真実の羽ばたき 5
ギルドの地下、使われなくなった古い礼拝堂には、ひときわ大きな狼の彫刻が鎮座していた。
折れた牙、削れた鼻先。それでもなお、どこか誇り高く、鋭い目を光らせている。
その像の前に、ギルマスターのバルド・フォングリムがいた。
セラは彼に呼ばれ、静かに椅子へと腰かける。
「ギルマス⋯⋯話って」
「⋯⋯お前も“黒薔薇”を三つ終えた。もういい頃だろ」
ギルマスは、灰色の髪を無造作にかき上げると、手元の酒瓶を軽く振って笑った。
「⋯⋯昔話だ。くだらねぇ、じじいのな」
けれど、彼の目は笑っていなかった。
「“鋼薔薇の猟犬”って名に、何か意味があると思うか?」
セラは一瞬考えた。
狼の忠誠と、薔薇の危うさ。それはこのギルドのスローガンにも反映されていた。
「⋯⋯喉に刺さる薔薇ほど甘い。危険な任務ほど、報酬が高い⋯⋯ですよね?」
「それもある。だがな」
ギルマスは礼拝堂の壁に飾られた、かつてのメンバーの名札に目を向けた。
色褪せたその一つ一つに、祈るような目を向けながら語り始める。
「昔、この大陸には“牙持つ者”だけが評価される時代があった。力の強さ、爪の鋭さ、牙の長さ。それが正義の証だった」
セラは息をのむ。
「⋯⋯ギルマスも、その時代に?」
「ああ。オレは元々、帝国直属の狩猟部隊にいた。任務は簡単だった。“命令された標的を殺す”。ただ、それだけ」
その声音には、どこかシラノスと似た影があった。
「だが、ある任務で、オレは“失敗”した。標的の護衛にいた子供を⋯⋯見逃したんだ」
セラの心がぎゅっと締めつけられる。
「見逃したことがバレて、部隊は解体。仲間は次々と処分された。⋯⋯だが、残った奴らで誓ったんだ。“もう二度と、牙を振るわねぇ。けど、守るために吠える狼にはなろう”ってな」
バルドは酒をぐいとあおる。
「それが、“鋼薔薇の猟犬”の始まりだ」
セラは息を飲んだ。
今まで、ギルマスターの過去など想像したこともなかった。ただ、口の悪い中年男で、やたら“めんどくせぇ”を連発する人だと――それだけだった。
「この礼拝堂は、その仲間たちの眠る場所だ。名前も、姿も、もう覚えてる奴ぁ少ないが⋯⋯“牙を隠した狼たち”は、今もこのギルドを見てる」
セラは、自然と手を合わせた。
「⋯⋯じゃあ、“黒薔薇”っていう任務の意味は⋯⋯」
「それはまだ、教えねぇ。お前の“心”がもっと強くなったらな」
くしゃりと頭を撫でられ、セラはむくれたように眉を寄せた。
「⋯⋯ギルマスって、ずるいです」
「当たり前だ。オレは“大人”だからな」
その不器用な笑顔に、少しだけ涙が滲む。
この人もまた、誰かを守るために、過去と向き合い、牙を隠してきたのだ。
「なあ、セラ」
ギルマスが不意に口調を変える。
「“赦し”ってのは、相手のためにするもんじゃねぇ。お前自身が、自分の心の重さを背負って、それでも前に進むために――必要になる時がある」
セラは静かに頷いた。
彼の言葉は、心に深く突き刺さり、そしてじんわりと温かく広がっていく。
「⋯⋯はい。私も、そんな狼になりたいです」
バルドは煙草に火をつけ、ふっと息を吐いた。
「だったら、吠える声を忘れんな。鋼の牙は無くとも、お前の中にあるもんで、ちゃんと守れ」
セラは胸を張った。
誰かのように、誰かのために。
たとえ自分の羽が傷ついても――
「吠える準備は、できてます」
それは、小さな狼の祈り。
次の風が吹くとき、彼女の歩みは、きっと迷わない。




