あったかもしれない
「ちょ……!?」
「認識を変えるというのは大変だったが、少しでもアビゲイルにとって心地よい家にしたかったからな」
調教という言葉は流石にあれだったが、ようはアビゲイルのために屋敷の人たちの認識を変えてくれたようだ。
「そもそもだ。アビゲイルはなぜこの国で赤が嫌われているか知っているか?」
「……それは、人が亡くなった時に使うものだから」
葬式の際に亡くなった人に着せる服は赤く、参列者も赤を纏う。
ゆえに人々の中で赤は死の色とされている。
「その程度のことでここまで忌み嫌われたりはしない。俺が元いた国でも葬式の際は黒を纏ったが、日常的にも着ていた」
まだその話続けるんだなと、転生云々を頭の片隅に置いておく。
理解はできていないが、信じてはあげたい。
「始まりはこの国の神話だな。俺も姉に力説されるまでは知らなかった」
「神話……?」
「その昔この国には神がいた」
大地に数多の恵みを与える美しい女神は、人々から愛されていた。
女神もまた人々を愛し、幸せに暮らしていたらしい。
しかしある時、そんな女神に死の神が恋をした。
彼はありとあらゆる力を使い、無理やり女神を死の世界へと連れていってしまう。
そして世界は女神の恩恵を失い、枯れ果てた大地となった。
「ざっくりいうとこんな話だな。その死の神というのが赤い髪と目を持っていた。だからこの国では赤は死の色とされているんだ」
「……知らなかったわ」
「この国にはおとぎ話として伝わっているらしい」
なるほど。
確かにそれなら知らなくても納得だ。
子どもの頃、そんなおとぎ話を読んでくれる存在は、アビゲイルの近くにいなかった。
「だから赤い髪や瞳の子供が産まれると、連れ去られた女神の呪いがかかるんだとか。実際、赤毛や赤目の子供が産まれたときは、前代未聞の大寒波や、農作物の不作で国民たちの半分以上が亡くなったらしい」
「……そう、なのね」
呪いか、と己の目元にそっと触れる。
確かにそんな実例があり、なおかつ昔からおとぎ話のように聞かされていたら、子どもの頃から思うだろう。
赤は、不吉であると。
「で、ここからはこの世界中の誰も知らない話だ」
「……誰も?」
「連れ去られた女神は生き絶え、そして生まれ変わった。――アビゲイルの妹、アリシアとして」
アビゲイルの瞳は丸々とした。
アリシア・エレンディーレ。
アビゲイルの妹でありながら、誰よりも美しい金色の髪と青い瞳を持つ、まさに女神の如く美しい女性だ。
その深い慈愛の心に国民たちからの人気も高い。
「女神を忘れられない死の神が、やがてこの地に現れる。その時この国はまた、未曾有の危機に陥るだろう。草木は枯れ、大地は裂かれ、人々は死に絶える。そんな危機からこの国を救うのがアリシアだ」
「……アリシアが?」
「……そうだ。自らの命を犠牲にして、死の神を封印するんだ」
「そんなのダメ!」
そんなのはダメだ。
妹であるアリシアにはほとんど会ったことがないが、噂にはなっていた。
使用人たちにも優しく、アリシアのそばでは常に笑顔が溢れていたと。
他国の王子に求婚されたとも聞く。
そんな優しい妹が、命を落とすなんて……。
「安心していい。ゲームでは女神の力で復活し、本当に愛するものと結ばれる」
ゲーム、がなにかわからなかったけれど、とりあえずアリシアは無事らしい。
さらには愛する人と結ばれるなんて、彼女にはそんな素敵な未来が待っているんだと、少しだけ羨ましく思う。
「……で、だ。そんなアリシアを邪魔するのがアビゲイル。君なんだが……」
「私がアリシアを? そもそもあなたに連れ出されなければ外にも出れないのに?」
アリシアとも本当に幼いころに会ったくらいで、このところ顔を合わせてすらいない。
妬みや嫉みの感情がないかと問われれば答えは否だが、だからと言って彼女を害そうなんて思わないだろう。
だがなぜかグレイアムは、どこか悲しそうに瞳を伏せた。
「アビゲイル、君は出会ってしまうんだ」
「出会う? 誰に……?」
「……死の神に」
「……死の、神?」
愛を知らないアビゲイルは出会ってしまう。
赤を持つ神に。
生まれて初めて見る、自分以外の赤。
そしてその赤は、今まで誰一人としてまっすぐ見つめてくれることのなかった瞳を、見てくれた。
真正面から射抜かれたアビゲイルは、恋をしてしまうのだ。
狂おしいほどの愛を、彼に捧げてしまう。
そしてそんな愛しい人が見つめているのは自分ではないと知った時、アビゲイルの体は嫉妬の炎に焼かれた。
誰からも愛されずに育った自分とは真逆の存在に、だった一つの想いすら奪われる。
それが耐えられなかったのだ。
アビゲイルは屋敷を抜け出し死の神の元へと向かい、やがて彼を封印しにきたアリシアを殺そうとする。
「…………だが、アリシアを愛し守ろうとする存在に、アビゲイルは返り討ちに合う」
「私、そんなことっ」
「勘違いはしないでくれ。これは君であって君ではない者の物語だ」
難しいことを言う。
アビゲイルであってアビゲイルではないもの。
その末路。
確かに、全くあり得ない話ではないと思ってしまう。
今だってグレイアムと共にいるのは、彼がまっすぐ恐れずアビゲイルの瞳を見てくれたからだ。
だからもしそんな存在が他に現れたら……。
「……そんな未来は、いやよ」