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高揚

 そんな悲しい未来を現実のものとしたくない。

 着古されたぼろぼろのスカートの裾をぎゅっと握りしめると、そんな手の上に温かなぬくもりが広がる。


「大丈夫だ。そんな未来にさせないために、俺がここにいる」


 確かにグレイアムと出会ったことで、彼の言う最悪の未来は回避されたのだろう。

 なぜならアビゲイルは今、この瞳を美しいと言ってくれた彼とともにいるのだから。

 だからこれでたとえ彼の言う通り、死の神が現れたとして、アビゲイルが恋をすることはないはずだ。


「アビゲイル。俺は君を幸せにして、あんな最悪な未来から君を救う。そのために俺は、この世界にやってきたのだから」


「……グレイアム」


 本当に、信じてもいいのだろうか?

 彼を信じて、その手をとって。

 また過去のように傷つきはしないだろうか?


 ――いいえ


 傷ついてもいい。

 なにも変わらない日常より、ずっといいはずだ。

 アビゲイルは彼の手を挟むように両手を重ねると、グレイアムに向かって深く頷いた。


「……あなたを、信じてみたい」


「――アビゲイル」


「私の瞳をね、きれいだって見つめてくれたのはあなたが初めて。だから、騙されたっていい。その言葉は、私に勇気をくれたんだから」


 彼を信じてみたいという自分の気持に嘘偽りはない。

 ならその気持を前に出してみてもいいだろう。

 アビゲイルからの答えを聞いたグレイアムは、ぱあっと表情を輝かせた。


「結婚してくれるのか!?」


「け、けけ、結婚はさすがにまだ早いんじゃ……! 婚約者になって一日も経ってないし……っ」


 ちゃんとヒューバートが手筈を整えてくれていたら、だが。

 あの様子では国王の死を理由に手をつけない可能性のほうが高い。

 どちらにしてもしばらくは国中が喪に伏すため、二人の関係が明確になるのは先だろう。


「もちろん無理強いをするつもりはない。俺は君を愛し、愛されたい。そのうえで結婚して、君を世界で一番幸せな花嫁にするんだ!」


 きらきらと輝いた瞳のまま、グレイアムは力拳を作った。


「俺は君と一緒にいられればそれで幸せだ。君の笑顔が俺の活力になる。だから君はただ幸せを感じてくれればそれでいい。なにが好きだ? なにをしたい? なにをしているときが幸せだと思う?」


「…………う、っ」


 あまりにもまぶしい笑顔に、アビゲイルは目を線のように細めた。

 この男は太陽でも背負っているのだろうか?

 それくらい眩しい輝きを放っている気がする。


「君が望むなら、君を蔑ろにしたやつらに復讐したって構わない」


「――復讐……?」


 口からこぼれたその言葉が、甘美な刺激を脳に与えた。


 ――望んだことなら、ある。


 アビゲイルは聖人君子ではない。

 自分をあんな部屋に閉じ込めた父が憎い

 泣いてすがるアビゲイルの腕を気味が悪いと振り払った母が憎い。

 友ができて喜ぶアビゲイルを騙し嘲った兄が憎い。

 自分と同じはずなのに、愛されている妹が憎い。

 世界のすべてを怨んだ。

 この世界に生きるすべての命を呪った。


 (ああ、なんだ……)


 グレイアムが語っていたあったかもしれない未来が、急に納得できた。

 誰も彼もを恨み憎んでいたアビゲイルにとって、その未来は思ったよりも近いものだったのだ。

 ふと、己の手を見る。

 歳のわりには小さくて骨ばっていてガサガサで。

 爪は噛む癖があったからかボロボロだ。

 そんな手をそっと胸元へともっていけば、心に渦を巻く感情はどんどん大きくなっていく。


「アビゲイル。君が望むなら、始末したって構わないんだ」


 始末。

 それはつまり、そういうことだろう。

 アビゲイルを忌み嫌う存在だと愛してくれない存在を、この世から消してしまう。

 そんなことができたらどれほど心晴れやかになるのかと考える。

 それこそ彼らが恐れる死の神にでもなってしまおうか……。


「――……いいえ」


 アビゲイルは己の体に熱が灯るのを感じた。

 そっと両頬に触れれば、そこは確かに温かい。

 高揚しているのだ。

 そのまま指先はやさしく下瞼を撫でる。


「殺すなんて生ぬるいわ」


 赤い瞳が、スポットライトを浴びた宝石のようにキラキラと輝く。


「死んだらそれで終わりでしょう? そんなの復讐にもならないわ」


 長い長い時間、アビゲイルは苦しめられたのだ。

 なら、それを返したって構わないだろう。


 ――因果は巡るのだから。


「殺さないわ。彼らには幸せを味あわせてあげるの」


「……幸せ?」


「そうよ。甘い甘い蜜みたいに、どろどろの幸せの中に入れて……。自分ではどうすることもできなくしてやるの」


 アビゲイルから与えられるものだけを求め、欲する。

 自堕落にただ享受されるだけの日々。

 落ちるところまで落ちてしまえば、あとはただ栄養として喰われ続けるのみ。

 気づいたときにはもう遅い。

 一度落ちた人間は、そうそう這い上がることなんてできないのだから。

 絡められた蜘蛛の糸は、あとはただその首を真綿のように締め上げる。

 それだけでいい。


「忌み嫌う女にすがる日々を送らせてやるのよ。私なしでは生きていけない木偶の坊にしてやるの」


 ねえ、とアビゲイルは久しぶりに大きな声を出す。

 喉がじくりと傷んだけれど、高揚感が勝り気にもしなかった。

 

「嘲り捨てた女にすがるって、どんな気分かしら――!」


 グレイアムは瞠目する。

 黒曜石のように鋭い瞳は不思議そうに瞬いた後、目尻を赤く染めた。


「ああ、アビゲイル。やはり君は最高だよ」

 

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