プロローグ:記憶の底に沈む羽音
────カチャリ。
金属音がどこかで鳴った。古びた鍵が錠を外す、くぐもった音。
「やだ⋯⋯来ないで、やだっ!」
悲鳴が響く。
それは小さな子供の声で、どこか懐かしいのに、はっきりと思い出せない。
目の前の光景は、モザイクのように滲んでいた。
広場。昼下がり。
笑い声があふれていたはずの場所が、いつの間にか悲鳴に染まっていた。
何かが暴れている。檻が開かれ、鉄の棒が地面に転がった。
その瞬間、何かが飛び出す。
――ギャアアアアアッ!!
耳をつんざく咆哮。
濁った黄色の眼。乱れた羽。鋭く反り返った爪。
そして、走ってきた。まっすぐに、こちらへ――
「⋯⋯ッあ、あああッ!」
蹴られた。鋭利な足の一撃が、左腕を貫いた。
焼けるような痛みと共に、意識が白く弾け飛ぶ。
──その後の記憶は、ない。
夢の中の自分が、そこで意識を落とす。
だけど耳の奥に残るのは、誰かの声。
「⋯⋯大丈夫。血、止まってる⋯⋯
」
「誰か、ギルドに──! 早く⋯っ!」
少年の声だった。震えていた。でも、懸命に誰かを呼んでいた。
その声だけが、唯一の光のように胸に残っていた。
「⋯⋯誰⋯⋯?」
夢の中の自分が問いかける。
けれど、その答えは届かないまま──
「⋯⋯っ!」
セラは、跳ね起きた。
胸が苦しい。冷や汗が額を伝い、喉が乾いている。
息を整えようと深く吸い込むも、肺がうまく広がらない。
「⋯⋯また、あの夢⋯⋯」
視線をゆっくり落とすと、左腕がじんじんと疼いていた。
傷跡に触れないように、そっとシャツの上から押さえる。
子供の頃に負った、鳥のような爪痕。
その日、何が起きたのか。断片はあるのに、核心だけが抜け落ちている。
──でも、ひとつだけ確かだった。
「⋯⋯鳥が、怖い⋯⋯」
小さく呟いたその言葉が、胸に突き刺さる。
コカトリス。
冒険者なら誰もが恐れる、猛禽の魔物。
その“幼鳥”に襲われた──それだけは記録にも残っている。
街の広場。子供たち。貴族の少年。開かれた檻。
叫び声と、血の匂い。そして、自分の悲鳴。
けれど、それ以上の記憶は、蓋をされたまま。
「⋯⋯なのに、どうして⋯⋯あの声だけ、覚えてるんだろ」
ギルドに誰かが走ってきた。助けてくれた。
手当をしてくれた誰か。少年の声だった。
でも、顔も名前も浮かばない。
なぜ、その声だけを覚えているのか。
自分でも分からなかった。
──トントン。
ノックの音。木製の扉越しに、明るい声が届く。
「セラ〜! 朝ごはんできてるよ! 早く来ないと、焼きリンゴパンなくなるよ〜!」
「⋯⋯あっ、うん! 今、行く!」
思考を無理やり現実に引き戻し、返事を返す。
声の主は、ハイネ。桃色の髪に水色の瞳、可愛らしい顔立ちでギルドの仲間で、頼れる友達。
ベッドから降り、クローゼットの奥からいつものシャツを取り出す。
首元までしっかり隠れるハイネック。
あの日以来、無意識のように選び続けている服。
誰に指摘されようと、変えられなかった。
この服を着ていると、少しだけ自分を守れる気がした。
「……今日も、鳥任務じゃありませんように」
冗談めかして祈るように呟き、扉のノブに手をかける。
──このときの彼女は、まだ知らない。
ギルドの掲示板に貼られている、あの黒薔薇マークの意味も。
そして、今日出会う“ある男”が、
過去に自分を助けてくれた少年であることも──
それが、彼女の運命を変える始まりだった。