ふたりの夏(2)
今日は朝から天気がよくてホッとした。ついにデート当日だからだ。電話した日の2日後、俺は正晴に服を貸してもらった。俺に合うのを用意しておいてくれたらしく、自分ながらそこそこ似合っている。髪型はワックスを使って軽く整えただけだ。あまりやりすぎると意識していることが丸わかりだから、というアドバイスがあったためである。それでも、服に合っていて、多少はサマになっていると思う。
10時、駅前の大きな時計の下に集合。そういう約束だ。もともと5分前行動が身についている俺は、少し早めに着くように家を出た。
「あ、冬くん! おーい!」
もう少しで時計の下に着く、というところで大きな声が聞こえてきた。声の方向に目を向けると、のぞみが背伸びをして手を振っている。小柄な体を大きく見せようとしているのが可愛い。俺は急いでそこへ走った。
「わりぃ、待った?」
「待った待った。めーっちゃ待ったよ!」
「う、ごめんなさい」
のぞみが頬を膨らませて言うので、真面目に謝ってしまった。彼女は早めに来るタイプだったようだ。
「ふふっ、冗談!」
俺が真剣に謝ったのがおかしかったのか、のぞみは急に笑う。どうやらさっきのは本気ではなかったらしい。よくよく考えてみれば、集合時間より前に来ているのに怒られる筋合いはない。
「冬くんと遊びに行けるんだーって思ったら、楽しみすぎてつい早く来ちゃっただけ」
満面の笑みでそんなことを言う。その表情と発言がどうにも可愛くて、ドキッとしてしまった。なんかずるい。俺が思ってても言えないようなことをさらっと言われてしまう。かっこよくリードしたいのに、してやられてばかりだ。
「冬くん今日いつも以上にかっこいいね」
ほら、また。俺だってのぞみの格好を褒めたいのに、先に褒められてしまった。もちろん褒めてくれるのは嬉しいが、地味に悔しい。俺も負けじと褒めようと決めた。いや、そんな決意をせずとも、もちろん彼女は可愛いのだが。病院ではラフな格好をしていたので、のぞみのちゃんとした私服を見るのは初めてだ。白いスカートに水色のトップス、髪は緩く巻かれている。メイクはしていないようだが、元の素材がいいからか顔も服に負けず可愛らしい。
「のぞみも可愛いな。ちょっとお嬢様っぽい」
「えへへ、嬉しい。でもお嬢様なんて遠い存在だけどね」
俺が内心結構照れながら言うと、彼女ははにかんで答える。それも可愛くて、まだ集合したばかりなのに俺の心臓は強く打っていた。
「で、今日はどこに連れてってくれるの?」
「着いてからのお楽しみ。つっても、楽しんでもらえるかわかんないけど」
「えー? 冬くんと一緒ならどこでも楽しいよ」
ちょっと前から思っていたが、のぞみは小悪魔系だと思う。素かわざとかわからないが、俺を惑わせすぎだ。
「じゃ、行くか」
照れ隠しのように言ったその一言で、俺たちは歩き出した。駅から離れて住宅街を抜けたところに最初の目的地がある。そこまでは二人で喋りながら、ゆっくりと歩いた。
「はい、最初の目的地はここ」
俺は大きな建物の前でピタッと立ち止まった。話すのに夢中になっていたのぞみも、それに合わせて立ち止まる。それから、顔を上げてキョトンとした。
「えっと、美術館?」
あ、この反応やらかした。すぐにそう思った。俺の好きな場所だからここを選んだが、ぶっちゃけ急に連れて来られても困るだろう。互いに絵が好きならまだしも、のぞみと芸術の話になんてなったことがないのだから。
「……あー、ごめん。他の場所がいいよな」
「え、ううん! ここがいい!」
別の場所を提案しようとスマホを取り出した俺に、のぞみは慌てた声をあげる。よく分からないが、とりあえず嫌だったわけではなさそうだ。
「私美術館って来たことないから、ちょっとびっくりして」
「え、小学校の校外学習とかで来なかった?」
「あー、そういうのほとんど行けてなかったから」
のぞみが悲しそうに笑った。その姿に胸が痛くなる。理由は明言しなかったが、きっと病気のせいなのだろう。なんで簡単に聞いてしまったのか。のぞみが病気だって知っていながら、なんで傷を抉るようなことを。あまりにも迂闊すぎた。自分だって冬のことを言われたら、耐えられないくせに。
「ごめん」
口から出た暗い声すら憎い。ここで謝ったりなんかしたら、もっと傷つけるだけだと分かっているのに。
「えー、なんで謝るの。冬くんのせいじゃないでしょ」
