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目覚める春

春、それは目覚めの季節。


俺は春の訪れと共に目を覚ました。辺りに広がる春の陽気に、少しの虚無感と少しの喜びを感じる。


いつもと同じ春。

そして、いつもと違う春。


また、春が始まった。


 

***

春になり、俺は長い眠りから目を覚ました。気だるく重いこの感覚は、もう何度目だろうか。小さい頃からの体質のせいで、春の目覚めはあまりよくない。

 

俺が今いるのは、白い天井にシンプルな内装。とある大学病院の一室である。力が入らない体を少しだけ動かして、自分の生を確認する。ああ、相変わらず生きている。驚くわけでもないし、まったく嬉しくないというわけでもない。でも、少し憂鬱になったのも事実だ。

 

それから数十分後、病室のドアが雑に開かれた。

 

「あっ、冬起きたんだー」

 

迷いなくズカズカと入ってきた男が俺を見て言う。その顔には、若干の安堵が浮かんでいるのが読み取れた。

 

「なーんか、冬が起きると春が来たって感じがするよね」

 

そう言ってくすくすと笑っている彼の名前は、佐原正晴。小学校の頃からの俺の唯一の友人だ。顔が整っているうえに、やらせれば大体何でもできる高スペックの持ち主で、おそらく結構女子からモテる。 実際、中学時代何度か告白現場に遭遇した。


「正晴、今日高校は?」

「……長いこと寝てたから頭働いてないの? もうとっくに放課後だよ」

 

正晴が自身の腕時計を見せながら言う。小馬鹿にしたような言い方には少しイラッとしたが、いつものことなので気にしないでおいた。それに、正晴の言ったことに間違いはない。長いこと寝ていると本当に感覚が狂うのだ。それに俺は高校に通っていないから「放課後」というものに縁がない。同い年なのに差を見せつけられたようで少し気持ちが沈んだ。

 

表情が暗くなった俺をちらっと見てから、正晴は近くにあったパイプ椅子に腰掛けた。どうやら長居モードに入ったらしい。スマホを取り出していじり始めている。わざわざ見舞いに来ておいてスマホを見ているのも謎だが、これもいつものことなのでやはり気にしないでおく。

 

「あ! ねぇ、冬って確か苺好きだよね?」

 

数分後、スマホを見ていた彼が急に顔を上げてそう聞いてきた。いきなりだったのでびっくりする。

 

「あ、ああ。それがどうかしたか?」

「ほらこれ見て!」

 

バッと目の前に出されたのは、スイーツ専門店のサイトだ。画面はたくさんの苺で溢れていた。

 

「ここ今苺フェアやってるみたい。めっちゃ美味しそうじゃない?」


正晴の楽しそうな感じが伝わってきて、俺は笑って小さく頷いた。俺も大概だが、彼は無類の甘いもの好きである。美味そうなスイーツを見てテンションが上がっているのだろう。

 

「ビュッフェもやってるみたいだから、冬が退院したら一緒に行こ。それまで楽しみに待ってるから」

 

その誘い自体はすごく嬉しかった。だが、俺の退院まで待たせるのは申し訳ない気がした。入院しているのは完全に俺の事情なので、そこに正晴を巻き込みたくない。俺は正晴の目を見て返事をする。

 

「俺が退院するの待たないで誰かと行けばいいのに。正晴だって苺好きだろ」

「えー、冬とがいいんだもん。むしろ冬とじゃなかったら行きたくないし」

「……なんだその一部女子に勘違いされそうなセリフは」

 

わざと呆れたふりをすると、正晴は吹き出した。一応病院内だから配慮しているのか、声を抑えつつ盛大に笑っている。 それを見ていたら、俺もつられて笑ってしまった。久々に笑ったからか、ぎこちなくなったし、腹筋が痛かったが、やっと起きたんだという実感が湧いた。

 

「冬、誰か来てるの?」

 

俺達が笑っていると、髪を無造作に束ねた女性が部屋に入ってきた。俺の母親である。俺が目覚めたのを確認して席を外していたが、しばらく経って戻ってきたのだ。

 

「あ、美里さん!」

「あら、正晴くん。また冬のお見舞い来てくれたの? ありがとうね」

「いやー、俺は冬の唯一の友達ですから」

 

正晴は冗談めかしてそんなことを言い、いたずらっぽく笑ってみせている。やや失礼な発言に俺はむすっとしたが、事実なので仕方なく黙った。母さんもそれを分かっているから、咎めることなく笑っている。それから正晴は、母さんに椅子を勧めた。微笑みながら椅子を譲る姿は紳士そのものだ。いたずら好きでSっ気の多い奴だが、面倒見がよく優しい。だからこそ俺なんかの友達でいられるのだろう。正晴がいなければこの世になんの心残りもないと言っても過言ではないくらい、俺は正晴のことを大事に思っている。 こんなこと絶対に本人には言えないが。

 

「先生なんて言ってた?」

 

椅子を断ってベッドの傍らに立った母さんに聞いてみた。席を外している間に医者と話をしてきたはずだ。正晴も聞きたそうにしている。

 

「んー、まあいつもと同じで特別なことはなかったかな。新しく分かったこともなさそうだったしね。あ、そうそう、リハビリはもう少し回復してから始めようってさ」

「うっ、リハビリなぁ」

 

母さんの言葉に俺は顔を顰めた。大怪我をしたわけではないので大した内容ではないのだが、それでもリハビリは辛いし疲れる。とはいえ、日常生活に戻るためには、しないわけにもいかないから面倒だ。

 

「大変だねぇ」

 

