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ひとりの春(1)

俺は、冬を知らない。


物心ついた時から、俺には冬がなかった。

クリスマスの思い出も、年越しの思い出も、俺にはない。

失った冬を取り戻す方法なんて、俺には分からない。


だから、俺の人生に冬はない。


俺は昔から変わった体質だった。暦の上で冬と言われる12月から2月までの間、ずっと眠り続けるのだ。


12月1日。必ず眠りにつく。

3月1日。必ず目が覚める。

それが毎年繰り返される。

 

母さんいわく、そうなったのは五歳の時らしい。どんな医者に見てもらっても原因はわからなかった。冬に眠り続けることを除けば、俺の体に異常はないらしい。俺のこの体質に関わる研究をしている人もいるようだが、未だに原因や治療法は解明されていないと聞いた。そういった研究者から研究への協力を頼まれたこともある。だが、両親の意向で拒否した。


俺は治る見込みのないこの体質を一応は受け入れているし、そのせいで毎年病院に世話になることも仕方ないと思っている。必ずしも入院しなくてもいいという話だが、その場合俺の面倒を見るのは両親になるだろう。二人とも忙しい人だ。そこで負担を掛けられない。特に今は父さんが単身赴任中なこともあって、母さんの負担は極力減らしたかった。それに、眠っている間に何かが起こる可能性だってある。俺の体質には未知な部分が多いのだ。容態が急変しないとも限らない。そんなわけで、毎年の入院生活は恒例になっていた。冬の間ずっと眠り続けて、起きたらリハビリ。3ヶ月間まったく体を動かさないと、筋力がだいぶ落ちるらしい。リハビリを済ませ、退院するのがだいたい3月中旬だ。眠る前は秋だったのが、気がつけばもう春になっている。


それがいつもの俺の冬だ。いや、普通の人にはあるであろう「冬」という俺の失ったものだ。


「生きる」とはいったいなんだろうか。たまにそう考える。暇な時間の多い入院中は特に。俺は昔から人とのつながりが希薄で、正直なところ人と関わることに恐怖を感じていた。会うことも話すことも叶わない冬という季節。たとえ起きている時に誰かと仲良くなっても、俺がいないその季節の間に、その誰かは俺ではない他の誰かと仲良くなっている。何度も何度もそんなことを味わえば、俺のようになってしまっても仕方ないのかもしれない。だって、誰とどれだけ仲良くなろうと、その関係はたった3ヶ月の間に、幻のように消えてなくなってしまうのだから。


唯一の例外は正晴だ。小学5年生で出会って、今までずっと仲良くしている。あいつだけは、何があってもいつでも隣にいてくれた。俺が初めて体質のことを話した時、他の子は同情したり、距離を置いたりしてきたのに、正晴はそんな素振りは全く見せずに、穏やかに微笑んでいた。俺に冬がないと知ってなお、俺と仲良くしたがった。そんな奴は初めてで、嬉しい反面、不安も感じていた。


正直に言って、俺は生きることにそこまで執着していない。生きる意味も、生きる喜びも、何も分からないからだ。冬の間何もすることができないから高校には通えないし、決まった仕事に就くこともできない。将来の夢なんてものはとっくの昔に捨ててしまった。だからといって、死ぬ意味も見つけられない。惰性でだらだらと生き続けているだけだ。


正晴の存在は、俺をこの世に留めている理由のうちの一つではあるが、その存在だけのために生きようとは思えない。正晴のことは大切で大好きだ。でも、だからこそ、もし正晴が離れていってしまったらと思うとゾッとする。あいつのことを信用しないのではない。ただ、人の心は変わってしまう。それが怖い。そんなことを考えながらの付き合いなんて、虚しくて、寂しい。だから、どうしても正晴を俺の生きる意味にはできないのだ。


そう思って生きてきてもう何度目かの春、のぞみという女の子と出会った。自分と似た、生きることに前向きじゃなさそうな女の子。惹かれないわけがない。俺はただ傷を舐めてほしかった。俺の気持ちをわかってくれるであろう彼女に。



 

