妹
「とはいえ、まずは君自身が幸せにならないと」
グレイアムはそれだけいうと、またしてもひょいとアビゲイルを持ち上げた。
「きゃあ!」
「君さえよければまずは身支度をしよう。そのあと一緒に食事だ。どうだろうか?」
アビゲイルは確かに歳の割には小柄なほうだ。
幼少期からまともな食事ができなかったこともあり、身長もあまり伸びなかった。
とはいえ、だ。
一応十九歳の一人の女性として、毎回毎回こんな風に持ち上げられるのはどうかと思う。
「あ、あなた私を子どもかなにかだと思ってる!?」
「いいや。もちろん一人の美しい女性としてみている」
「…………っ!」
なんて照れくさい言葉だろうか。
彼の言葉一つ一つに心臓が跳ねるのが、自分のペースを乱されているようで本当に嫌だ。
「移動で疲れただろうから、まずは風呂に入ろう。そして君に似合うドレスに着替えて、食事にする。その次はゆっくり寝て、それから今後のことを話し合おう」
「……わかったわ」
きっとグレイアムは気を使ってくれたのだろう。
ボサボサの髪に、ボロボロのドレス。
この屋敷にいる使用人たちですら、もう少しいい格好をしている。
アビゲイルがこれ以上惨めな思いをしないですむようにという、配慮だろう。
なにからなにまで、彼のお世話になっている。
「……あの、」
「お兄様!」
だからせめてもの感謝をと、改めてお礼を言おうとしたアビゲイルの口が止まる。
背後から聞こえてきた声にグレイアムが足を止め振り返れば、そこには美しい女性が一人、嬉しそうに手を振りながらこちらへと向かってきていた。
鮮やかな紫色の長い髪と、緑色の瞳を持つ女性は、グレイアムのそばまでやってくると少しだけ上がった息を整える。
「ふぅ、……エイベルからお兄様が帰ってきたって聞いてきたの! どこ行ってたの? 今度出かけるなら一声かけてって言ったじゃない。それで……」
矢継ぎ早に話される内容に目を白黒させていると、ふと女性と目が合った。
どうやら今の今までアビゲイルのことが見えていなかったらしい。
グレイアムのことを兄と呼んでいたことから、彼女が件の妹なんだろうなと思った時だ。
目の前にいる女性の表情が、ひどく歪む。
「――きゃぁぁぁぁあっ! な、なによそいつ! あ、あかっ、赤い目をしてるじゃない!? なんでそんなやつがうちの屋敷にいるのよ!」
顔を伏せ、己の目元を押さえる女性。
まるでこの赤が伝染するかのような様子に、アビゲイルは表情がなくなっていくのがわかる。
そうだ。
これが普通なのだ。
これがアビゲイルにとっての、日常なのだ。
「不吉よ! さっさと追い出して! ちょっと、エイベル! エイベルどこ!?」
「――うるさい」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ女性に、地を這うような声が届く。
ひゅっと息を呑んだ音が聞こえ黙った女性は、恐る恐るといった様子でグレイアムを見つめた。
「お、おにいさま……っ、」
「ぎゃーぎゃー騒ぐな」
「坊ちゃん! お嬢様も…………ひとまず、落ち着いてください」
騒ぎを聞きつけてやってきたエイベルは、その場を見てある程度のことがわかったのだろう。
青ざめた女性の元へと向かい、彼女を落ち着かせようとする。
「ダイアナ様。いついかなる時も淑女として振る舞ってください。そのように騒ぎ立てるものではありません」
「エイベル! うちにこんな不吉なやつがいるなんて聞いてないわ!」
「アビゲイル様です」
「…………アビゲイルって……、嫌われ王女のこと……?」
ダイアナと呼ばれた女性は、信じられないと言いたげな瞳でグレイアムを見る。
「お兄様……どうしてそんなやつがうちにいるの…………?」
「口の利き方に気をつけろ。アビゲイルはこの屋敷の女当主になる人だ」
「――はぁ!? ちょ、待ってよ! 聞いてないわ! お兄様、こんな女を妻にするつもりなの!?」
「聞こえなかったのか? 口の利き方には気をつけろ。アビゲイルを馬鹿にするのは俺が許さない」
不機嫌を隠すことのないグレイアムの声は、普段とは違う威圧感がある。
自分に向けられているわけでもないのに、彼の腕の中で思わず体を震わせてしまう。
それに気がついたのか、グレイアムは瞬時に表情を和らげた。
「大丈夫だ、アビゲイル。騒音を聞く必要はない。エイベル、食事の準備をしといてくれ」
「かしこまりました」
「お兄様!」
「お前はもう結婚して家を出て行くんだ。関係ないだろう」
グレイアムのその言葉に、ダイアナの顔がくしゃりと歪む。
今にも泣き出しそうな顔をしたダイアナは、力強く唇を噛み締めた。
「結婚なんてしないわ! 私はずっとこの屋敷で兄様と一緒にいるの!」
「くだらんことを言うな。お前の結婚は決まったことだ」
「決まってない! 私はどこにも行かないから!」
叫びに近い言葉と共に、キッと力強くアビゲイルを睨んだダイアナは踵を返してその場を後にする。
一体なんだったのだろうかとポカンとしていると、グレイアムが深くため息をついた。
「全く。いつまでも子どもなんだアイツは」
「……子ども、なのかしら?」
今の様子はまるで、グレイアムと離れたくないと言っているようだった。
確か彼女とは腹違いの兄妹だと言っていたが、どういうことなのだろうか?
「ひとまず風呂だ。疲れをとるといい」
この屋敷内でもいろいろありそうだと、アビゲイルを抱きしめたまま向かうグレイアムの服を、そっと握り締めた。