恐怖と対話 6
薄曇りの空が、谷の尾根をくすませていた。
任務を終えて一行が戻る途中、セラはふと足を止めた。
風に揺れる羽飾りを見つめていると、黒い影が静かに近づいてくる。
「⋯⋯迷ってる顔だな、セラ」
ヴェスパーだった。
深緑の髪が揺れ、金の瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。
いつものような皮肉も軽口もなく、その目は静かで、どこか切実だった。
「⋯⋯迷ってなんか⋯⋯」
否定しかけたが、声が続かなかった。
自分でも、答えが見つけられていなかったからだ。
「シラノスは──お前を守りたいと思ってる。誰より強く、誰より真っ直ぐに」
ヴェスパーの言葉に、セラは思わず顔を上げた。
「⋯⋯知ってるよ。わたし、ちゃんと分かってる」
それでも、彼は一歩、近づいた。
その動きに合わせて、黒竜の気配がふわりと漂う。
彼の本質は、猛き獣。
そして今、その爪が──心の奥に触れようとしていた。
「だがな、あいつの羽根は優しすぎる。お前がもしまた怯えたら、きっと⋯⋯触れることすらできなくなる」
セラの目が揺れる。
ヴェスパーは、もう一歩踏み込んだ。
「オレの牙なら、折れてでも引き寄せられる。
怖がるなら、無理やり笑わせてやる。
泣いたら、無理やりでも泣き止ませる」
彼の声音は低く、まるで告白を噛み殺すような熱を帯びていた。
「⋯⋯セラ。お前が欲しい」
ドクン、と胸が跳ねた。
ヴェスパーの声は、脈を打つように耳の奥に残る。
「シラノスの羽根より、オレの牙を選べ」
その言葉が放たれた瞬間、空がざわりと揺れたような錯覚に包まれた。
彼の真剣な想い。それは冗談ではなく、本気の“選択”を求めていた。
「⋯⋯なんで、急にそんなこと」
セラの問いに、ヴェスパーは短く息を吐いた。
いつもの余裕のある顔が、どこか苦しげに歪む。
「ずっと我慢してた。
だけど──シラノスが、お前の隣にいるのを見るたびに、腹の底が熱くなる。
だから言うんだ。今ここで。選べって」
ハイネの姿が遠くに見えたが、声はかけてこなかった。
シラノスも、こちらには来ない。
二人とも、知っているのだ。
これは、セラが“向き合う”瞬間だと。
「⋯⋯ごめん、ヴェスパー。そんなふうに考えてくれて、うれしい」
セラは口を開く。言葉を選びながら、丁寧に。
「でも⋯⋯今の私は、まだ誰かを選べるほど強くない」
それが、嘘偽りのない本音だった。
「シラノスが怖くないって思えたのも、最近になってやっとで⋯⋯」
「⋯⋯それでもいい」
遮るように、ヴェスパーが言った。
「ただ言いたかっただけだ。選ばれなくても、オレは後悔しねぇ。
けどな──選ぶときが来たら、その時はオレの名も、ちゃんと思い出せ」
セラは言葉を失った。
ヴェスパーの背が、ゆっくりと遠ざかっていく。
その背中に、ドラゴンの影が揺れていた。
「⋯⋯ほんと、ずるいよ。あなたたちって」
呟いた声は、風に攫われて消えていった。