「のぞみ」

「冬くん! 来てくれたんだ」


のぞみと出会ってから3日後、俺は再び彼女の病室を訪ねた。ドアを開けて声を掛けた俺に嬉しそうに笑う。可愛らしい笑顔だ。


「今日誰も来ないし、すげぇ暇で。のぞみも暇してるかなって思ったんだけど大丈夫だった?」

「うん。私も会いに行こうかなって思ってたところ」

「そっか、よかった」


俺は微笑み返しながら、ベッド横にある椅子に腰掛ける。暇なのは今日に限った話ではないが、連日会いに行くのはさすがに気が引けた。今日ののぞみは長い茶髪を可愛らしいシュシュで横に結いていた。後れ毛というのだろうか、首元に残っている髪が少し大人っぽい。ちなみに、初めて会ったときは、柔らかそうなその髪は下ろされていた。


「どうかした?」


髪をじっと眺めていると、心配そうに顔を覗かれた。俺は慌てて首を振る。見とれてしまっている場合ではない。


「いや、何でもない。そんなことより昨日のテレビ見たか? 好きって言ってた俳優出てたぞ」

「もちろん見た見た! めちゃくちゃかっこよかった」


そんな感じで他愛のない話をした。正晴とこういった話をすることも多いのだが、のぞみの方が反応が大きい。それに、のぞみとは結構好みが合う。自分の好きなものに共感してもらえるので話しやすかった。それから、1時間くらい話をしてから別れた。会うのはまだ2回目だというのに、距離がだいぶ縮まっている気がする。彼女の持つ柔らかい雰囲気のおかげだろうか。とはいえ、俺の体質について話すのはまだ早いだろうし、のぞみの体について聞くこともはばかられた。


目覚めてから2週間後、俺の退院が決まった。明日には入院生活ともおさらばである。あれから暇があれば、のぞみのところに通うようになった。逆に、彼女が俺の病室を訪ねてくることもあった。俺のリハビリやのぞみの検査があったため、実際に会って話した回数はそれほど多くないものの、友達と言っても過言ではないくらいの関係性である。ほとんど、いや全てと言っていいほど、二人で話す内容は大したものではなかった。あの俳優のどこがかっこいいだとか、この本が面白かったとか、本当に些細なこと。しかし、それが俺にはとても楽しくて、病院内でそんなふうに思ったのはかなり久々に感じた。


そして、俺は今日、退院の支度をしている。明日の朝には病院を出て、午前のうちに家に帰りたい。病院の居心地がそこまで悪いわけでもないが、やはり家が恋しいのだ。そのために今日のうちに支度を終えるつもりでいた。着替えや漫画類、手持ちの荷物など、そこまで散らかしていたわけではないが、地味に物が多い。しかも、なんとなく漫画を読み始めたらついつい読みふけってしまい、持って帰るものをまとめるだけなのに随分と時間が掛かってしまっていた。


「ふぁ……おはよ、冬」


うっかりまた漫画に手が出てしまったところで、欠伸をしながら病室に入ってきたのは正晴だった。ちなみに、おはようと言っているが、今はもう昼過ぎだ。


「はよ、正晴。寝不足か?」

「うん、ちょっとね。夜更かししちゃって」

「しっかり寝ろよ。体持たねーぞ」

「冬は、冬にたっぷり寝てるもんねぇ」


俺の心配に対して、むかつく返しをしてくるが、ここはスルーする。いちいちつっかかっていてはきりがない。


「……そうだな」

「ねぇ、退院明日でしょ。なにか手伝おっか?」


心を穏やかにして答えたのに、あっさりと話を変えられた。それはそれでむかつく。だが、手伝ってもらえるのはありがたいので、表に出さずに頷いた。とりあえずこれで漫画の誘惑に負けることはない。

 

支度を再開してから少し経った頃、小さくノックの音が響いた。


「冬くん、こんにちは!」


のぞみがにこにこと笑いながら中に入ってくる。俺は手を挙げてそれに応えた。それから正晴に気づくと、彼女は少し不安げに尋ねた。


「えっと、初めましてですよね……?」


俺の知る限りでは、正晴とのぞみには直接面識はない。俺がのぞみの病室を初めて訪ねたとき、正晴はすぐに帰ってしまったからだ。そのため、見覚えのあるようなないような感じなのかもしれない。


「うん、初めまして! 小咲のぞみさんだよね。冬がいつもお世話になってます」

「あ、はい、小咲のぞみです! こちらこそ冬くんにはお世話になってて」


正晴はきらきらとした笑顔で答える。よそ行きスマイルだなと思いつつ、初対面でここまで印象よく挨拶できることに感心した。後半は余計だったが。のぞみものぞみで律儀に返してるのが何だかおかしい。


