揺れる想いと足跡 2
ギルド《鋼薔薇の猟犬》の地下には、過去の任務記録や資料が保管されているアーカイブがある。
セラはその階段を静かに降りていた。朝も早い時間帯で、灯りも薄く、書物の匂いと埃の重さが空気に溶けている。
(⋯⋯確か、あの事件が起きたのは十年以上前。第五区の広場。猛禽種の暴走。負傷者は⋯⋯)
夢の中で何度も聞いた声。
そして、シラノスのまとう空気――優しいけれど、どこか過去を覆い隠しているような。
(まさか⋯⋯彼があのときの⋯⋯?)
真実を確かめたくて、誰に頼まれたわけでもなく、足を運んだ。
ギルドで自分の階級なら、閲覧制限のない範囲での記録は調べられる。
「⋯⋯よし」
年代を絞り込み、棚から古びた記録をまとめて引き出す。
一つずつ、事件名と日付を確認しながらページをめくる。
「⋯⋯あった⋯⋯!」
“第五区広場における、猛禽種暴走事件”。
日付、地名、内容すべてが一致している。
ページを開いた指が、止まった。
『発生時刻:午後三時頃。
広場に設置された檻より、魔物(コカトリス幼体)が逸走。
被害者は平民の少女を含む三名。うち一名が重傷。
応急処置を施した少年は、当時名不明。
のちに、当ギルドで“銀の死神”と呼ばれたハーピーと特徴が一致。』
セラの息が、浅くなる。
(やっぱり⋯⋯)
そして、その下に記されていたのは――
『記録者:バルド・フォングリム(当時補佐)』
「⋯⋯ギルマス⋯⋯」
ずっと、知っていたのだ。
セラの過去も、シラノスの正体も。
(⋯⋯あの人のことだから、“めんどくせぇ”って思って終わってそうだけど⋯⋯)
唇を噛む。
怒っているわけじゃない。ただ、どうしようもなく胸がざわつく。
ページの間に挟まっていた、スケッチ風の記録用紙に描かれていたのは――
銀と黒の羽。鋭くも柔らかい表情の少年。
(あの声⋯⋯夢で私を助けてくれた⋯⋯あれは、やっぱり)
彼だった。
そして、もう一つ。
その記録があった棚に、別の封筒が隣接していた。
“Cyranos”
表紙に銀色のインクで、そう記されたファイル。
内容は、彼が傭兵時代に請け負った任務の記録だった。
『単独討伐記録:A級魔獣×3体、B級×12体。
作戦名:薄暮の翼
報告者: “Vesper”』
「⋯⋯ヴェスパー⋯⋯?」
あのとき任務先で出会った、シラノスの元同僚。
彼の名がここにあるということは――
セラは手を止める。
(このまま開いてしまって、いいのかな⋯⋯)
ファイルの重みが、なぜか胸の奥にずしりとのしかかる。
目の前にあるのは、“彼の過去”。
でもそれは、まだ“私が踏み込むべき場所じゃない”ような気がした。
そのとき、低い声が地下室の入口から響いた。
「それ以上は、まだ見せられねぇ」
ギルマス・バルド・フォングリム。
石階段の上から、眉間に皺を寄せたまま彼女を見下ろしている。
「そいつは“黒薔薇任務”を三つ達成した者しか読めねぇ。
お前にはまだ、そこまでの“資格”はねぇだろ?」
「でも私は⋯⋯」
言いかけて、セラは言葉を飲み込んだ。
(そうだ、私はまだ、彼のすべてを受け止められるほど、強くない)
静かにファイルを元の位置に戻し、封を閉じる。
「⋯⋯わかりました」
「知りたくなったら、自分の足で三つ、任務をこなして来い」
バルドの声音に、説教も怒りもなかった。ただ、静かな重みだけがあった。
セラは小さく頷いた。
(いつか、ちゃんとこの手で開く。覚悟を決めて)
振り返ると、棚の奥で羽根飾りが風に揺れていたような気がした。
それはまるで、“いつか来るべき時”を、じっと待っているように――