のぞみは綺麗な髪を耳にかけながら言った。顔にはさっきよりも柔らかな笑みを浮かべている。傷ついていないわけではないと思うが、きっと明るくしようとしてくれているのだろう。
「それもそうだな。じゃあ入るか」
俺も明るく笑ってみせて、一緒に館内へ足を踏み入れた。
「大人2人なんですけど」
「600円になります」
まずは受付で入館料を払う。俺はのぞみが財布を出す前にスッと600円を置いた。元々よく来ている美術館だ。いくら掛かるのかも分かっていたので抜かりはない。
「え、冬くん、私の分のお金」
「おごり」
「ええ、悪いよ。自分で払う」
「いいって。デートなんだしちょっとくらいかっこつけさせて。まあたった300円だけだけど」
「じゃあ、ありがとう」
やっと、なんとか少しだけかっこがついた。なんか軽く思考が漏れていた気もするが、気のせいだろう。
「そういえばさっきデートって言った?」
順路に沿って歩いていると、不意にのぞみが聞いてきた。
「ああ。それがどうかしたか」
「なんかカップルみたいだなぁ、って」
その言葉に、体温が急激に上がったのを感じた。カップルという言葉が頭の中をグルグルとする。
「あれ、なんか今恥ずかしいこと言ったね私。ごめん、忘れて」
のぞみが頬を赤らめてそう言ったのが、俺に追い打ちをかけてきた。むしろこっちが恥ずかしい。そんなことをしていると展示室に辿り着いた。これ以上この話を続けることはできなかったので、助かったと思った。
「わあ……!」
展示室内へ入ると、のぞみは感嘆の声をあげた。美術館に来たことがないということは、これだけの数の美術品を見たことがないということだろう。そんな人が多くの絵が並んでいるところを見たら、感動するのは当然だ。
「この絵リアル感がすごい! 細かすぎるでしょ」
「うわぁ、綺麗。こんな女の人憧れちゃう」
「これ何を表してるんだろ。あ、もしかして太陽かな」
平日昼間だからか二人しかいない展示室で、のぞみの声が響く。俺は黙って絵を見ていたが、彼女は一人でいろんなことを言っていた。それだけテンションが上がっているのだろう。そんな様子を見るのが楽しかった。
「あー、楽しかったぁ」
美術館を出たところで、のぞみが伸びをしながら言った。顔には満面の笑みが浮かんでいる。最初はどうなることかと思ったが、俺のチョイスは外れではなかったようだ。
「喜んでもらえてよかった」
「ありがとう、連れてきてくれて」
「どういたしまして。さて、もう12時回ったし昼飯食わねえ? 行きたい店あるんだけど」
そんな流れで、俺たちは昼飯を食べに行くことになった。もちろん近くの飲食店は調査済みなので、その中でも評判のよい店に向かうことにする。
「冬くんはよく美術館行ったりするの?」
「ああ、一時期美術館巡りにハマってたし」
「へー、意外!」
「似合わないだろ。よく言われる」
「ふふっ、確かに」
事前に目をつけておいたオムライス屋で、昼飯を食いながらのんびり話をした。注文したオムライスはとろふわな卵とチキンライスの相性が抜群で、とても美味しい。ネットでの口コミのとおりだ。
「さて、腹もいっぱいになったことだし次行くか」
デザートのプリンまで堪能して店を出ると、俺とのぞみは次の目的地へ向かった。さっきと同じく、行先はのぞみにはまだ秘密だ。店からバスで二十分ほど行くと、大きな公園に着いた。今日最後の目的地である。
「おっきな公園だね。小さいころにお父さんと近所の公園行ったの思い出すなぁ」
のぞみは公園を見ると、懐かしそうに呟いた。きっといい思い出があるのだろう。俺も昔はよく友達と公園で遊んでいたので分かる。この年になると公園に行く機会はかなり減るし、のぞみの状況なら尚更感慨深いに違いない。
「冬くんは公園とかもよく来るの?」
緑色の葉を揺らめかせる木々の下を歩きながら、のぞみが聞いた。間から漏れた日の光が、彼女の可愛らしい顔を一際輝かせている。
「まあな。公園に限らずいろんなところに行ってる。ほとんど静かなところだけど」
「いいねそういうの。楽しそう」
「そうか?」
「うん、とっても。いつか今まで行ったところの話してほしいな」
「わかった」
