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ふたりの夏(4)

デートの翌週、俺は正晴の家を訪ねた。インターフォンの黒いボタンを押すと聞き慣れた機械音が響いて、そこらじゅうの暑苦しい蝉の声と混ざり合う。ガチャガチャという音の後、白いドアが開かれた。ひょこっと顔を出したのはもちろん正晴である。

 

「あ、冬やっと来た」

「わりぃ、バイトが長引いてな」

「お疲れ様。どうぞ、上がって」

 

促されるままに家の中に入った。何度も来たことがあるので、勝手はもうわかっている。玄関に出ている靴が一足しかないのを見る限り、家にいるのは正晴だけだと推測された。二階にある正晴の部屋に着くと、俺はまずデートのときに借りていた服を返した。今日のメインの用事はそれだ。正晴は服を受け取るとタンスにしまい、ベッドに座った。俺は床に敷いてあるカーペットの上に座る。いつもの定位置である。

 

「あ、そうだ。服貸してくれた礼にスイーツ持ってきたんだけど食う?」

 

服と一緒に持ってきていた手土産の存在を思い出した。要冷蔵のものなので、今食べないにしても冷蔵庫にしまってもらう必要がある。俺の質問に正晴はぱっと顔を輝かせた。俺と同じかそれ以上の甘いもの好きなので、スイーツへの反応はいい。

 

「やったー、エクレアだ!」

 

袋の中を見て喜んでいる姿は、心なしか子供っぽく見える。それがおかしくてクスッと笑うと、正晴は少しムッとした。しかし、エクレアの誘惑には勝てないらしく、何の反撃もないまま包みを開けて食べ始めた。


「で、どうだったの?」

 

エクレアを頬張りながら唐突に聞いてくる。どうだった、とはデートのことのようだ。先日のメールにあったとおり聞く気満々らしい。

 

「おかげさまで特に問題もなく……」

「キスくらいした?」

「きっ!?」

 

驚きのあまり変な声が出てしまった。不意打ちされてはたまらない。


「へ、変なこと言うな! 付き合ってるわけでもないのに」

「えー、じゃあ手繋ぐとかさぁ」

「するか馬鹿! のぞみとはそういう関係じゃない」

 

キスをするだの、手を繋ぐだの、そんな浮かれたことができるわけもない。そういう発想すらなかった。俺が呆れてそっぽを向くと、正晴は俺の隣に来て耳元で囁いた。

 

「でも、のぞみちゃんのこと好きなんでしょ?」

 

全てを分かったかのような声に、背中が少し冷える。俺は無理やり正晴を離れさせた。その顔は面白そうに笑っているだけなのに、言わざるをえない圧がある。

 

「……わ、かんね」

 

ぐっと息を飲んで、それだけ答えた。嘘ではない。のぞみは可愛い、守りたくなる。それはきっと一般論じゃなくて、俺の個人的な意見だ。だが、それが好きに直結するのかは分からなかった。

 

「へぇ、わかんない、ね。じゃあ俺が判断してあげるから、デートの全容教えて?」


正晴が意地悪そうに言って、にっこり笑った。それが悪魔の微笑みに見えたのは、俺の気のせいだろうか。

 

「――で、のぞみを家まで送って終了」

 

それから俺はデートで起こったことを全て話した。その間、正晴は黙って聞いていた。どうにもこういった説明は苦手なので、だいぶごちゃごちゃとした説明になってしまったが、長い付き合いなのでだいたい理解してくれるだろう。

 

「ふーん。ま、いい感じだったんじゃない? 楽しんでもらえてたみたいだしね」

「ならいいけどな」

「でも、健全な男子が好きな女の子とデートしたってのに、間接キスまでしかいってないっていうのはいただけないなぁ」

 

そんな言葉につい赤面してしまう。冗談なのは理解している。それでも経験の少ない俺には結構効いてしまった。

 

「間接キス以上に何しろってんだ! てか、だから別に好きとかじゃ……」

「一緒にいてドキドキしたんでしょ?」

「そ、それは」

「認めちゃえって」

「……正晴お前、楽しんでるだろ」

 

俺が睨みつけると、正晴は楽しそうにケラケラ笑った。だが、その中には微笑ましそうな表情もかすかに混ざっている。それがなおさら恥ずかしい。ただのからかいなら完全に突っぱねることもできるが、優しさを帯びていると無視しきれないのだ。

 

「でもさ」

 

