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君と出会う春(1)

病院で久しぶりに目が覚めてから数日が経った。ここ数日は、身体を支障なく動かせるようにリハビリをしている。今はその帰りだ。

 

「はぁー、疲れた」

 

そんな独り言が勝手に漏れる。なんとなく憂鬱な気持ちで廊下を歩いていると、曲がり角に差し掛かった。この病院は入り組んでいて、初めて来た人は迷子になってしまうこともある。とはいえ、毎年お世話になっている俺からしてみれば、何度も繰り返しやっている迷路のようで面白みも新鮮さもない。

 

どんっ。重い足どりで角を曲がった瞬間、何かとぶつかった。まだ万全ではない俺は、足元をふらつかせて尻餅をついてしまう。思い切り打った尻が痛い。何に当たったのかと思って顔を上げると、正面には同い年くらいの女の子が立っていた。

 

「あ、ごめんなさい! 私よく見てなくって。怪我してませんか?」

 

ふわりとした可愛いらしい声。少し青白い顔には、焦りと申し訳なさが浮かんでいる。俺は立ち上がって尻をはたき、軽く笑ってみせた。女の子とぶつかってコケるなんて格好悪すぎるので、せめて平気なふりをしたい。


「大丈夫です。俺もぼーっとしてたので。そちらは怪我してませんか?」


怖がらせないように丁寧に答える。こういう話し方をする俺を見たら、正晴は爆笑するだろう。普段口の悪い俺にはこういうのは似合わない。彼女は「大丈夫です」と微笑み、もう一度謝ると走り去ってしまった。

 

「これ、落し物か?」

 

女の子とぶつかるという突然の出来事に動揺していた俺は、床にタオルが落ちているのを見つけた。落ちている場所から考えて、さっきの子のものだろう。拾って見てみると、ピンク地に白のドット柄という可愛らしいものだった。俺にはよく分からないが、女の子というのは大体こういう柄が好きらしい。中学の時のクラスの女子たちもこんな感じの柄のタオルを持っていた。タグには「のぞみ」と書いてある。これが彼女の名前なのだということはすぐに分かった。

 

では、どうしようか。タオルを掴んだまま思案する。普段なら放置するか看護師に届けるところだ。むしろそれ以外にできることはない。しかし、今回は顔も名前も分かっている。服装からして入院患者だというのも予想できた。探し出して届けるのもありではないか。どうせ俺も入院中で、時間は有り余っているのだから。いや、そんなのは建前で、あの子にもう一度会いたいというのが本音かもしれない。一瞬しか言葉を交わしていないのにこんなことを考えるのは変かもしれないが、彼女は俺と少し似ているような気がした。 生きることに希望を持てないような、そんな雰囲気が。もしかしたら、彼女にも何か悩みがあって、生きたいと思えなくなるほど苦しんでいるのかもしれない。ただの傷の舐め合いだっていい。もし同じような境遇にあるなら話してみたかった。

 

さて、落し物を届けることに決めたものの、どうやって彼女を探したらいいのだろうか。周りを見回すが、タオル以外に落としたものはなさそうだ。これではヒントがあまりにも少ない。院内の造りに慣れていたことから考えると、彼女はしばらくの間入院している患者なのだろう。それなら看護師に聞けばいいのかもしれないが、ここの看護師とは昔からの付き合いで、からかわれることが多いので嫌だ。

 

とりあえず、一度自分の病室に戻って作戦を練ることにする。女物のタオルを持ったまま立ち止まっていたら、それこそ看護師たちにからかわれそうだ。俺はぐっと伸びをして、自分の病室へ向かって再び歩き出した。自室のドアを開けると、俺のベッドの横に誰かが座っていた。それが誰なのかなんて、見慣れすぎて目に入った途端に分かってしまう。

 

「正晴、来てたのか」

 

俺が声を掛けると、それでやっと俺の存在に気づいたかのように、正晴は振り向いた。

 

「あ、冬いたんだ」

「いたんだ、じゃねーよ。ここ俺の病室。何くつろいでんの?」

「だって、せっかくお見舞い来たのに冬いなくて暇だったんだもん」

 

ぷぅと軽く頬を膨らませている。男がそんなことをやっても可愛くない。親友なら尚更である。俺はスタスタと正晴の前まで歩いていき、その膨らんだ頬を手で押した。プスーと空気が抜けて魚みたいな顔になる。普段の整った顔とは大違いだ。これはこれで面白かったのだが、あまりやると正晴が機嫌を悪くしそうなので、手を離してベッドに座った。

 

「リハビリ?」


正晴の問いに俺は頷いた。病院にいる間は、せいぜいリハビリと検査くらいしか用事がない。いつものことなので、正晴もそれを分かっているのだろう。

 

「楽しかった?」

「んなわけあるか。……にしても、お前が日曜に来るのは珍しいな。何かあるのか?」

 

意地悪そうな笑顔で聞いてくるのをサラッと流して、逆に質問した。いつも日曜日はバイトに行っているはずだ。別にいつ来てくれてもいいのだが、いつもと違うと純粋に気になる。

 

「冬さー、まだ寝ぼけてる?」

「は?」

 

正晴の返事は、答えになっていなかった。馬鹿にするような、それでいて心配も含んでいるような言い方に、俺は慌ててカレンダーを確認する。 今日は確か三月七日。その数字は土曜日の列の中にある。というか、そもそもリハビリ室は日曜日には空いていない。うっかりしていた。

 