今まで正晴にもそういう話をしたことはなかったが、のぞみになら話したいと思った。それにしても、楽しそうと言われたのが意外だ。今は二人だけど、普段は一人だし、明るい場所でもない。楽しそうとはかけ離れていると思っていた。実際楽しいかと聞かれたら、答えには迷ってしまう。それでも俺が行っているのは、美しいものを見るためだ。 美しいものを見ると、少し救われた気持ちになる。時によっては逆に辛くなることもあるが。なにより、枯れかかっていた心が揺さぶられるのだ。そしてそれは、のぞみといる時も同じだった。
俺たちは園内を適当に歩き回った。遊具エリアでは子供たちに混ざって遊具で遊んだり、疲れたらベンチに座ってジュースを飲んだりもした。
「公園って久々に来ると楽しいね」
「だな。俺はよく来るけど、こんな風に遊んだのは久しぶりだ」
「童心に帰るなぁ」
「まー、俺らも子供だけどな」
確かに、とのぞみが笑ったので、つられて俺も笑う。遊具の方からは子供たちの遊ぶ声が聞こえていた。
「さてと、じゃあ、一番の最後の目的地に向かいますかね」
「え、ここじゃないの?」
俺がベンチから立ち上がって言うと、のぞみは驚いた顔をした。その表情を見て、少し得意げになる。
「ここだけど、ここじゃないんだよ」
「なにそれ、どういう意味?」
「行けば分かる」
先導する俺に、彼女は大人しく着いてくる。不思議そうな顔をしつつも、どこかわくわくしているように見えた。ベンチから少し歩くと小屋があり、その裏を通り抜けると整備されていない道に出る。そこからさらに歩くと小さな階段があるのでそこを下り、細い道をさらに進む。しばらく行くと、木々が立ち並んで通せんぼをしている所があった。そこは間をうまくすり抜ける。狭いが通れないほどではない。その木々を抜けた先には。
「うわぁ……! 花畑だ!」
綺麗な花畑が広がっていた。
「どう?」
「すごく綺麗! でもどうしてこんなところに?」
「趣味でここで花を育ててる人がいるんだ。秘密の花畑って魅力的だろって」
「へぇ、素敵だね」
そう、綺麗で素敵だ。赤、黄、橙、水色、桃色。いろいろな色の花が咲いている。凛としていたり、可愛らしかったり、縮こまっていたり、どれもが美しい。日に当たって気持ちよさそうにしている花たち。そよそよと揺れる風が花と俺らをくすぐっていく。
「私この花好きだなぁ」
ふと、のぞみがある花の前でしゃがみ込んだ。ピンクと白色の可愛らしい花。ジニアだった。和名では百日草といい、開花時期が長いことで有名である。花言葉は「不在の友を思う」。俺がそれを伝えると、のぞみはびっくりしたように目を見張った。
「えー! 冬くんよく知ってるね」
「まあな。花は好きだから」
「すごいね。私全然分からないや」
「でも好きなのか?」
「だってほら、かわいいから!」
そう言った彼女の方が数倍可愛かったのだが、それは口に出さないでおく。なんにせよ、のぞみがジニアを好きだと言ったことは嬉しかった。「不在の友を思う」、それはつまり、俺が眠っている冬の間も俺のことを思ってくれるということではないだろうか。我ながらポジティブな考え方だ。そもそものぞみは花言葉を知らなかったというのに。だが、そうであればいいなと思った。
「冬くんは何の花が一番好き?」
「どれも好きだけど、一番って言われたら桜一択だな」
「えー、ここに咲いてないじゃん」
「そりゃ、春の花だしな」
むぅ、とのぞみが頬を膨らませた。そんなことをしても、可愛いことに変わりない。女の子とこんな風に関わることがなかったからだろうか。どんな表情にも可愛いという気持ちが湧いてしまう。
「あ、じゃあじゃあ!」
彼女は手を挙げて大きな声を出す。俺はのぞみの隣にしゃがんで、首をかしげた。
「来年の春に、冬くんおすすめの桜スポットに連れてって!」
これは、少なくとも来年の春までは仲良くしてくれるということだろうか。いや、きっとのぞみは俺の体質のことを知らないからこんなことが言えるのだ。知ったら、本当に冬の間会えなかったら、俺のことなんて忘れるに違いない。そう思っているのに、俺の口は自分の意思に反して動いた。
「わかった、約束な」
「うん、約束!」
のぞみは楽しそうに笑って答える。もし忘れられてしまうとしても、今この約束は俺にとっては大切で、嬉しくて、かけがえのないものだ。本当はそれだけでいいのかもしれない。分からない未来のために今の幸せを失う必要なんてない。 ぱあっと目の前が明るくなった気がした。こんな簡単なことに、俺は今まで気づけていなかったのだ。彼女のおかげでやっと気づけた。 やっぱりのぞみは俺にとって特別の特別だ。出会えてよかった。そんなことを改めて思った。