正晴はどこからか取り出したチョコを口に含みながら、話を続けた。楽しそうな声から一転、暖かい声になる。

 

「冬の気持ちを俺がどうこう決めつけるべきじゃないよね。こういうのは自分で考えることに意味があると思うし。まあ冬がどう判断するにせよ、俺は冬のサポートするって決めてるから」

 

そう言って優しく微笑んだ顔は、俺から見てもかっこよくて少し照れてしまった。俺はそれを隠すように口をぐっと結んで頷く。正晴も満足そうに一度頷いた。

 

「……好きってなんだろうな」

 

そのままのぞみへの想いについて少し思案した俺は、ポツリとそう呟いた。人を好きになったことがないわけじゃない。だが、人と関わるのを避けるうちによくわからなくなってきてしまったのだ。


「さあねぇ。好きって言っても友情とか恋愛とか色々あるしね」


正晴は自身の唇に人差し指を当てて答えた。さっきまでは恋愛的な意味で俺をからかってきていたんだろうが、今は違う。ちゃんと俺の気持ちについて考えようとしてくれているようだ。それから、「だけど」と付け加える。

 

「だけど、のぞみちゃんのこと話してるときの冬、すごく楽しそうに見えるよ」

 

にこっと笑ってそう言われると、なんだか恥ずかしくなる。こういうときばっか普通に接されるとやりづらい。俺をからかうような言葉はこういうタイミングで言ってほしいもんだ。

 

「そうかよ」

「うん」

「でもやっぱわかんねえや。自分の気持ちだってのに」

「そんなもんでしょ。焦る必要はないんじゃない?」

「まあそうだな。ゆっくり考えてみる」


どうせ時間はある。のぞみと関わる中で自分の気持ちと向き合っていければいいと思った。



正晴の家からの帰り道、あと少しで家に着こうというところで見知った男性と出くわした。

 

「冬くん! ちょうどよかった。君に会いに来たんだ」

「斎藤さん……何の用です?」

 

斎藤由伸さん。俺の体質に関わる研究をしている人らしい。彼からは何度も研究の協力を頼まれている。俺の体を詳しく調べることで何か発見があるのではないか、という話だ。だが、いつも母さんにばっさり断られていた。

 

「やっぱり僕達の研究に力を貸してくれないか?」

 

やはり今回もそういう用件らしい。何度来たって結果は変わらないのによくもこう繰り返し来られるものだ。

 

「何度来てもらっても受ける気はありません」

 

俺ははっきりと答えた。曖昧な返事で希望をもたせるような真似をするわけにはいかない。

 

「確かに時間を割いてもらうことになるし、リスクがないとは言いきれない。だけど研究が進めば、君はその体質を変えられるかもしれないんだよ」

「俺はリスクを冒してまで変えたいと思ってないので」

「じゃあこれから先ずっと治らなくてもいいのかい?」


わざと冷たい声で対応する俺に、彼は容赦のない質問を投げてきた。そんなの答えは決まっている。

 

「もちろん俺だって治るんなら治したいですよ! でも、治るとは限らないんでしょ? 中途半端になんかやって、悪い方向に事が動くのが怖いんです」

「そのために君は治る可能性を捨てるのか? 君が変えようと思わなければ変わるわけがないのに」

 

つい二人とも熱くなって声量が大きくなってしまう。斎藤さんが言っていることは正論だ。そんなこと俺だってわかっている。だが、変えるということは築いてきたものを壊すことに繋がるかもしれない。それはあまりにも怖すぎる。

 

「ごめん、言い過ぎた。これは君が決めることだ。僕達には強制なんてできない」

 

俺が黙り込んでしまったからか、斎藤さんは落ち着いた声でそう言った。俺は小さく首を横に振る。

 

「だけどね、だからこそ冬くんにはよく考えて決めてほしいんだ。親御さんとか僕達の意思とかは一度置いておいて、自分だけの意思で。その気になったらここに連絡して」

 

そう言って名刺を手渡される。黙って受け取ったそれは、なぜだか随分と重く感じた。

 

「それじゃあ」

 

返事をする間もなく、斎藤さんは帰っていってしまった。俺は呆然とそれを見てから、我に帰り名刺をポケットにしまう。もし本当に治ったら、俺はきっと怯えなくて済む。冬を嫌わなくて済む。だったら、もうそろそろ変わる努力をしなければいけないのかもしれない。これからはのぞみへの気持ちだけではなく、自分の将来についてももっとよく考えていかなくてはならないと思った。

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