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空を見上げる理由  作者: 桜鬼
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揺れる想いと足跡 6

 その日、ギルドの中庭は風が心地よかった。


 外任務を終えて戻ったセラは、洗った羽根飾りを布の上に干していた。


 白に近い灰色──シラノスの羽根の一部を加工した、あの飾りだ。


 


 (あの日、怖くなかった⋯⋯)


 


 ヴェスパーに揺さぶられたあの夕方。

 すぐそばでシラノスが翼を広げたとき。


 音も、気配も、風の動きも。


 「怖い」と体が反応しても、おかしくなかったはずなのに──


 


 (⋯⋯怖くなかった)


 


 ふと目を伏せた時、肩にかかった上着に気づく。


 


 「あ」


 


 見れば、それはシラノスの深茶の上着だった。任務帰り、彼がそっとかけてくれたのだ。


 


 羽根の匂いはしない。ただ、彼の匂いがかすかに残っている。


 戦場の匂いじゃない。獣の匂いでもない。


 ただ、安心する匂いだった。


 


 「セラーっ!」


 


 耳慣れた声に顔を上げると、水色の髪がふわりと舞い、元気な足取りでハイネが中庭へ駆け込んでくる。


 


 「いた! 探したよー。任務帰り? お疲れー!」


 


 「うん⋯⋯少しだけ、疲れたかも」


 


 セラは小さく笑って言った。


 その微笑に、ハイネの目がきらんと光る。


 


 「⋯⋯あれ? 今、優しい顔したでしょ」


 


 「え? な、なにが?」


 


 「うわー、バレバレ! 完全に恋してるやつだー!」


 


 ハイネが両手をほっぺに当て、わざとらしく身をよじる。


 


 「まって!? ち、違う、違うから!」


 


 「ふーん? じゃあ聞くけどさ──」


 


 ハイネが芝生に腰を下ろし、真剣な目をした。


 


 「“シラノスの羽根”、怖くないって思えたの、いつ?」


 


 その問いに、セラは言葉を詰まらせた。


 


 (⋯⋯昨日、ヴェスパーが現れたと⋯)


 (⋯⋯あの人の背中が見えたとき⋯⋯)


 


 ──胸の奥で、何かがふわりと舞い降りたような気がした。


 それは、ふかふかで、少し温かくて。

 たぶん、心に巣を作るような──そういうもの。


 


 「⋯昨日かな。少しだけ、怖くなかった」


 


 ハイネは微笑み、何も言わずにうなずいた。


 その沈黙が、かえって優しかった。


 


 「じゃあさ」


 


 彼女はふわりと立ち上がり、空を見上げた。


 


 「セラの心の中にも、あの人の羽根が落ちたんだよ。小さく、ふわってね」


 


 「⋯⋯羽根、落ちた、って」


 


 「そのうち、あったかい巣になるってば! うちの犬、ベッドに羽根詰め込むの大好きだもん!」


 


 例えが謎すぎたが、セラはふっと吹き出してしまった。


 


 笑った。


 自然と、そうなっていた。


 


 ──たぶん、少しずつだけど。


 シラノスという人が、確かにセラの心の奥に、何かを根付かせていっている。


 


 羽の音が、いつか風に変わるように。


 その時を、もうすぐ感じられそうだった。



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