「もう春なんだから、そろそろちゃんと起きないと!」

「しょーがないだろ。こんなところにいたら曜日感覚狂うわ。揚げ足取んな」

「えー、ごめんごめん」

 

ムッとした俺にヘラヘラと笑って謝ってくる正晴。そこに謝罪の意など感じられるわけもなかった。こいつがどういう奴が知っているから許容できるが、他の奴にこういう態度を取られたら許せないかもしれない。

  

「で、そんなことはいいんだけどさ。その女物のタオルは何?」

 

それから急にトーンを落として、正晴はそう尋ねてきた。そういえば存在を忘れていた。俺はさりげなくタオルを背中に隠す。別に見られてまずいものではない。ただ、からかわれる要素を増やすのは避けたかった。

 

「何でもねーよ。あ、盗んだとかじゃないからな!」


濁そうとした結果、我ながら怪しいことを言ってしまった。口が滑ったとはまさにこのことだ。いや、それだと本当に盗ったみたいになってしまうだろうか。言い方は変になってしまったが、俺はあくまで事実を述べたに過ぎない。

 

「拾ったの?」

 

意外にも正晴は普通に言った。このタイミングでからかってこないなんて、いつものこいつらしくない。それにどことなく真剣な表情だ。何か思うところがあるのかもしれない。

 

「ああ、廊下で女の子とぶつかっちゃって、その子が落としたものっぽい。本人に届けたいんだけど、どうやってその子を探せばいいか分かんなくてな」

「へぇ、名前とかは書いてないの?」

「んーと、平仮名でのぞみって書いてある」

 

のぞみ、と俺が言うと、正晴は何かを思い出したかのような顔をした。口元に手を当てて少し考え込んでいる。どうやら思い当たる節があるらしい。

 

「ここの階の端っこに、のぞみって名前の人が入院してたはず。何回かネームプレート見た覚えがある」

 

その言葉に俺はガバッと顔を上げた。記憶力のいい正晴の言うことだ。おそらく間違いない。毎日その病室の前を通っているであろう俺ですら覚えていないというのに、よく覚えているものである。ちなみに、正晴は三日に一回は俺を訪ねてくる。嬉しいには嬉しいが、さすがに多すぎる気がしないでもない。とはいえ、そんなことを言うとまた怒られるから、本人には言わないでおいた。それに今回は正晴のファインプレーのおかげで見つかりそうなのだ。俺が文句を言える立場ではないだろう。


名前だけでは確定ではないものの、二人で端っこの部屋に向かうことにした。すぐに辿り着いて足を止めると、確かにネームプレートには「小咲のぞみ」とある。とりあえず俺は白いドアを控えめにノックした。返事はない。

 

「いないのかも」

「いや電気ついてるし、とりあえず開けてみたら?」

「えー、それはまずくね」


小声での作戦会議。はたから見たら不審者である。もしかしたらノックが控えめすぎて聞こえなかったのかもしれない。さすがに勝手に開けるわけにはいかないので、改めてノックをしてみようと思った。


「というかこれ、俺やばいやつじゃないよな? やっぱり看護師に届けた方が」

 

拳を握るところまでいったのに、ビビって正晴を仰いでしまう。俺はお世辞にも優しそうな顔立ちではない。それこそ本当に不審者だと思われかねないのだ。それなのに、正晴はにっこりと笑うと、勝手にドアを開けてしまった。本当にこいつはいい性格をしてやがる。もし通報されたらもれなく道連れにすることに決めた。

 

ベッドに座っていた女の子は、読んでいた本から顔を上げてこっちを見た。やはりさっきぶつかった子だ。改めて見ると、くりっとした目が特徴的な可愛らしい顔立ちをしている。俺は正晴に押されて彼女の病室の中に入った。部屋は俺のとこと同じつくりのはずだが、女の子感が溢れている。


「あの……」 

「あー、勝手にすみません! 怪しい者じゃないんです!」


完全に怪しい奴の発言である。訴えられたら100パー負ける。俺の言葉に、彼女は不思議そうな顔をしつつ本を閉じた。ひとまず通報はされなそうだ。

 

「あの俺、さっき廊下でぶつかった者なんですが」

「あ! ごめんなさい! わざとじゃなかったんです」

 

怒られると思ったのだろう。彼女の声は明らかに俺を怖がっている様子だった。そんなに俺は怖いのかと少し落ち込んでしまうが、急に部屋に入ってきた男が怖くないわけがない。正晴のせいであっても、この子にはそんなこと関係ないのだから。

 

「いや、ぶつかったのはいいんです。お互い様ですから。それより、これ落としませんでした?」

 

極力優しい声が出せるように意識しながら尋ねた。俺の手に握られたタオルを見て、彼女はハッとした顔をする。どうやら、この子の落し物で間違いないようだ。俺が丁寧にそれを手渡すと、嬉しそうにタオルを抱きしめた。

 

「ありがとうございます。大事にしてるものだったんです」

「そうなんですね。誰かからもらったものなんですか?」

 

お礼を言ってふわりと笑う姿はとても可愛らしい。久々に話す女の子というものに気後れをしつつ、俺は話を広げた。部屋に突撃しておいて、渡してすぐさよならというわけにもいかないだろう。

 

「友達……いや、知人からもらったものなんです」

 

彼女はそう言って寂しそうな目をする。わざわざ言い直したことからも、彼女が抱えているものが少し透けて見える気がした。俺にだって同じような経験はある。やはり俺たちは似ているのかもしれない。


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