意地悪な笑顔で正晴がそう言って、俺の肩に手を乗せる。振り払う気力も体力もないので目だけで反抗すると、さらに笑みを深めた。


「正晴、その顔ムカつく」

「ムカつかせようとしてるからね」


俺の直球な言葉に、悪びれずに答えてくる。いつものこととはいえ、ここまで来るとさすがにイラッとしてしまう。まあ、これはこれで楽しくもあるのだが。 そんな俺たちを母さんも微笑ましそうに見ていた。

 

それからしばらく三人で話をしていたが、時計をちらりと見た母さんがもう帰ると言い出した。まだ俺が起きてから大して時間は経っていないのに珍しい。もう帰るんですか、と正晴も不思議そうにしている。

 

「うん。もう少しいたかったんだけど、叔父さんの法事があって。泊まりで行ってくるから、次に来られるのは明後日かな」

 

それを聞いて、あの人亡くなったのか、と思った。たしか一度しか会ったことがないし、顔もほとんど覚えていないため悲しいわけではないが、自分の眠っている間に何か事が起こっているということには若干の恐怖を感じた。今回の件から考えれば、自分の眠っている間に大切な人が亡くなることだってありうるだろう。何も知らず、起きたらその人がいなくなっていたら相当辛いはずだ。そう思うと、胸の奥がキュッと痛んだ。

 

俺と正晴は病室から出ていく母さんを見送ってから、話を再開した。

 

「でも、ほんとに俺のことは気にしなくていいからな。俺の退院待たせるとか、なんつーか申し訳ないし」

「だーかーらー、俺は冬と行きたいんだってば」

 

そう言いながら、正晴が俺のほっぺをつねってくる。加減はしてくれているのだろうが、ちょっと痛い。

 

「ていうか、俺がいなかったら冬ぼっちになっちゃうけどいいの?」

「へふにほーひうあけやないけろ」

 

つねられたままなのでしっかりと発音できなかった。 しかし、正晴は俺がなんて答えるか分かっていながら質問しているはずなので、理解してくれるだろう。

 

「別にそういうわけじゃないけどって?」

 

ほら、やっぱり。もう七年も一緒にいるのだ。お互いの気持ちくらい言わなくても分かる。だから、正晴が俺のことを特別に思ってくれているのも分かっている。だが、どうしても俺の問題に巻き込んでしまっているようで、気が引けてしまうのだ。そんな俺に向かって、正晴はふんわりと微笑む。手は離してくれたが、その笑みには怒りの色が混ざっている気がした。

 

「じゃあ、どういうわけ?」

「その、もちろん俺のことを優先してくれてるのは嬉しいんだけど、正晴に迷惑かけたくないし。もっと他の子と遊びに行けばいいのになって思って」

 

正晴の怒りモードに少しビビりながら答える。こいつを本気で怒らせると尋常じゃなく怖い。それもこの七年で学んだことだ。普段そんなに怒らない奴だからこそ、キレたときは容赦なかった。

 

「あのさぁ、冬」


いつもよりだいぶ低い声。何が地雷だったのかは分からないが、何かまずいことを言ってしまったのだということは分かった。こういうとき、真っ先に謝るのは逆効果だ。何に謝ってんの、なんて冷たい言い方をされるのがオチである。だから今の俺にできるのは、大人しく正晴の言葉を聞くことだけ。

 

「いつ俺が迷惑だって言った?」

「いや、言ってはいねーけど……」

「だよな。じゃあ、なんでそういうこと言うんだよ」

 

声を荒らげるわけではないが、物凄いオーラがある。整った顔立ちと正晴らしからぬ口調がそれを助長させていた。なんで、と質問の体を成しているが、これも正晴には分かりきったことだろう。似たような問答は過去にもやっている。

 

「いつも俺に合わせて予定とか決めさせちゃってるだろ。だから、迷惑だと思われてるんじゃないかって」

「迷惑だったらわざわざこうやって会いに来たりしないし、誘ったりなんかしないから。迷惑な相手に優しくするほど俺はいい奴じゃない」

 

そう言い切る正晴の目は残酷そうに見えて、優しさに満ちている。俺はほっとして強ばった体から力を抜いた。多少なりとも怒りは収まってきているようだ。

 

「悪い。たまに無性に不安になるんだ。正晴は俺が一人になるのが可哀想で一緒にいてくれてるんじゃないかって。ほら、お前優しいから」

「別に優しくないけどね。自分が一緒にいたい人と以外は、仲良くしたいと思わないし」

 

軽く笑って答えた俺に、少し冷たさを残したトーンで正晴が言った。優しくない奴は見舞いになんて来ないし、好きそうなものを見つけて誘ってくれることもない。だが、そんなことを主張したら今度はほっぺをむしり取られそうなので、一旦心にしまっておく。


「まあ、俺の方こそごめん。冬の気持ち、分かってないわけじゃない。でもやっぱり俺はそういうこと言ってほしくないんだ」

「そうだな、悪かった。これからは気をつける」

「うん。じゃあ、この話は終わりってことで。ビビらせちゃってごめんね!」

「な、ビビってなんかいねーし!」

 

俺が慌てたように否定すると正晴が吹き出した。一気に部屋の空気が緩む。正晴は終わった話をネチネチ言う奴ではないから、とりあえず一件落着だろう。

 

「冬はやっぱり面白いね」

 

くすくすと肩を震わせながら、そんなことを言われる。その言葉と笑いには、そのままの意味よりもっと深い意味があるに違いない。だが、俺はあえて追及することはしなかった。

 

「改めて、冬、おはよう」

「正晴、おはよう」

 

今更ながらに挨拶を交わして二人とも笑う。これがこの春の始まりだった。

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