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空を見上げる理由  作者: 桜鬼
32/74

真実の羽ばたき 3

 その晩、セラはギルドの宿舎には戻らなかった。


 持ち帰った小箱を両腕で抱きしめながら、街はずれの静かな小道を歩く。


 


 向かった先は、小さな丘の上――ギルドの塔が見下ろせる場所。


 彼女のお気に入りの読書場所であり、ひとりになれる場所だった。


 


 星々のまたたく夜空の下、セラはようやく、箱をそっと膝の上に置いた。


 蓋を開け、中から一冊の手記を取り出す。


 


 表紙に刻まれた名前は、


 “Cyranos”


 


 そして、記録タイトルは――


 『銀の死神 任務記録・極秘』


 


 深呼吸ひとつ。震える指で、ページを開く。


 


 記されていたのは、想像を超える――いや、想像したくなかった――過去の記録だった。


 


 ・ 任務番号:013

 ・ 対象:コルヴァ傭兵団(反乱軍)壊滅作戦

 ・ 結果:敵兵68名、指揮官3名、捕虜0、生存者なし

 ・ 特記:対象地域に民間人8名の巻き添え死確認


 


 「⋯⋯うそ⋯⋯」


 


 声が漏れた。


 その数字のひとつひとつに、血が通っていたはずなのに。


 セラの中で知っているシラノスは、笑って紅茶を煎れる人だった。


 ギルドの誰より温かく、時折不器用で――でも、優しくて。


 


 その彼が、これほどの死を、手にかけていたなんて。


 


 ページをめくるたび、心がきしむ。


 “銀の死神”と呼ばれた所以。傭兵として名を轟かせ、戦場で恐れられた存在。


 だが、それだけではなかった。


 


 記録の末尾に、報告者――ヴェスパーによる備考があった。


 


 「彼は“守るために殺す”という信念を曲げなかった」

 「一度も、無抵抗の者を斬ったことはない」

 「それでも、彼の周囲には死が積もり続けた」

 「最後に彼が壊れかけたのは、“子どもを守れなかった”任務の後だった」


 


 セラははっとして顔を上げる。


 ――子ども。


 まさか。


 


 記録のひとつに、あの事件に近い時期の任務がある。


 貴族領での“獣化事故”の発生。討伐要請がギルドに届く寸前の日時。


 


 (まさか⋯⋯あのとき⋯⋯)


 


 手が震える。


 あの広場で。左腕を裂かれ、血を流していた自分。


 あの時、誰かの声が――


 


 『大丈夫、もう逃げなくていい。君は、俺が守る』


 


 思い出す、黄色い瞳。焦がれるような声。


 あれは、間違いなく――


 


 「⋯⋯どうして⋯⋯そんなに⋯⋯」


 


 声が詰まる。息ができない。


 


 目を伏せたその手の中、羽飾りがそっと風に揺れた。


 


 同封されていた短い手紙を、彼女はそっと開く。


 


  『セラへ。

  君がこれを読む日が来たなら、俺はきっと、全部を話せずにいるだろう。

  それでも、君が知る権利があると思った。

  過去は消せない。償いきれない命もある。

  けれど――今の俺は、君を守るために在る。

  それだけは、信じてほしい。

 

  シラノス』


 


 涙が、ぽろぽろと音を立てて、手帳の端を濡らしていく。


 


 「馬鹿⋯⋯なんで⋯⋯こんな形で⋯⋯」


 


 抱えきれない罪を、その背に負ったまま。


 それでも誰かを救おうとして、笑いながら近づいてくれた人。


 


 「⋯⋯守るために⋯⋯殺す⋯⋯」


 


 その信念が、彼をどれだけ壊してきたのか。


 


 セラは、涙を拭わずに空を見上げた。


 


 あの日見上げた空と、同じ色だった。


 


 「シラノス⋯⋯」


 


 今、ようやく分かった。


 ――私は、あなたの“今”を好きになった。


 


 でも、その“今”は、“過去”の上に立っている。


 


 だからこそ、もう一度彼と向き合わなければならない。


 逃げずに、しっかりと。


 


 どんな過去でも、受け止めると決めたのは――自分だから。


 





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