんて、もういらなかった。


 


 二人の間に流れる空気が、やさしい風のように広場を撫でていく。


 もう、あの日の空は怖くない。


 


 あの時見上げられなかった空の下で、セラはようやく、微笑んだ。




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