「でもなんで私の名前ご存知なんですか?」

「ああ、冬がいつものぞみさんのこと話してるので」


正晴の発言は、何か深い意味を含んでそうな言い方だ。言いながら俺に目配せしてくるのもわざとらしい。これでは、まるで俺がずっとのぞみの話をしているみたいではないか。俺は慌ててつっこんだ。


「おまっ、何言ってんの! いつもってほど話してないだろ!」


キッと正晴を睨みつけると、彼は楽しそうに笑っていた。それどころか、のぞみまで口元を押さえて笑っている。俺はなんだか恥ずかしくなって、二人から顔を背けた。


「冬面白い子でしょ」

「そうですよねー。いじりがいがありそうっていうか」

「わかるわかる。冬で遊ぶの楽しいもん」

「冬と、じゃなくて、冬で、なんですね。すごく楽しそうですけど」


二人は笑いながらこんな会話をしていた。地味にのぞみにもSっ気があるようだ。素直ないい子だと思っていたのに。別にSな人を批判しているわけではないが、ちょっと複雑な気持ちになった。


「……というか、正晴は自己紹介しなくていいのか?」


俺を馬鹿にしたような会話は、その一言で途切れた。正晴は忘れてた、というように舌を軽く出してみせる。前も言ったが、男、しかも親友のそんなものを見せられても嬉しくない。そのため、俺は真顔でスッと目を逸らした。


「俺は佐原正晴っていいます。正に晴れるで正晴ね。冬の親友です。どうぞよろしく」


彼は、俺が目を逸らしたことを全く気にも留めず、爽やかな笑顔で自己紹介をした。改めて「親友」と口に出されるとなんだかちょっと照れる。俺だって親友だと思っているが、なかなか本人の前では言えない。


「同い年だからタメ口でいいからね」

「うん、わかった! じゃあ、正晴くんって呼んでいい?」

「もちろん。俺ものぞみちゃんって呼ぶね」


二人の会話はとても滑らかだ。名前呼びに過剰に反応してしまった俺のときとは違う。女の子をあっさり名前で呼べるあたり、俺よりも断然女の子に慣れているのだろう。正晴は共学の高校に通っているので、当然といえば当然である。だが、俺が同じ高校に通っていても、こいつのように振る舞えるとは思えなかった。


「冬くんと正晴くんは何してたの?」


自己紹介が終わり、のぞみに尋ねられた。微妙に散らかったこの病室を見れば、その質問が出てくるのも当然だ。


「俺明日退院だから、その支度してたんだよ」

「そうなの? わー、おめでとう!」


のぞみは自分のことのように喜んでくれている。どうせ冬になれば、また戻ってくる。だが、そんなことを言えるわけもなく、俺は嬉しそうなふりをした。いや、戻ってくると分かっていても、病院内にずっといるよりは外にいられる方が嬉しいには違いない。正晴をチラッと見ると、一瞬複雑な表情をしたが、すぐに笑顔に戻していた。俺の事情を分かっているから、素直に同意できないのだろう。


「あ、でも、冬くん退院しちゃうと少し寂しいかも」


ひとしきり祝ってくれた後、のぞみが思い出したように言った。その声はしょんぼりしていて、申し訳ないような、それでいてむず痒いような感じがした。


「退院してものぞみの見舞いには来るよ。俺あんまり忙しくないし」


その言葉に、彼女の顔がぱっと明るくなる。表情がコロコロと変わって面白い。


「嬉しい! いつでも来てね! 待ってるから」


よほど嬉しかったのか、前のめり気味に言われる。思った以上に俺のことを好いてくれているのかもしれない。もちろん、そこに深い意味ではないだろうけど。


その後、のぞみはお邪魔しました、と自室へ帰り、俺たちは作業を再開した。正晴のおかげで無事支度は終わり、あとは明日になるのを待つだけになった。


翌日、病院を出た俺は久々に家へ帰り、懐かしいにおいに包まれた。やっぱり自分の家は安心する。自室のベッドに横になると、落ち着きすぎて昼間から眠くなってしまったくらいだ。どうにか眠気を追い払ってカーテンを開けると、外のポカポカした陽気が目に入る。もう春だ。起きたときから春なのに、そんなことを思った。ここまできてやっと、俺は春を実感したのである。

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